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2006年8月 1日 (火)

筆算を教えない効果

このところずっと思っていることがある。
それは、2年生の早い段階で筆算を教える必要があるのかということだ。

現行の指導要領では、恐らくみんな2年生になれば、2桁の足し算を筆算でする方法を学習する。その後は、3桁になろうと4桁になろうと、もちろん引き算も筆算だ。

もちろん、筆算は「楽に計算できる」というメリットはある。それを否定するつもりは全くないし、算数が苦手な子にとっては筆算がなければ一層算数は苦痛を強いられる教科になってしまうかもしれない。

ただ、1年生では20までの足す引くを学習し、2年生になって20を超える2桁範囲の足し算引き算のうち、簡単なものだけを学習したら、次にはもう筆算の登場である。
教科書を見ると、2桁+1桁や2桁-1桁まで筆算の式が登場する。

先ほども述べたように、筆算は「楽な計算」である。算数が苦手な子でも、20未満の足す引くさえできれば何桁になろうともほぼ同じように解くことができる。(0が並んだ問題などで若干例外があるが。)

人間は楽な方法を覚えると、わざわざ大変な方法を選んだりはしない。
例えば、昔は洗濯といえば洗濯板にたらいだったはずだけれど、洗濯機が登場した今、わざわざ洗濯板での洗濯を選ぶ人はまずいないだろう。更に、二層式だった洗濯機が全自動になり、しまいには乾燥までをやってくれるものまで登場したのだから、経済的な問題さえクリアできれば、それをほしいと思う人は少なくないだろう。
この時代、わざわざ毎日洗濯板で洗濯をしようと思う人なんて多分いないのだ。(余程のこだわりがある方などは別として。)

それはさまざまなことについて言える。人間は楽な方法、簡単な方法を知れば、そちらを選ぶ生き物なのだろう。

何が言いたいかと言えば、2桁+1桁、2桁の段階で筆算を習った子ども達は、よほど計算が得意な子でない限り、その後の計算は全て筆算でしてしまうようになるはずだ。とすると、子ども達の頭の中で行われる作業は、それ以降ずっと20未満の足す引くだけになっていく。
だから、間に0が並んだ引き算になると、そのルールから外れるから途端にできなくなる子が現れたり、筆算の式を書くときに桁を揃えるのを間違え、あり得ない答えを書いたって気づかない子が現れたりするのではないだろうか。

もちろん、いずれは筆算を教えればいいだろう。
けれど、せめて2年生の後半か3年生ぐらいまでは、子どもが自分の持てる能力を駆使して、頭の中で数を増やしたり減らしたり、試行錯誤させる期間を設けてはどうなのだろうと思うのだ。

楽な方法を教えなければ、子ども自身が何かを発見する機会はもっと増えるはずだ。
例えば、「98+27」なんて問題があっても、筆算を知っている子は何も考えず機械的に筆算の式を書き、1の位に5と書き、1繰り上げて、1+9+2をして12と書くのだろう。この作業の間に、「125」という数をまとまりとしてイメージした子は恐らく皆無に等しいだろう。

けれど、筆算を知らない子にこの問題を出してみたとしたらどうだろう。もちろん予想でしかないが(まあ、うちの子達はこのあたりは全て暗算でできるようにならなければ筆算をやらないので、実際そうなっている子は多いが)、何か工夫できないかと考えるのではないか。

98はあと少しで100になるということに気づく子も出てくるだろう。
「98を100にするために27から2をもらおう」と気づく子がいたら、それは本当に素敵なことだ。27は2あげれば25なのだから、あとは100+25を考えればいい。

100になることを思いつかなかったとしても、別の子は90と20で110、8と7で15だから、110は100と10、15は10と5だから、100と20と5で125なんて考えるかもしれない。

もしかしたら、98を100、27を30と考えて、100+30で130。けど、2と3は足しすぎたから、減らさなきゃと130から5をとる子も出てくるかもしれない。

そういう頭の使い方をした子たちは、仮に後で筆算をやったとしても、突拍子もない答えを書いて平気でいることはないだろうし、概算や計算の工夫まで身につけてしまうかもしれないではないか。

早々に筆算を教えるということは、そんなチャンスを全て奪っているのかもしれないのだ。
あれこれ試行錯誤させる機会を教える側が奪っておきながら、学年が上がって、計算の工夫ができないだとか、概数の計算ができないだとか言ったって、そんなのは当然といえば当然なのではないのだろうか?

もちろん、教科書に出てくるのだから、教えないわけにはいかないだろうし、実際これを書いたところで何を変えられるわけでもないのだが、少なくとも先取り教育をさせておられる親御さんには知っていてほしい。
ろくに何も考えず、テクニックだけ身につけて計算ができるようになったって、それにはほとんど何の意味もないということを。

もちろん、今の学校教育は授業時間が減ってしまっている分、じっくり時間をかけて指導するということが難しくなっている面もあるようだから、学校で習うより先に余裕を持ってという気持ちはわからなくもない。
しかし、せっかく先に始めるのであれば、どんどん進むことを目指すのではなく、子ども自身がたっぷり試行錯誤して、答えを導き出す過程に付き合ってやってほしい。

子ども達を見ていて、そんなことを考える。

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コメント

暑中お見舞い申し上げます。
先週から、小5愛娘の筆算好きに、参っております私は、今日のTOH先生の日記にも大いに納得してしまいました。
何しろ娘は、(こだま先生のブログに相談いたしました(>_<)。)2.5+2.5ですら筆算をして、=0.25と、答えるのですから~。今は、療養期間??の様に、ものさし片手に、毎日少しずつ取り組んでいます。やはり、学校の授業が有ると授業の中、又筆算の宿題は欠かせませんから、どうしても、丁寧にイメージが作れない様な気がします。昨日も、ガソリンが値上げになった事を、日記に書かせて(自ら、書いて欲しいのはやまやまなんですが~~)さて、いくらでしょう~?と、母が問題を出してみましたが、娘は「全くわからない~」では、牛乳(大パック)を3本でいくらでしょう?を、出してイメージ作りに頑張っております。ガソリンの筆算はやはり見事に○○万円の答えが出て、母「こんなに支払えないよ」と、言ってしまいました。日常、色々と気をつけてはいるのですが、なかなか、真の勉強が出来ていません。折角の夏休み、子供達が各々の不思議を経験して欲しいな、と、心から願っています。先生もご自愛下さいませ、失礼いたします。

投稿: だまた | 2006年8月 2日 (水) 14時30分

だまたさんこんにちは~。
コメントありがとうございます。
すっかり真夏で毎日暑いですねぇ。暑さのせいか(いや、実は関係
ないかもしれませんが。。。)最近はボケが激しくなっている模様。
かなり不安です。(苦笑)

小数は長さだとまだ多少イメージしやすいかもしれませんね。
2.5+2.5も2.5cmと2.5cmで表せば、
2cm5mmと2cm5mmですから、少し思い浮かべやすくなるのでは。
ま、0.5が1の半分だと判れば簡単なんですけどね。

お互い頑張りましょう。
それでは、だまたさんもご自愛くださいね~。

投稿: TOH | 2006年8月 2日 (水) 15時40分

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