ジレンマ
また泣かせてしまった。
ときどきブログに登場する高学年の男の子。来てくれた当初よりは明らかに伸びているのは感じるのだけれど、それでもやはり、よく考えもせずなんとなく答えを書いてみたり、ちょっと考えてわからなければすぐに投げ出そうとしたりする傾向は、他の子どもに比べて強い。
それが性格的なものなのか、過去繰り返してきてしまった機械的反復学習による後遺症なのかの判断がまだはっきりとつかない。
今日、表を使って変化の仕方を発見し、それに基づいて答えを求める問題をやっていた。初めに何問か類題をやったあと、そのほかの問題は一度宿題として考えてきてもらってから、できていないところを一緒にやるようにしているのだが、大人と子どもの人数を求めるような問題に彼は平気で「17.5人」と答えを書いていた。電車に乗るという設定なのだから、人間を切り刻むわけがない。0.5人といわれた大人は体半分どうするんだ?という話だ。
ちょっと考えたらわかりそうなことに気づかないと私は悲しくなる。時には不機嫌にもなっているかもしれない。
少なくとも、低学年から見ている子たちは計算上人間を半分にするような答えが出てしまったら、その時点で何かおかしいと考え直すに違いない。
また、別の問題では8回のテストの合計点を求める問題に「1860点」と書いていた。8回で1860点を取るには、ひとつのテストが200点満点でも無理な話だ。もちろん、その問題は出題自体100点満点のテストだったので、普段の経験から考えても、テスト8回なら満点をとっても800点であることに気づくはずだ。
しかし、彼はそれにも気づかず、そのまま答えを書いている。
それを見て私は、また悲しい気持ちになる。
この子はどうしてほしいんだろう。。。
これまで彼が機械的反復学習塾や某有名受験塾でされてきたであろう、公式に当てはめて大量の問題を解くという方法をさせてやれば、彼は笑顔でいられるのかもしれないと、そんなことを何度も何度も考え、私は何をしているんだろう、彼のためと言いながら、彼をいじめているだけなんじゃないんだろうかと、どんどん苦しくなっていく。
間違いなく、彼は苦しいはずだ。考えることに慣れていない子、考える方法を知らない子に「考えろ」というのは、もしかしたら無責任なのかもしれない。
ただ、私はもう同じことを繰り返したくないのだ。新しい単元ではまず初めに説明をし、公式を覚えさせ、それを使って演習をさせたあと、定着のために何度もその問題を繰り返させる。
しかし、少しパターンが違えば、またその解法を覚えなければならないし、公式を忘れたら解く方法はなくなる。
そんな指導をもうしたくないのだ。
黙ったまま泣きそうになっている彼に、喉元まで出掛かっていた言葉。
「やり方全部教えようか?それを覚えて使う?」
本当に言おうかと思った。隣りで悩みながらも問題に取り組んでいるもうひとりの子。その子はどんな方法であっても答えに辿り着こうとする姿勢ができてきた子だ。その子の隣りでそれを口にしていいのか、何度も頭の中で繰り返し、結局その言葉は飲み込んだ。
代わりに彼に言った。
「もし、これまでずっとよそでやってきたみたいに、公式を覚えて当てはめるってやり方の方が俺はいいっていうんだったら、そんな塾はたくさんあるから、無理してここにこなくていいよ。
あなたはいじめられてるように思ってるかもしれないけど、私はあなたのことが好きだし、好きだからこそ賢くなってほしいと思ってる。だから、賢くなるとは思えない方法を私があなたにさせることはできないの。
けど、習ったことを覚えて、それを使ってってことをきちんとやれば、高校受験ぐらいまでは何とかなるよ。実際そんな子はたくさんいる。そうやって神戸高校に行った子もいるよ。
だから、あなたが選べばいい。もしお母さんに言いにくいんだったら私がちゃんと話してあげるよ。○○くんにはそういう塾の方が合ってると思いますって。」
彼は黙ったまま、少し泣いた。
彼の涙の意味はわからない。
しばらく黙ったままじっとしていたが、そのうち問題を解き始めた。
彼とのこんなやりとりは何度目なんだろう。私はこの先一体あと何度彼を泣かしてしまうんだろう。
これは本当に彼のためなんだろうか。。。優しく手取り足取り教えてあげれば、彼が笑顔でご機嫌でいられることはわかっている。わかっているのに、それをしないのは本当に正しいのか。。。
何度も何度もジレンマに陥る。
けれど、決めたんだ。もう後悔はしないって。同じことは繰り返さないって。
あとは彼が決めることだ。
泣いてでも、むっとしてでも、それでも問題を考え続ければ、きっといつか「考える」ということがどういうことか実感できるときがくるはずだ。そうなりたければ、彼はここに通い続けてくれるだろうし、そうでなければ、さびしいけれど彼を見送ろう。
