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2006年6月26日 (月)

ワールドカップと日本代表

日本代表にとってのワールドカップは終わった。

実は私は小学生のときサッカー部に入っていて、中学に入ったらサッカー部に入るのだと決めていたのに、「女子はダメ」といわれて泣く泣く諦めたようなヤツなので、スポーツの中ではサッカーはもしかしたら一番好きな競技かもしれない。

もともとは観戦より自分でプレーするほうが好きだったので、高校までは運動部に所属していたが、大学で体育会のマネージャーをして以来、プレーする人を応援するという立場になり、その後はスポーツとほとんど縁のない生活になってしまった。

それでも根が体育会系で、チームワークとか、何の儲けにもならないようなことに必死で努力して、勝ったらみんなと共に喜び、負けたら共に泣き。。。そんな世界が今でも大好きだ。

ただ、もともと直接知らない人に対してあまり夢中になれる方ではなく、例えば高校野球などでもかつて一度も思い入れのあるチームはなかったし、どの試合でも負けて泣いている子達の姿を見ては涙してしまうような感じで、結局どんなスポーツでも、とりわけどこかのファンとかってこともない「熱くない」人間だ。

そんなだから、サッカーも普段Jリーグなどの試合は見ない。どこにも思い入れがないので、応援する対象がないからだ。
けれど、日本代表だけは「日本チーム」というはっきりした応援対象があるので、結局今回の予選も見られる限り見た。

結果は選手達にとっても監督にとっても不本意なものだったのだろう。
実際、ブラジル戦の後半など、もう大人と子どもぐらいの差があるようで、それは精神面なのか、体力面なのか、技術面なのか、はたまた全てを総合して足りないのか、その辺は私にはわからないけれど、ブラジルはまだ高い高い壁のように感じた。

けれど、予選が終わった後、監督を批判する報道や、選手を非難する報道をいくつも目にした。
驚いたのは、終了した翌日だったかに日本サッカー協会に抗議や苦情の電話が100件以上寄せられたというニュースだった。

なぜだ?

確かに彼らは「日本代表」のチームには違いない。サッカー選手の中からものすごい高倍率をくぐりぬけて選ばれた精鋭たちだ。もちろん、予定していた選手が故障したり、思ったほど力を発揮できなかったり、累積警告で出場できなかったりと、誤算は色々あったにせよ、現時点で日本中にどれだけいるかわからないサッカープレイヤーの頂点の選手達なのだ。

彼らの中にはもちろん「日本のため」と思う気持ちはなかったとは言えないだろう。けれど、本来、彼ら自身が日々努力をし、練習し続けた結果、自ら手に入れた「代表の座」なのであって、その晴れの舞台で結果を残せなかったことは、他の誰でもなく、彼ら自身がもっとも悔やみ、悲しんでいることなのではないのか。

ただ傍で見て、好きに批評している人間に彼らを責める権利などあるのだろうか?そんな文句を言うなら、あなたはそれ以上に何か努力をしているのか?抗議をした人たちに私は尋ねたい。

本気で頑張った人間は、結果を残せなかったとき誰よりもショックを受け、悲しむ。それはスポーツに限らず、勉強でも同じことではないだろうか。

適当に勉強してテストの結果が悪くたって、大してショックも受けないし、「あんまり頑張ってなかったもんなぁ」と言い訳もできる。
けれど、必死で自分の限界ぐらいまで頑張ったのに、テストの結果が悪かったとき、そのショックは明らかに大きいはずだ。

私は、監督も選手達も頑張ったと思う。
特に、何かと話題にのぼるヒデなどは、誰も批判などできないのではないだろうか。

個人的には、ほんの数年前までは日本がサッカーでワールドカップに出られるなんて夢のような話だったはずだ。「ドーハの悲劇」を乗り越え、大会に出場できるようになった、そして、世界の競合とある程度は肩を並べてプレーできるようになった。そのことは何より素晴らしいことなのではないか。

人間の欲望は尽きることを知らない。
少し前までは「夢」だったことも、手が届いた瞬間、過去になり、また新たな「夢」が生まれる。それはそれでいいのだろう。
けれど、繰り返された批判報道に、正直ちょっと疑問を感じる。

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