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2006年4月 3日 (月)

ゲームとにんじん

昨日、「脳内汚染」の紹介記事をUPしたところで、本当はもっともっと深刻に考えて書くべき内容なのかもしれないけれど、本を読み終わる前から考えていたことでもあり、書くことが全くの無意味だとも思わないので書いてみることにします。

今日、出勤途中、中学生ぐらいの男の子が自転車をとても変な格好で押しながら歩いている姿が目に入りました。
自転車のハンドルに両肘をつくような感じで自転車を支え、横断歩道に差し掛かったのですが、目の前の信号は赤。右からは車が近づいてきていました。

幸い、車のスピードがあまり出ていなかったことと、距離があったことで、彼は何事もなく赤信号の横断歩道を悠々と渡りきりました。
しかし、渡っているときも渡った後も、車が自分の側を通り過ぎたにも関わらず、彼の姿勢は全く変わらぬままです。

一体何をしているだろうと、少し早足で近づくと、その手には小型のゲーム機が握られていました。
彼は自転車を押しながらゲームに夢中だったのです。そのせいで、信号が赤であることも、車が近づいてきていることも全く気づかないままだったのです。

一歩タイミングがずれていたら、間違いなく大事故でした。最悪の場合、彼は命を落としていたかもしれません。もしそうなれば、命を落とした理由は「歩きながらゲームをしていて」ということになるのです。
とても悲しく、とても恐ろしいことです。

「脳内汚染」に書かれていたこととは別に、私は以前からずっと思っていました。
今教室に来てくれている子達も、多くの子がゲーム機を持っていて、時間の制限などはあるとしても、少なからずゲームをやっている子が殆どです。

低学年のうちは可愛らしい、そんなに刺激もないゲームから始まるのでしょうけれど、子どもの能力はあらゆる面で伸びるのですから、より高度で複雑なゲームだって、大人より簡単にできるようになっていくでしょう。

更に、私はやったことがありませんが、RPGなどになれば、時間を決められたって途中でやめるなんてことは多分不可能だと思うのです。少なくとも、私が子どもだったら無理です。

正直なところ、私の子ども時代に今みたいにゲーム機が普及していなくて良かったと心から思います。
実は私は昔で言えばテトリスやぷよぷよ、トランプゲームなどの考える必要のあるゲームがかなり好きです。大人になって、友人の影響でそういうゲームを覚え、やり始めると止まらなくなるということが自分でも嫌というほどよくわかっています。

ですから、最後の砦として、ゲーム機だけは買うまいと決めています。どんなにPSやDS、その他のゲーム機が普及しようと、流行ろうと、絶対それは買わないと言い聞かせています。買ったら最後、時間のコントロールをする自信がないからです。

もちろん、仕事に支障が出るようなことはしないとは思います。ただ、本来なら本を読んだり、あれこれ考えたりするために使えるはずの時間をゲームに費やしてしまうであろうことが目に見えているからです。
実際、ゲーム機は買っていないものの、最近ではパソコンでも色々なゲームをすることが可能になっているため、ゲームを全くやっていない訳ではなく、休日などに息抜きのつもりでちょっと。。。とパズル系のゲームなどを始めたら、気づけば数時間経っているということは決して少なくないのです。

大の大人である私でさえ、こんなにも自信がないのに、まだ発達途上の子どもに大人でもはまるようなものを与え、一定時間で切り上げなさいと言ったって、そんなのは不可能なのでは?と真剣に思っています。

買ってやりながら、自由に使ったらダメよっていうのは、馬の目の前ににんじんをぶら下げて、だけど食べたらダメよって言っているのと同じことのような気がするのです。

にんじんを見ることなく我慢しろと言われたらできる我慢も、目の前にあるにんじんを食べるなと言われたら、その我慢は遥かに難しいのではないでしょうか。
なかったら諦めもつくけれど、そこにあるのに食べてはいけないなんて、どうして理解できるでしょう。仮に理解できたとしても、だったら初めから見せない方が、ずっと優しいのではないかと思うのです。

子どもにゲーム機を買い与える大人の多くは、そんなに深く考えず、お誕生日などにほしいと言われて買ったとか、本当は買い与えたくなかったけれど、持っていないと友だちの間で仲間はずれになるからと思って買ったとか、そんなところではないかと思います。
そして、初めに1日にやっていい時間を決めるなど、何らかの約束事をするのではないでしょうか。
けれど、どれだけの子どもがその時間を約束通りに守っているのでしょう?特に、小型のゲーム機などを買い与えてしまった場合は、親の目の届かないところでいくらでもやり続けることは可能なのです。

