教師という仕事
昨日ブログめぐりをしていたとき、この記事が目に留まった。
このブログは以前何か気になる記事があってお気に入りに登録していたものの、しばらく訪問していなかったのだけれど、読みながら色々なことを考えてしまった。
私は教育学部出身だから、同級生や先輩、後輩で教員になっている人も結構いるし、昔からの友人は出身大学は違うもののやはり教員をしている。
更に、私は学生時代ずっと「先生」には恵まれていた方だとも思っているし、世の中には熱心な先生も多いことも知っている。
最近直接話を聞く機会が多いのは、小学校の教員をしている友人からだが、彼女の話を聞きながら、真面目にやっている先生方は本当に頭が下がるなといつも思っているし、もう少し待遇を改善することはできないんだろうかとも思ったりもする。(単に教員全体の待遇をよくするということではなく、企業のように頑張った人には頑張っただけの評価をするというか、そういうことができないのだろうかと。)
実際、問題のある教員もいるにはいるのだろう。ただ、一概には言えないだろうけれど、私が知る限り公立校の先生になる「教員採用試験」の採用枠は決して広いものではない。(地域や年度、教科などによってもそれぞれ差はあるだろうけど。)つまり、「学校の先生」と言われる人たちの殆どはかなりの倍率の試験をパスした人のはずで、昔言われていた「でもしか先生」のように、「先生にでもなるか」とか「先生にしかなれないや」みたいな風に教員になれる時代ではないだろう。
更に、私自身、昔教員を夢見ていたから思うのだが、特に幼稚園・小中学校の教員を目指す人の殆どが子ども達が好きで、子ども達をもっと幸せにしてあげたいとか、子ども達と沢山思い出を作りたいとか、自分が恩師にしてもらったように自分も子ども達にそれを受け継ぎたいとか、そんな思いを抱いているのではないだろうか。
その思いを抱きながらも、私のように「それは学校では実現できそうにない」と別の道を選ぶ人もいるだろうけれど、その思いを全うして教員になった人が「学校の先生」たちの大半なのではないだろうか。
友人の話を聞いている限り、少なくとも彼女の仕事は激務だ。大抵の学校にひとりしかいない先生という立場なのもあるし、とりわけ神経を張り詰めていなくてはならないような場面が多い彼女も、どう考えても仕事以外の何物でもない移動の交通費さえ自腹を切っていたり、残業や持ち帰り仕事なんて当たり前のようにあるし、休日も校外学習の下見やら、何かの行事の準備やらでしょっちゅう拘束されている。拘束されるだけでなく、それは無給だったりすることも少なくないようだ。
もちろん、企業にだってサービス残業って言葉が当たり前のようにあるし、100%残業を付けてくれる会社なんて殆どないかもしれない。それを思えば公務員は安定しているからいいじゃないかとかそういう意見をいうのは簡単だし、それがイヤなら辞めればいいというのも簡単だ。
指導力があれば、大手の塾にでも勤めるなり、私立校に移れば?そんな意見だってあるだろう。
私だってこれまで、心のどこかでそう思っているところがあった気がするのだ。
けれど、ふと恐ろしいことに気づいてしまった。
これまでの学校で熱心な先生達はほぼ例外なく、明らかに労働量に見合った待遇は受けていないのではないかと思われる。無給の時間外の仕事なんてキリがないぐらいやっているだろうし、自腹で何かするなんてこともいくらでもあるだろう。
きっとそれは熱心でいい先生であればあるほどそうなんだと思う。
そして、そういう先生達は子ども達のために。。。と思って、待遇の不満も何もかも飲み込んで、身を粉にして働いているのではないだろうか。きっとそんな先生の方が圧倒的に多いはずだ。
しかし、そんな中に適当に仕事をして、その人たちと同じ待遇を受けている先生がいたとしよう。私ならきっと我慢できない気がする。全員が同じように頑張って同じように我慢しているならきっと感じずに済む(自分で気づかないふりをしていられるという方が正しいかもしれないが)不満を、そういう人がいることで再認識してしまうのではないか。そして、だんだん虚しくなってきたりはしないだろうか。
頑張る先生達が虚しくなる。
頑張る先生達だけが頑張りすぎて体を壊す。
そこまでいかないにしても、頑張って頑張って疲れが溜まっていけば、子ども達に余裕を持って接することだってできなくなっていくのかもしれないし、くたびれている先生達に子ども達も魅力を感じられず、先生の言うことを聞かなくなったりもしはしないだろうか。
なんだかものすごく大きなことのような気がするのだ。
上手く言えないが、少なくとも義務教育の期間は子ども達にとってかけがえのない大切な期間だ。その期間にどれだけ素晴らしい大人に出会えたかでその後の人生が大きく左右されることだって十分あり得る。
そんな大切な時期にかなり多くの時間を過ごすのが学校なのだ。そこには「素晴らしい大人達」がいる必要があるはずだ。
乱暴な意見だが、仮に教員の待遇が他の公務員より、一般企業よりずっと良かったらどうだろう?
