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2006年5月18日 (木)

語彙の少なさ

以前、中3の子が入試も近づいた3学期のある日「本末転倒」の意味を知らないことがわかった。因みにその子は平均より十分によい成績を取っていた子で、普段のテストでもどの教科もまずまずの得点を取っていたのだ。

賢い子なだけに知らないと言われたときの衝撃は大きかったけれど、実はこの仕事を始めてからこれまで、幾度となくそんな衝撃を受けている。

遡れば、もう10年近く前になるが、その頃一緒に勉強していた中3の男の子達としゃべっていたとき、そこにいた子みんなが「達筆」という言葉を知らなかった。
塾に勤めていた頃には、小学6年の男の子が「鉢植え」がなんだかわからないと言ったのにも驚いた。

あまりにそういうことが多すぎて、殆どを忘れてしまっているけれど、これだけ言葉を知らなければ、中学校や高校の現代文なんて、読んでいてもちんぷんかんぷんなのでは?と思うことがしばしばある。

そうは言っても私自身、難しい本が苦手でわかり易いものばかり読んでいるので、恐らくこの歳にしては語彙は決して多くないと思うし、同年代や私より若い方が趣のある言葉や表現を使っているのを見るとしみじみ感心してしまう。

「語彙が少ない」というのは、年長者が見れば自分より年下のものは大抵自分より語彙が少ないと感じるものなのかもしれないが、もし実際にそうなっているのだとすれば、これは結構大変なことかもしれない。

今の若者には私達にはわからないような若者言葉が色々あり、そういう意味ではそれが国語的に正しいかどうかは別として「単語数」みたいなものだけで言えば、もしかするとそんなに少なくはないのかもしれない。
けれど、教科書や試験に出る文章が「温暖化が進み、このままでは地球はチョ~ヤバイ。ホントイケてないよね~。」とか書いてくれる訳ではないので、やはりある程度は国語的に正しい(国語辞典に普通に出ているような)言葉を身につける必要はあるはずだ。

語彙を増やすのにはどうしたらいいか。そんな質問を受けたとしたら、多くの方が「本を読みなさい」というようなアドバイスをするのではないかと思う。
けれど、私のように「読みやすい本」ばかり読んでいても、一定以上に語彙が増えることはない。語彙を増やすには、やはり意図的にある程度難しい言葉が入っている本を読むか、辞書を読むか、年配の方などとお話したり手紙やメールなどのやりとりをするか、そんなことが必要なのではないかと思う。(実際私は叔母と時々メールのやり取りをしているが、叔母の使う言葉はしばしば「へぇ~、そういう表現を使うんだ」とか「どういう意味だろう?」と思わされる。)

普段、私の教室は小さい子が多いので、なるべく難しい言葉は使わずにと意識してきたのだけれど、それも本当はよくないのかもしれないと思う。大人が子どもは知らないかもしれない言葉を意図的に使って、「それってどういう意味?」という機会を増やすことも大事なのではと思うからだ。
中には、大人にとっては他に言い換える言葉を思いつかないようなものでさえ、「それってどういうこと?」と聞いてくる子もいるだろう。そんなときは一緒に辞書を引いてみたり、辞書を引けるよう教えてあげたりすればいいと思う。

国語(現代文)の出題者は、本文で注もつけていない言葉は当然みんな読んだらわかると思っているはずで、その「当然」が当然でなければ、試験の解答をする以前の問題なのだ。けれど、私達は国語に関して、当たり前に使っている言葉であるばかりに、英単語を覚えたり、社会の重要語句を覚えたりするように、難しい言葉を覚えようと努めることは少ない。
けれど、ある程度大きくなって、試験の成績で評価されるようになった頃に焦って努力を始めても、その頃には他にもしなくてはいけない教科が色々あって、なかなか国語に時間を割くことはできなかったりするのではないだろうか。

そんなことを考えてみても、とにかく、子どもの頃から意識的に多くの言葉に触れさせてあげることは大切なのではないだろうか。そんなことを思う。

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