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2006年6月 1日 (木)

佐世保の事件の手記

昨日ネットのニュースで佐世保の事件の被害者と加害者それぞれの父親の手記が公開されたのを読んだ。

被害者のお父さんは毎日新聞社の方だったこともあり、事件直後から何らかの手記を何度か発表されたように思うけれど、加害者側からの手記が出たのはこれが初めてのようだ。

あの衝撃的な事件からも随分時間が経ち、私の中での記憶はかなり薄れてしまっていた。あの事件の直後には加害者の家庭に問題があったのだろうと思っていた。

もちろん、子どもが犯した罪の責任は親にもあるだろう。どんな理由があったにしろ、結果的に我が子が人の命を奪ったのだから、その子の親は何の責任もないというのには無理がある。

しかし、手記を読んで正直言って驚いた。もちろん、書かれたものからわかることだけで判断するのは軽率かもしれない。書こうと思えばいくらでも嘘を書けるのだから。

ただ、あの手記を読んで、お父さんが嘘を書いておられるような印象は受けなかった。そして、書かれている内容が全てお父さんにとっての真実なのだとしたら、事件直後、お父さんご自身が本当に信じられなかったに違いない。

もちろん、自分を振り返ってみても、小学6年生頃といえば、もう親に内緒のことも色々あったし、何でも正直に答えていた訳ではない。親に見せる顔と友達に見せる顔は違っていただろうとも思うから、お父さんは子どもの心の底に潜む何かに気づけなかったということなのかもしれないが、少なくとも手記から感じられるその家庭の風景は、親子の会話がないわけでも、親が子どもに過重なストレスを与えていたわけでもないように思える。

だとすると、一体なぜなんだろう。

一時、この本を取り上げたばっかりにちょっとややこしいことになりかけたけれど、ゲームの恐ろしさを挙げた岡田氏の著書のことがまた頭を過ぎった。

そしてまた別に、適応障害などの何らかの障害によって、突発的にそういうことをしてしまう場合があるというようなこともいくつかの本で読んだけれど、そういう障害は親が早い段階で気づいて適切な対処をすれば症状が軽くて済んだり、殆ど治ってしまうこともあるようだけれど、対処を誤ると悲しい結果につながることがあると書かれていたことも頭を過ぎる。

加害者の彼女が果たしてなぜあの事件を起こしてしまったのか、それはいつの日か本人の言葉で伝えられることがあるのかもしれないし、本人以外に本当の理由はわからないだろう。だから、あれこれ考えても仕方のないことなのだけれど、今回の手記はなんだかすごく考えさせられるものだった。

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