信じる力
もしかすると以前にも書いたかもしれませんが、お母さん方から時々言って頂くことがあります。
「それはきっと先生の教え方がうまいから。」
どんなときにそれを言われているかというと、教室ではスラスラできていた問題をおうちに帰ってやったらできなかったと、宿題のプリントを持ってきてくださった日のレッスンが終わったときです。
これまで何度もそういうことがあり、やっぱりおうちだと緊張感がないとか、甘えの気持ちが出るとかでそうなってしまうのかなぁ?と思っていたのですが、もしかしたらそれだけではないのかもしれないと、最近思うようになりました。
できなかったというプリントを子どもに渡し、どの辺でわからなくなっているのかを見るため、全くノーヒントでやってみてもらうのですが、不思議なことに殆どの子ができなかったはずのプリントを何事もなくスラスラと解いてしまうのです。
「おうちでできなかったの?」とか「なんでできなかったんだろうね?」とか尋ねるのですが、子ども自身もきょとんとしていることが結構あります。
お迎えに来られたときにお母さんに「スラスラできましたよ~」とご報告すると、しばしば上述のようなお言葉を頂くのですが、私はできなかったという子に対して改めて何も指導していないことの方が圧倒的に多いのですから、お母さんがおっしゃることは正しくありません。
教室というところの緊張感や、私という他人、時には別のお子さんの存在などもあって、家ではできなくてもここではできるのかなと思うところもあるのですが、それだけでは説明がつかないようにも思うのです。
そして、もしかしたらと思い当たったことがあります。
私は基本的に「この子はできる」と思って見守っています。そして、できなかったとしても、そのことに対して絶対に怒りません。もしかしたらそこなのかもと思うのです。
「自分にはこんなのできない」
どんなことに対しても、そう思った場合、しばしば本当に失敗したり、できなくなったりするものです。それほどに思いの力は強いのだと思っています。
だとすれば、見守っている人間が「この子にはこんなのできない」と思っていると、敏感な子はそれを感じ取ってしまうこともあるのかもしれません。
そして、大人でもプレッシャーをかけられると実力を発揮できなくなるということは少なくないということを考えても、「できなかったら怒られる」と思うことで、できるものもできなくなってしまう場合があるのではないかとも思うのです。
おまけに、実際のところ、うちの教室の子達の殆どが学校の内容より難しいことに取り組んでいるので、それを見たおうちの方が「こんなに難しいのができるのかしら?」と思ってしまわれることもあるのではないかと思います。すると、見守るときにもその空気がお子さんに伝わってしまって、「そうか、これは難しいんだ。。。」と感じてしまったりすることもあるのではと思うのです。
そういう意味で、子どもには、私はできなくても絶対怒らないという安心感があるはずですし、その上私は「この子ならできる」と思って見守っているのですから、それを感じ取った子は「自分ならできる」と思ってくれるのかもしれません。
もちろん、教室の方が緊張するからというのもあるとは思うのですが、うちの教室の子ども達に限らず、子どもを伸ばすには「信じて見守る」ということはすごくすごく大切なのではないかと、改めてそんなことを思いました。
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