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2006年6月16日 (金)

ヒントを出すのは優しさか?

子どもが何かの問題で考え込んでしまったとき、側にいる大人はすぐに手を差し伸べようとはしていないだろうか。

私自身、数年前までは明らかにそういう人間だったし、わからなくて悩んでいる子に手を差し伸べるのが優しさなのだと疑いもしなかった。

けれど、今は違う。
もちろん、ヒントが必要な場合はある。本当に手も足も出ない子に「自分で考えろ!」というのであれば、少なくとも教室にきてもらう意味がない。
けれど、まだ考えている途中なのに、ちょっと立ち止まったのを見ただけでヒントを出すのは絶対に避けなければならないと思っている。

どんな状態ならヒントを出し、どんな状態なら出さないかの判断は正直言ってまだまだ難しい。けれど、子どもの表情を見ていると、何かを考えているのか何も考えられず止まっているのかはある程度判断ができる。
それに、どうにも判断がつかないときには、ヒントを出す前に尋ねてみるのだ。「まだ考えてる?」とか「何かヒントほしい?」とか。

考えている最中の子どもにヒントを与えるのは絶対避けたい。それは優しさどころか子どもの才能を潰すようなものだ。
考えてみてほしい。クイズを出され、その答えをあれこれ必死になって考えているとしよう。あと少しで答えが出そうだというときに、横から頼んでもいないのにヒントを出されたらどんな気になるだろう。大抵の人は「あぁ、あと少しで答えが出るところだったのに。。。」とがっかりするか腹を立てるのではないだろうか。

それは子どもだって同じはずだ。クイズなどの娯楽に限らず、勉強だって同じことだと私は思う。

仮に、もし「うちの子は考えることに楽しみを見い出しているようには思えない」という方がおられたら、それまでの育て方を振り返ってみてほしい。もちろん、育て方といっても家庭に限らず、もし幼くして詰め込み式の塾などに行っているような場合も、子どもに大きな影響を及ぼすことがあるだろう。

健やかに育ってきた子であれば、基本的にみんな、あれこれ考えることは楽しいと感じるはずなのだ。その興味の芽をいかに枯らさず、摘み取らずに育てるかが子どもの学びにとって何より重要なのではないかとさえ思う。

それは幼い子であれば、尚更意識しておいてほしい。

最近はお子さんの数もひとりかふたりというご家庭が多くなってきているし、その分ひとりひとりの子どもにかけてやれる時間というのも増えているだろう。だから、可愛い我が子が何かでちょっと立ち止まっていると、すぐに手を差し伸べ、時には手を引いてあげてしまうのではないだろうか。しかし、それによって失われるものはあまりにも大きいのではないだろうか。

もちろん、育児の面で放任しろとか無視しろとかいっている訳ではない。いくらでも抱きしめ、言葉をかけ、愛情を注いで育ててほしい。
ただ、「学び」に関しては手を貸すのをできる限り堪えてほしい。以前にも書いたが、洋服のボタンを留めたり、靴の紐を結んだり、そんなことをやらせもせずに手助けするのは決して愛情ではないと思うのだ。その延長に、何かを学ぼうとする子どもが立ち止まっているときにすぐに手を貸してしまう状態が出来上がってしまうのかもしれないが、子どもが大切であれば尚のこと、そこはぐっと堪えてほしい。

教室に来ている子達の中で、小さくても自分の頭でよく考えているなと思う子達は皆、ヒントを出されるのを嫌う。せっかく考えているのを邪魔されたくないからだ。そして、本当にお手上げのときだけ必要な分だけのヒントを求めてくる。だから一層賢くなっていくのだ。

皆さんも、可愛い我が子にすぐに手を貸し過ぎてはいないか、一度考えてみて頂けると嬉しく思う。

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