気が長い
今日、小学校高学年の男の子がお母さんと妹さんと一緒に体験に来てくださった。「利発」という言葉がぴったり来るような、とても賢い男の子だった。
この子だったら、本人が興味を持っているし、わからないことが気持ち悪いようだから、きっと相当のレベルまで行くんだろうなぁと思いながら、彼に何かやってもらいながら、お母さんとお話をしていた。
まだ学年としては習っていないのだけれど、彼自身が興味を持って、先の学年の参考書などを買って色々勉強しているらしく、分数の割り算のことを質問された。
結局、最終的にはひっくり返してかけるということになるのだけれど、テクニックを教えるのは後で構わないと思っているし、そのテクニックさえ、できることなら子ども達自身で発見してもらいたいと思っているので、考える手立てをいくつか示すに留まった。
彼は本当に感心なことに、納得しないと「わかった」とは言わない。正直言って、短時間で唐突に分数の割り算だけを説明しても、その場で完全に理解できるとは私も思っていなかったし、多分半分わかったかわかってないかだろうなというところで次のレッスンの時間が迫っていたので、もしこれから一緒に勉強できることになったら、またゆっくりやろうということにした。
そのやり取りを見ていてなのか、お母さんが私に尋ねられた。
「先生、気が長いですか?」
とっさのことだったし、お母さんが言いたいのはきっと、他のお母さんたちからしばしば伺っている、「自分の子には我慢できずに口出ししてしまう」という類のことだろうとわかったので、「そうですね」と答えてしまった。
でも、その親子をお見送りした後、ふと考えた。
「気が長い」とか「忍耐強い」とかっていうのは、何か腹立たしいことやイライラすることがあっても、それを我慢するということなのではないかと。
そうだとしたら、私は決して気は長くないし、忍耐強くなんて微塵もない。しんどいことを我慢してコツコツやるなんて、私は大の苦手だ。
要するに、私は子ども達に対して「我慢して怒らない」のではなく、そもそも全く腹が立たないのだ。考えることに時間がかかっていたって、それに対してイライラしないのだ。
実際、私は大人に対しては忍耐強くない。お年寄りならともかく、ATMで若い人などが後ろの状況とかに全く気づかずもたもたしているとイライラするし、通行の妨げになっている違法駐輪や違法駐車などには、心の中でぶつぶつ文句も言う。面倒なことは嫌いだし、どう考えても私は気が長いとは言えない。
実際、子どもに対しても、ルールを守らなかったり、人を傷つけるようなことを言ったときには容赦なく怒る。
多分ただ単に、時間がかかろうとも、理解しようとしている子に対しては、腹が立ったりイライラしたりするという感覚が私にはないだけなのだと、そんなことに今日改めて気づいた。
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