またもつらつら考える(2)
(こちらの続きです。)
スポーツの世界では、昔は「巨人の星」だの「アタックナンバー1」だののアニメを見たって、「努力と根性」みたいな精神論がかなり重視されていた面があるように思う。もちろん今だって、努力や根性は必要ではあろうが、「悲壮感」や「忍耐」などの面ではかなり変わったことも多いのではなかろうか。
例えば、イメージトレーニングの有効性も既に広く知られるようになっているが、一流選手たちの中には勝利しているイメージ、トップを走っているイメージ、最高の演技をしているイメージなどを頭の中に思い描き、それが好結果に結びつくという方もいるというのは、最近ではよくある話なのではないだろうか。
以前読んだ本のどこかに書かれていたのだが、跳び箱が跳べない子の指導の際、何度もひたすら練習させるのではなく、「鳥になったつもりで」とか「空を飛ぶような気持ちで」とか、表現は少し違ったかもしれないが、とにかく、跳べない子どもにまず頭の中でイメージをさせてから練習させると、かなりの効果があるそうだ。
また、短距離選手がタイムを縮めるために必死で努力をしてもなかなか記録が伸びないとき、機械の力を借りて、自分の実際の力以上のスピードで走ってみさせると、その速さを体感できるため、その後記録が伸びるという実験を見たこともある。
スポーツの世界ではどんどんと色んな変化が起きているように思う。
そこでまた改めて思うのだ。
例えば、漢字や英単語、歴史の用語などを覚えるとき、ある先生は子ども達に向かって、ただひと言「覚えなさい」と言うかもしれない。
覚え方については全く言及せず、ただ覚えろと。
けれど、そういう先生は恐らく決して少なくはないはずだ。実際、私の場合、レッスンの特徴上、滅多に「覚えろ」という言葉を使うことがないが、それでもたまに数学の公式などを中学生とかには「覚えられたら覚えて使った方が速いけどね」なんていうことはある。しかし、そのときにわざわざ覚え方に言及することはまずない。
そもそも自分自身、特定の公式などを語呂合わせで覚えるなどというのは別として、一般的なものの「覚え方」を教えてもらった記憶はないし、全ての教科において共通して効果がある覚え方というのもないのかもしれない。
結局、絶対これがオススメ!というものも見つからないのだしということで、大抵の指導者は「覚え方」を指導するというところまではしないということなのかもしれない。
また、ある先生はもう少し親切に言うかもしれない。
「はい、この漢字(単語・用語)を覚えるために、ノートに○回ずつ書きなさい。」
と。
それは先ほどよりはほんの少し親切かもしれない。どうやって覚えたらいいかわからず、試行錯誤もしたことのない子どもには言われた通りにやればいいのだから。但し、それで本当に覚えられるかどうかはわからない。言われた通り忠実に「○回」書いたけど覚えられなかったら、先生は更に言うかもしれない。
「○回で覚えられないんだったら、覚えられるまで書きなさい。」
冗談ではなく、そんな指導はかなり当たり前になされているはずだ。
しかし、それは本当に「指導」なのだろうかとも思う。
昔、塾に勤めていた頃、とにかく英単語が覚えられない子がいた。性格は真面目で、やれといわれたら忠実にやるタイプの子だ。
英語の先生が1個につき10回書けと言えば書くし、30回と言われたら30回書くような子だった。しかし、彼はそれでもなかなか単語が覚えられず、中3の夏休みにも「Who」や「What」の読み方さえあやしいような状態だった。
今になって思えば、もしかしたら何度も書かせる以外にもっと方法はあったのではないだろうかと思ったりする。少なくとも、他の方法もやらせてみるべきだったのではないかと。(私が英語を指導していたわけではないが。)
(まだ長くなりそうなので、近々続く予定。)
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