簡単な方法・難しい方法
先日、ある女の子とのレッスンで、彼女が私にとっては極めて不思議な作業をしているのを見つけた。
彼女とは春から一緒にレッスンするようになったのだが、それまではプリント反復塾に行っていたらしい。とても可愛くて一所懸命な子なのだが、頭の柔軟さという点では少し気になるところがある。
その子とは、最初にお母さんとお話をして、復習も兼ねて教材の初めの方からひと通りやろうということになっていたため、学校で既にある程度学習済みの「長さ」のところを一緒にレッスンしていたときのことである。
長さが5つ書かれていて、それを長い順に番号を打つ問題をやっていたとき、彼女が私に尋ねた。
「1メートルって何ミリ?」
なんだか意外な質問だったので、この問題を解くのになんでそんな、ことを考える必要があるのだろう?と思いながら、もう一度プリントを見ると、「4cm5mm、47mm、1m、4cm6mm、6cm2mm」というような感じの問題に小さな文字で「45、47、・・・、46、62」と、1mの上だけ空けて4つの数字が書かれていた。
当然お分かりだろう。彼女は全てを「mm」の単位に直そうとしていたのだ。
誰がどう考えても1mが明らかに突出して長いにも関わらず、そんなことには全く考えが及んでいないようで、その結果がさっきの質問だったのだ。
「1メートルをミリに直さなあかん?」
私がそう尋ねると、彼女の口からはこんな言葉が出た。
「だって、お母さんが小さい方に単位を揃えなさいって教えてくれたから。」
そこでまたハッとした。
そういえばそうだった。。。長らく忘れていた。。。確かに学校などでは単位は低い方(小さい方)に揃えるように習ったような気がする。ということは、賢いお母さんであれば、それを忠実に覚えていてお子さんにそう指導するのだなと。。。
それはお母さんが悪いわけじゃないし、もちろん彼女も何も悪くない。おまけに、仮にそれが無駄な作業であろうとも、1メートルをミリに直したら、一目瞭然、それがダントツに長いことがわかるのは事実だ。だから、その方法が間違いだということはできない。
しかし、伊藤先生に出会ってから頂いたご指導の中に、「単位は大きな方から見る」というものがあり、実際、大きな方に揃えようとすれば、数は小さくなり、計算だって楽になるのだ。
大きな方を意識するようになれば、例えば先ほどのような問題であれば、メートルの単位に届いているものがあるかどうかを見る。すると、1mだけが届いているとわかるので、それが1番である。次はセンチになる部分だけに目をやる。すると「4、4、4、6」となるので、その中では6が一番長いことがわかる。つまり2番だ。
残りは全てセンチは「4」なのだから、ここで初めてミリの部分に目をやればよくなる。あとは見間違い、書き間違いさえしない限り、極めて簡単な問題だ。
これは量の問題に限らず、数の大きさ比べをするときでも同じことで、数であれば、きっとほとんどの子が特に意識もせず上の位から見ているのではないかと思う。
例えば、「2456、3257、2557、4252、879」こんな5つの数があったとしよう。
もしこれを1の位から見ていくような子どもがいたら、この問題は途端に難問になってしまうことだろう。
けれど、千の位から見ていけば簡単なものだ。
数であれば大きな方から見ていくし、その方が簡単なのに、単位になると全てを揃えなければという発想が出てきて、揃えるためには小さい単位に揃えなくてはならず、気づけば数が大きくなってややっこしくなっていくのだ。
結果的に「量」に関わる単位換算の問題が苦手になる子が多いのもますます頷ける。
ただ、やはり根本的な問題は長さや重さ、かさなどが実感できているか、イメージできているかというところに行き着くのだとは思うが、例えば「2532ml」を見て、リットルマスが2個、デシリットルマスが5個、残りが32ミリリットルといった具合に捕らえられる子にとっては、仮に「2532ml-1l(リットル)6dl40ml」なんていう問題があったとしても、まずリットルマスが1個なくなって、次にデシリットルマスは5個しかないけど6個取らなきゃいけないから、リットルマスから1個分とったら残りがデシリットルマス9個。32ミリリットルから40ミリリットルをとろうとしてもあと8ミリリットルとれないから、デシリットルマス1個からとるので、デシリットルマスが8個と残りが92ミリリットル・・・。そんな風に頭の中だけでも考えることが可能だ。
しかし、最初からミリリットルに揃えたら、あとは機械的に筆算をするぐらいで、量をイメージしなくたって答えは出せる。ただ、それがどんな量なのか頭に思い浮かべることはないから、答えが間違っていても気づかないことも少なくない。それに、4桁-4桁だから、算数が得意な子でなければ、頭の中だけで計算するのはちょっと難しいだろう。
まあ、考えようによったら、やり方を覚えて単位を揃えれば、筆算すれば答えが出るんだからいいじゃないという意見もあるだろう。もちろん、そういう意見の方にむきになって反論するつもりもないし、それもひとつの価値観だと思う。
ただ、私は関わる子ども達を「イメージできないで、機械的操作だけで答えを出す」ような子どもにしたいとは思わないだけだ。
また、暗記しただけの単位換算は往々にして忘れやすく、子ども達は何度も尋ねるのだ、「1キログラムって100グラム?」「100ミリリットルは1リットル?」という具合に。だからこそやはり「実感すること」が大事なのだ。
伊藤先生がおっしゃったことで妙に納得したことがある。学校での指導は一般に学力がバラバラの子達をまとめて30人なり見なければならない上、学力が低い子でも理解できる方法を選択するしかないのだと言われれば、多くの方が納得されるのではないだろうか。
そのため結局、暗記であるとか、なるべく頭を使わなくていい方法であるとか、細かく細かく部分に分けた一部分だけを提示するとかそういう方向へ行かざるを得ない面はやむを得ない気がする。ただ、その方法が優れているとはいえない場合が少なからずあるということを心に留めておいてほしいと思う。
ちょっといただけない喩えだが、伊藤先生の強烈に印象に残る言葉がある。
人間を手だけ、足だけと部分に分けて、それを全部合わせたら人間になるかといえば、それはバラバラ死体だと。
そういえば、何かで読んだことがある。目の見えない人たちが象に触って、ある人は長い鼻の部分を、ある人は太い足の部分を、ある人は細いしっぽを・・・そんな風に一部だけを触り、「これが象ですよ」というと、みんな実際の象とは全く異なるものを思い描くというようなお話。
要するに、何かを指導するときにも、まず全体像を見せ、全体の中の一部分がここなのだという風に持っていかなければ、部分を集めて全体を捉えることは困難だということを先生はおっしゃっていた。
細かく分けるのではなく、全体から、大きな方から見る。
それを意識することは、算数を苦手にさせないひとつのヒントかもしれない。
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