少しの安堵と少しの後悔
以前、「子どもの残業」というタイトルでブログを書いた。
その男の子のことがこのところずっと気になっていた。
3月に聞いたときより明らかにすごい数の習い事を掛け持ちしているらしかった彼は、見ていて心が痛くなるぐらい集中力を失い、後から入ってきたお友だちに見る見る追いつかれ、けれど本人はきっぱりと最難関の中学を受験するのだというのだ。そのために小学1年生にして既に沢山勉強をしなきゃいけないと思っているのだ。
しかし、まだ幼い彼にこちらではAの方法、あちらではBの方法、更に他所ではCの方法と、色々なものを一度に与えられたら、混乱して伸び悩むのは当然じゃないのだろうかと思っていたが、「のんびり屋で集中力がないでしょう。。。」とおうちの方は嘆かれた。
このところ体調も優れないようで、風邪を引いてお休みしたりということもあって、これは近いうちにこちらから言わなくてはいけないのかなと思っていた。
ただ、仮にここを辞めたとしても、その時間をのんびりする訳ではなく、恐らく何か他のお勉強にあてがうのだろうとも思ったので、切り出してよいものかを悩んでいた。
しかしこちらから切り出すまでもなく、秋頃までしばらくお休みしたいという連絡が入った。
きっとそれは「お休み」ではないだろう。可愛い子だったから、彼に会えなくなるのは淋しい。
それでも、このまま通ってもらっても、正直言って恐らく殆ど効果が出ないだろうと思っていたから、淋しいながらもこちらから切り出さずに済んだことに少しだけホッとした。
何度も書いているけれど、私はずっと公立育ちだったから、受験らしい受験といえば大学受験ぐらいだった。(高校も受験はしたけれど、必死で勉強をしたという感じではなかったし。)
そして、教室をしている今も、もし本当に週に3日も4日もお弁当まで持って長時間塾に行き、およそ小学生とは思えない時間帯に帰宅し、深夜に就寝しなければ合格できないのであれば、中学受験の指導をしたいとは全く思っていない。小学生の間にはもっと優先すべき大切なことがあるはずだと思っているからだ。
ただ、もちろん、「中学受験は素晴らしい」「人生において大きな意義がある」とおっしゃる方がおられることもわかっているし、中学受験をして、今素晴らしい人生を歩んでおられる方も大勢おられることだろう。
それに、今通ってくれている高学年になった子達は仮に受験をしますと言ったとしても、それに耐え得る能力やセンスを身につけてくれていると思うので、彼ら彼女らが所謂「受験塾」に行ったとしても、それはそれなりにやっていってくれるようにも思う。
直接受験指導をする気はないけれど、中学受験をする子であれば3年もしくは4年までに私のできる限りのことをして、詰め込みや反復に潰されない土台のようなものを作るお手伝いをしたいとは思っている。
だから私は中学受験を否定する気はない。ただ、あくまでも個人的に、色々なものを犠牲にして必死で勉強をしなければ合格できないような難関校を受ける子達の受験指導をしたいと思わないだけだ。(もちろん、経験もないので、しろと言われても満足にはできないのだろうけれど。)
そういう方には実績やノウハウ、情報をいっぱい持った「素晴らしい受験塾」に行って頂けばいいと思っているというだけだ。ただ願わくは、低学年の間には詰め込みや反復ではない学習をさせてあげてほしい。しかし、そういう場はまだ限られているようだから、私はそのひとつでありたいのだ。
うちの教室には入室テストも成績による線引きも存在しない。これまでは通いたいと思ってくださる方は基本的に皆さんお受けしてきた。
ただ、しばらく前から考えていることがある。
現状の成績がいくら悪くても本人にできるようになりたいという気持ちさえあればお断りしないのは今後も変える気は全くないし、もっときちんと考えた上で「入室基準」のようなものを文書にしたいと思っているが、とにかく私がしたいことは「子どもが幸せになるためのお手伝い」なのだ。そのお手伝いができそうにない場合には正直にそれをお伝えしようと思う。
ただ、もし私がもっともっと勉強をしていて、彼のおうちの方にもっと強く自信を持って色々なことをご提案できる人間だったら、私にもお手伝いできることはあったのだろうと思うと、自分の未熟さが悲しい。
彼の未来が幸せなものでありますように。
○○ちゃん、お役に立てなくてほんとにごめんね。
| 固定リンク
« 分数をイメージする・解答編 | トップページ | 鳩 »
コメント