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2006年6月 2日 (金)

子どもへの口止め

多分私も幼い頃、母に言われたことがあるような気もしなくはないが、少なからぬ世のお母さんが子どもに向かって「これは人に言っちゃダメよ」と口にしてはいないだろうか。

例えば、夫婦喧嘩をしたときに人様に知られるのが恥ずかしくって
「○○ちゃん、ママ達が喧嘩してたのはみんなには内緒ね。」
みたいな口止めをすることもあるかもしれないし、ついついお隣の人の愚痴を言ってしまったのを子どもに聞かれて
「○○くん、今言ったことはお隣のおばさんには言っちゃダメよ。」
なんていうこともあるかもしれない。

お家の中でついやってしまった恥ずかしいこと、知られたくないことを口止めするのはまだ可愛いことのような気がするが、私が時々出会う、子どもにとって可哀想な口止めがある。

わかりやすい例で言えば、大量の機械的反復学習はさせないことをお願いしているのだが、量の少なさが不安なのか、お家やそのほかのところで色々反復させておられるご家庭がたまにある。

そんなとき、それをお子さんに口止めされることがあるのだ。
以前から書いているけれど、子ども達はお母さんが大好きだ。お母さんの言いつけは一所懸命守ろうとする。言ったらダメと言われたことは極力言わないように努力するのだ。

しかし、じゃあなぜ私にそれがわかるかというと、これまで何人かの子たちが私にこう言ったからだ。

「お母さんが言っちゃダメって言ってたから。」

子どもは本当にけな気だ。言ったらダメと言われたということを答えてくれる。決して口止めされたことそのものを認めたり、しゃべったりはしないのだ。自分の答えが大人にとっては肯定と同じことだとはわからずに、必死でお母さんとの約束を守ろうとするのだ。

もちろん、ごく稀にそういうことがあるだけなのだけれど、私の小さな教室でさえ稀とはいえそういうことに出会うということは、世の中にはそんな例は沢山あるということなのではないかと思うのだ。

「お母さんが言ったらダメって言ってた」といった子のお母さんにその話を私からすることはない。せっかく本人が必死で約束を守ろうとしているのに、私がそれをお母さんにいうことで、万一その子が「言ったらダメって言ったでしょ!」と怒られたりすることがあっては可哀想過ぎるからだ。

けれど、考えてみてほしい。そもそも、幼い子に口止めをすること自体、大抵の場合無意味だ。子どもは言っていないつもりでも結果的には相手に伝わってしまう確率は低くないと思う。

もちろん、何か約束を守ることは大切なことだ。けれど、無意味な口止めは子どもにいい影響を与えるようには思えない。
ならば、最初から口止めなどしない方がずっといいように思うのだ。

わかりやすいよう、教室の子どもとの例で書かせてもらったが、子どもに伸びやかに幸せに育ってもらいたいと願うのであれば、何かを口止めする前に一度考えてみてほしい。それは本当に口止めすべきことなのかどうか。口止めさせなくてはいけないようなことなら、それ自体をしなければいいのではないかと。
考えた上で口止めが必要なことであれば(例えば、身内が病気だけれど、人に心配をさせないために治るまで言わないようにとか、そういうことは他人への配慮でもあるし、いいのかもしれない。)すればいいと思う。

お母さん達にお願いしたい。
大切な子ども達の小さな心が不必要に痛まないためにも、無意味な口止めはできるだけしないであげてほしい。
私はそう願っている。

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