もっと指導力のある先生が教員を目指すかも知れないし、それだけの待遇をしてもらえるんだったらと熱心な先生は不満を言わずにもっと気持ちよく頑張れるかもしれない。おまけに、指導力のある優秀な人材が集まりだしたら、問題教師は自然と淘汰されていくということはないのだろうか。
これを書きながら結構ドキドキもしている。私を含め、塾や教室をしている人間はある意味で学校の足りないところを補うことで存在できているところもあるはずだ。学校の先生達がみんな本当に優秀で素晴らしい方ばかりになれば、私達の仕事はなくなってしまうのかもしれない。
けれど、それはそのときに考えればいいことだ。自分達の生活のために子どもには優秀じゃない先生をあてがっておけばいいなんて本末転倒というか、子どもの幸せを願う人間が考えることじゃない。
子育ての基本というかで、「親自身に気持ちの余裕がある」ということがとても大切であるように、日々かなりの時間を子ども達に関わる先生方にもいい意味での気持ちの余裕というのはきっと不可欠なんじゃないのだろうか。
子育て本などでは周りが母親を支え、見守ってあげようというアドバイスをよく目にするが、もしかすると母親をそのまま「学校の先生」に置き換えたって、同じことが言えるのかもしれない。少なくとも子ども達の幸せを願うなら、安直に教員を責めたり、軽く見たりしてはいけないのだと思う。
仮に今、不適格だと言われている先生がいたとして、その先生だってもしかすると初めは希望に燃え、やる気いっぱいで学校に入ったのかもしれない。(もちろんそうでない場合もあるだろうけれど。)その気持ちを萎えさせたのは、もしかすると制度や周囲の大人なのかもしれない。
考え出したらどんどん止まらなくなって、上手くまとめ切れないけれど、社会全体で真剣に考えなくてはいけないことなのかもしれないとちょっとそう思った。
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コメント
はじめまして。トラックバックありがとうございます。
センセも人です。人ってことは、考えるし、感情も持ち合わせています。でも、残念ながら現場では管理職や委員会からはモノのように扱われ、保護者の方からのご意見は(例えそれがハチャメチャなものであっても)甘んじて受け入れている(受け入れないとさらにタイヘンな場合が多い)毎日です。今、世間で騒がれている「ゆとり教育」ですが、センセに「ゆとり」がありません(笑)。
仰るように、気持ちや身体に余裕がないセンセが、子ども達と満足いく関係が結べるでしょうか。子ども達の力になる授業ができるでしょうか。
そんな疑問と戦いながらも、目の前の子ども達のために、日々何とかやっております。
よければまたお立ち寄りください。お待ちしております。
投稿: Be honest | 2006年5月10日 (水) 20時33分
はじめまして。いきなりTBしてすみません。。。
頑張っておられる先生は沢山おられるのに、なんだかそれが
報われていないんですよね、きっと。
もちろん、楽な仕事なんてないのかもしれませんが、大切な
子ども達に関わる大人は、大人相手の仕事や機械相手の仕事
とはやはり違う面がありますよね。
大変だと思いますが、子ども達のために頑張ってあげてください。
コメントありがとうございました。
投稿: TOH | 2006年5月10日 (水) 21時54分
はじめまして
以下について、ちょっとコメントを書かせてください。
>仮に教員の待遇が他の公務員より、一般企業よりずっと良かったらどうだろう?
公務員の偉い方々、医者、弁護士など社会的にも収入的にも恵まれている職業の方たちについてTOHさんにはどのように映ってますか?
彼らのどのくらいが、国民や患者側を向いて仕事をしていると思いますか?
上ばっかり見て、またそういう人が偉くなって、地位もお金も手に入れる。すると、もっともっと欲しくなる。
国民の方を見てやろうとしても、上を見ている人たちが障害になることも多い。そうすると、自分の信念のために彼らとやりあわねばならない、そのときあると便利なのが地位だったりする・・・・・
現場が望んでいるのは、適正な評価であり、やるべきことに集中できる環境であると思います。ただ、適正な評価なんてあるのでしょうか?
以上、TOHさんも御承知とは思いますが、少し気になりましたので意見を書いてみました。
投稿: 虹の父 | 2006年5月12日 (金) 11時59分
虹の父さん初めまして。貴重なコメントありがとうございます。
ただ、少し抽象的で、虹の父さんがおっしゃりたいことを私が
きちんと理解しているかは少し不安です。
「適正」という基準がはっきりしないし、人の仕事を評価する
のも人間となれば、ますます曖昧で結局万人が納得する「適正」
なんていうものは存在しないでしょうね。
待遇改善というのは方法のひとつに過ぎず、それが万能とも思い
ませんが、現場の先生方が今のままの環境で頑張り続けるのは
あまりにも大変だろうなということだけは何となく感じています。
公務員であればストライキもできませんしね。
またご指導ください。ありがとうございました。
投稿: TOH | 2006年5月12日 (金) 14時50分