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2006年5月23日 (火)

「なんとなく」

先日、ケーキの大きさのことでメールをくれた友人が、私のブログを見て愛娘ちゃんに、なぜ4分の1.5を8分の3と思ったのかを尋ねてくれたそうです。

その答えにまたも感動。。。

彼女の答えは「何となく」だったそうです。
ただ、その「何となく」がすごくって、頭に円を思い浮かべてその大きさをイメージしたとき、4分の1.5には違和感があったということなのだそうです。

確かに、頭で思い浮かべたら、4つに切ってあるものの1個半の大きさだから、それを「4つに分けた」ということは不自然です。けれど、それを彼女が的確に言葉で説明できるかといえば、まだ4年生ですからうまく言えなくても不思議はありません。
けれど、間違いなく彼女が言っていることはそういうことで、何よりすごいのはそこに違和感を感じるということです。

実は、うちの教室のスーパーな子達は、しばしば「何となく」とか「多分こうやと思う」とかいう表現で、うまく説明はできないにも関わらず、かなり難しそうな問題でも正解を出すことがあります。
その姿を見ながら、きっとこの子達の頭の中には、数字を見たら何らかの量や大きさとして思い浮かぶものがあり、それを頭の中で操作しているのだろうなと感じます。羨ましい限りです。

教室を始めて間もない頃、宮本先生の作られたパズル教材12冊を1冊目から順に解いていたのですが、その中でそのときの私には、偶然解けるときは解けるけど、どういう手立てで考えていけばいいのかよくわからない問題がありました。

大先生にその問題の考え方のコツをお尋ねしたところ、そのときの大先生のお答えは

「ああ、それはできる人にはできるけど、できない人にはできないんですよ。能力ってのはそういうもんです。」

でした。

そのときの私は(おいおい大先生、そりゃないよ。。。)って気分だったのですが、今では先生のおっしゃる意味がわかるような気がします。

例えば、歩けるようになった子どもに「なんで歩けるの?」とか「どうやったら歩けるようになるの?」と尋ねてもきっとうまく説明なんてできません。
電車が好きで、駅の名前をものすごく沢山覚えている子に「なんで覚えられるの?」「どうやって覚えたの?」と尋ねたところで、きっと求めているような答えは返ってこないでしょう。

「何となく」とか「知らないうちに」とかそういう答えしか返せないような気がするのです。
そして、それを「能力」と呼ぶのだなと。

結局、その後色々な問題に触れ、そのときにとうとう解けずに放置していた問題数問を1年ぐらい経っておもむろにもう一度考えてみました。すると、できるのです。その間、誰かにコツを聞いた訳でも、その問題を延々と考え続けた訳でもありません。けれど、できるのです。

もし私に「なんでできるようになったの?」と聞かれても「何となく」としか答えられません。強いて言うなら、その他の色々な問題を山ほど考えたからということでしょうか。けれど、それらの問題を解くことが直接的にヒントになった訳ではないのです。多分、何らかの能力が高まったということなのでしょう。

もう脳が衰え始めるぐらいになってからの私でもそんな変化が見られるのですから、まだ頭の柔らかい彼ら、彼女らが、大人の想像を遥かに超えて伸びたとしても何の不思議もありません。

「何となく」というのは、人によってはそんな曖昧ではいけないとおっしゃるかもしれません。
それでも私は目の前にいるこの子達を見ながら、この子達の言う「何となく」は本物の能力の片鱗だと、そう思えるのです。

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