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2006年9月23日 (土)

ホントにそれは無理なのか。

昨日、1年生のお母さんからお問合せのお電話を頂いた。

少しお話が長くなったのだが、その中でお母さんがおっしゃった言葉が心にひっかかっている。

まだ1年生のお子さんなのだが、周囲の方が早期教育に熱心な方が多く、けれどそのお母さんはそういうものに「何か違うような・・・」と感じておられるご様子で、こうおっしゃった。

「できれば楽しく勉強できたら・・・、あ、もちろんそれは無理だと思うんですけど・・・。」

その言葉を聞いたとき、これまでにも何度かお問合せくださった方から同じような言葉を聞いたなぁと思った。

「小さいうちはできることなら楽しく勉強させたい。」

それが純粋な願いのようなのだけれど、なぜか大抵の方がそのあとに「それは無理だろう」と付け加えるのだ。

以前にも書いたが、実は会社員時代ずっと自分に言い聞かせていたことがある。
仕事で何かトラブルが起きたとき、取引先に迷惑をかけることになれば、自分がしたことでなくてもとにかくお詫びしなければならなかったり、極めて理不尽なことでお叱りを受けたりしたとき、何度も言い聞かせていたのが「お給料を頂くっていうのは大変なことなんだ。嫌なことも我慢しなくちゃ」ということだ。

勤めていた6年弱の間にそれこそ何百回と辞めたいと思ったかもしれない。会社が近づくと胃が痛くなり始め、会社を出ると治まる。風邪でもないのに延々と空咳が出て止まらなかった時期もあるし、ずっと口の内側を噛み続けていた時期もある。

それでも、嫌なことから逃げたらダメだと言い聞かせ、仕事っていうのは大変なものなんだ、好きなことをして暮らしていくなんて無理なんだ、そんなことを毎日自分に言い聞かせていた。

しかし、会社を辞めてみたら、それは全部自分の思い込みだったことに気付いた。
もちろん、皆さんの支えのお蔭なのだけれど、私はこうして一番やりたいことをして、金銭的にはまだまだ余裕はないけれど、心は満たされて日々を過ごしている。
あんなに次々と出ていた体の不調もすっかり消えてなくなった。

好きなことをして暮らすことは不可能ではなかったし、本当に好きなこと、やりたいことをしていれば、仕事が忙しかろうと、遊べなかろうと、贅沢ができなかろうと、そんなのはストレスにはならないことを知った。

そしてまた思うのだ。

「楽しく勉強をする」ということは本当に不可能なのか?と。

もちろん、私だって高校時代など、落ちこぼれて苦しかった時期もあるし、大学入試の前にはそれなりには勉強で苦しんだんじゃないかと思う。
けれど、少なくとも小学生の頃に「嫌な勉強」を「させられた」記憶はない。

もちろん、教科や単元によっては「面倒だなぁ」とか「やりたくないなぁ」と思うことはあったが、そう思えば必要最低限しかしなかったような気がするし、計算ドリルの宿題などは何問か解いて合っていれば、理解できているのだからとあとは答えを丸写ししたりもしたものだ。

そんな私でもちゃんと(いや、ちゃんとかどうかはわからないが・・・)こうして暮らしているし、勉強が辛かったという嫌な記憶は残っていない。(高校で数学に苦しんだ時期はあったが、そこを乗り越えたら数学は好きになったので、懐かしい思い出に転化した。)

「勉強」という言葉は「勉め強いる」と書くのだから、本来の言葉自体が楽しくない。人間、誰かに強いられることを楽しいと感じる人などまずいやしない。そういう意味では文字通りの「勉強」であれば、楽しむなんて無理かもしれないが、「楽しみながら賢くなること」は絶対可能だと思う。少なくとも小学生時代には、楽しめないことで賢くなるなんてことの方が無理なんじゃないかとさえ思う。

難しい問題にじっくり取り組むことは決して不快なことではない。
難しいパズルやゲームをクリアしたときの喜びを知っている子どもであれば、じっくり考えた後に正解に辿り着くことは苦痛ではなく快感であるはずだ。
このとき、どこからも邪魔されることなく、せかされることなく、心行くまでじっくり考えられる環境があれば、きっと子どもが考えることを嫌いになったりはしないのではないかと思ったりもする。

間違えたら叱られる。
時間内にやらなければ「ダメな子」と評価される。
沢山やることがえらいと刷り込まれる。

そんなことを小さいうちから繰り返していくうちに、子どもは考えることを嫌いになっていくのではないかと、そんな気もする。

「楽しく勉強することはできない」

それはもしかすると、単なる大人の思い込みで、けれど、大人がみんなそう思っているから、自然と子どもも「勉強=楽しくないもの」と思い込むようになってしまうという可能性は否定できない。

少なくとも、自分のお父さんやお母さんが普段から

「お勉強って楽しいね。」
「知らなかったことを知るのはわくわくするね。」
「できなかったことができるようになるって素敵だね。」
「難しい問題が解けたときって気持ちいいよね。」

こんな言葉を子どもにかけていたら、子ども達は少しでも長い間「楽しく学ぶ」ことができるかもしれない。
ちょっとそんなことを考えた。

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コメント

はじめまして。桐と申します。
少し前から頻繁に訪問していますが、コメントは初ですね。

私も「勉強」という漢字が嫌いなので、塾ではできるだけ「学習」と言っています。「楽習」になればなおいいですね。

ウチは小学生には必ず数種類のパズルをやらせます。考えることの楽しさを味わってほしい、粘り強さを身につけたいと思うからです。少ない問題数でもいいから、じっくり考えることのできる子を多く育てたいものですね。

投稿: | 2006年9月25日 (月) 12時56分

桐先生初めまして。コメントありがとうございます♪
けど、私は以前から(頭のよさそうなすごい方だなぁ…)と思って
おりました。(りんご先生とはお知り合いなので。)
そんな桐先生にコメント頂けて、ちょっと緊張です。(笑)
まだまだ未熟者ですゆえ、今後共宜しくご鞭撻くださいませ。
宜しくお願い致します。

投稿: TOH | 2006年9月25日 (月) 14時06分

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