彼はどんな決断を下すのだろうか。
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コメント
大変差し出がましいのですが、彼の状況を大変痛ましく感じられたので少し書かせてもらいます。 彼が非常にいい子で従順である可能性があり、もともと、親にとってのよい子でいたいがために状況を無難にこなすことだけをやってきていたなら。また、今まで、課題を一方的に与えられ、それをこなすことだけをしてきた彼なら。彼自身がどうしたいいか(どうしたら、周囲の人が喜ぶのか)が分からない状態になっている。言い換えると、自分がどうしたいか、よりも、この状況をどうしたら、周囲が納得するのかに判断基準があるように思われる。そんな彼に、ここでやるか、ほかの塾を選ぶかの判断を求めるのは少し酷ではないでしょうか。自分がどうしたいかより、先生に悪い、親に悪いという気持ちが先にたってしまい、周囲が納得する答えのみを探してしまっているのではないでしょうか。結局は彼が本当に興味を持って取り組めないなら、何をしても同じ結果になってしまうような気がします。
そちらでの事情を把握していないまま、勝手な意見を書きました。以上のような可能性も承知しておられたならお詫びいたします。
投稿: 虹の父 | 2006年6月29日 (木) 13時01分
虹の父さんコメントありがとうございます。
貴重なご意見心より感謝いたします。
彼は男ばかり4人兄弟の末っ子でお母さんは朗らかないい方です。
「親にとってのよい子」を意識している子は悲しいかな教室
にも何人かいます。が、私が感じ取れていないだけかもしれ
ませんが、彼はそういうタイプではないように感じています。
おっしゃってくださったことはとても大切なことだと思いますし、
私も一層意識していかねばならないとも思いますが、もし仮に
周囲の顔色を見て、自己主張をしないタイプの子であった場合、
そういう子に少しずつでも自分の意見を言える子になってほしい
と思うことは傲慢なことでしょうか?(因みに彼は甘え上手で
周囲に何でも自分の要求をニコニコ言い放てるタイプですが。)
虹の父さんに反論しているのではなく、純粋に迷っているのです。
一生周囲の人間の顔色を伺って生きていくのは、自らの人生を
生きているとは言えない気がして。
けど、それは「家庭の問題」、「個人の問題」として見ないふり
をしていいのかどうか、私自身結論が出ません。
これからも何かおかしい、間違っているとお感じになられたら
いつでもご意見お待ちしております。
ありがとうございました。
投稿: TOH | 2006年6月29日 (木) 13時19分
自覚がないままに親の意向を汲み取ってしまう、親にとっての良い子。本来の自分を認めてもらえないための、自己肯定感の不足。不十分なアイデンティティーの確立。このへんのキーワードが自分自身にとってタイムリーな内容であるため、問題をこれらに帰着させようとする傾向があり、前回のコメントは偏った意見となっているかもしれません。しかし、その方向でさらに意見を書かしてもらうと。
>お母さんは朗らかないい方です。
因みに彼は甘え上手で周囲に何でも自分の要求をニコニコ言い 放てるタイプです。
この環境に対しても、親が自分の意見を曲げないようなタイプの場合、家庭内では知らずに理想の人間像を押し付けていたり、また本人が甘え上手なのはそうすることで周囲が良い反応を示すのを無意識に認識しているからかもしれません。
もしそうなら、将来的に彼は自己の喪失に対して強い失望感を抱くことになるかもしれないですね。
そこで、私たちに何が出来るのでしょうね?
ご両親の協力は不可欠だと思います。教室でも、彼の意思や興味を引き出すようなアプローチが良いのかも知れません。
先生の言われているように、教室を一旦やめるのも選択の一つですよね。
どこまで家庭に首を突っ込んで良いのか、教室として子どもの幸せをどこまで望めるのか。非常に難しい問題ですね。
以上、再度感じたままを書きました。
TOH先生も何も気にせず、感じたままの意見をいただければ幸いです。
投稿: 虹の父 | 2006年6月30日 (金) 12時32分
虹の父さんこんにちは。
長文のコメントありがとうございます。
個人情報になりますので、この子の学年や家族構成、性格など
これ以上詳しくブログ上に書くことはできません。
虹の父さんのメールでもわかればと思いましたが、残念ながら
わかりませんので、このことに関してこれ以上ここでのコメント
は差し控えさせて頂きますね。
貴重なご意見、有難く頂戴致しました。
投稿: TOH | 2006年6月30日 (金) 14時26分