今日の自転車を押していた彼も、そのゲーム機は親が買ってくれたのかもしれません。けれど、そんなにしてまで息子がゲームをしていることなど、親は夢にも思っていないでしょう。
携帯ゲーム機で子どもが命を落としていたかもしれない。そして、それは何も今日の彼に限らず、数え切れないほどの子どもにその可能性があるのかもしれないのです。

以前ブログに書きましたが、小学校の同級生で家にテレビがない子がいました。けれど、その子はそのことでいじめられたり、仲間はずれにされたりしていた記憶はありません。

もちろん、時代も変わっていますし、ちょっとでもみんなと違うことがあれば、それをいじめのネタにしてしまうような子達も少なからずいるかもしれません。けれど、親が確固たる信念の元に、我が子にはゲーム機は与えないと決め、その理由をきちんと子どもに説明し、その代わり、親子で遊べるトランプやボードゲーム、パズルなどをして過ごせば、子どもの心が満たされないということはないと思うのです。心が強く、安定している子は、いじめの対象になったとしても、親に相談することもできるかもしれませんし、自らそれに立ち向かっていくかもしれません。

まあ、そうは言っても、昨今のいじめはどんどん陰湿化し、エスカレートしてもいるようですから、簡単に言ってはいけないのかもしれません。それでも、ゲーム機を与えてしたいだけさせてもらえる子どもと、ゲーム機は与えてもらえないけれど、その分家族みんなでゲームをしたりおしゃべりをしたりして過ごす子どものどちらが幸せでしょう。

私は、にんじんを目の前にして食べるなと言われるより、にんじん自体がない方がずっといい。
そう思っています。

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コメント

こんばんは。ゲームについては、私も悩んでいます。うちにはテレビゲームを置いていません。携帯ゲーム機もありません。長女もほしがっていましたが、高学年になると回りも飽きてきてしないため、ブームが去ってしまい、もういらないと言います。しかし、二女、長男とまたゲームをねだられると思うと憂鬱です。たまごっちですら、携帯すると、周りへの注意力が低下するし、せっかく景色を楽しめる時間も、もっていかれてしまいます。親戚や友人のゲームを必死にやっているのを見ると、家において管理させる方がいいのだろうかと悩みますが・・・時間・視力・注意力を持っていかれるリスクを考えると、なるべく買いたくないですね。しかし、みんななぜあの高価なおもちゃを簡単に買うのでしょう。(苦笑)

投稿: kanachan | 2006年4月 4日 (火) 00時15分

Kanachanさんこんにちは。コメントありがとうございます。
世の多くの親御さんたちが悩んでおられるんでしょうね。
もし私が親だったらどうするだろうって考えます。
ある程度の年齢に達するまで買い与えたくないってことは
はっきりしているものの、果たしてその意志を貫くことが
できるんだろうかと。。。
難しいですよね、ホントに。

投稿: TOH | 2006年4月 4日 (火) 09時21分

こんばんは。
新5年生と4歳の子供がいますが、うちはゲーム機がありません。上の娘がたまごっちを欲しがったこともありましたが「うちは買わないよ」と言ったらそれほど執着しませんでした。学校では少数派だと思いますが、特に友だちとうまく行かないということは聞きません。楽しく遊んでいます。

娘は低学年からとにかく暇さえあれば本を読んでいる子で、親もニュース程度しかテレビも見ないので家中で世間の流行にものすごく疎いです。子供たちは「サザエさん」や「ドラえもん」すらちゃんと見たことがないかもしれないかもしれない。

ちょっと可哀相かと思うこともないではないですが、習い事や読書、趣味の時間を考えるとテレビやゲームの時間など現実的にとれない感じです。親が選んだビデオなどは自由に見せていますが…

でも、それで苛められるとか学校で浮いてしまうとかはないです。仲良しの子もたくさんいますし、全然心配要らないと思いますよ。

投稿: norikiyo | 2006年4月 5日 (水) 03時39分

norikiyoさんお久しぶりです。
コメントありがとうございます。

ゲームやテレビって多分に「癖」のものって面があるのでしょうね。
しなければしないで平気、見なければ見ないで平気という感じで。
norikiyoさんのお子さん達はきっとステキなよい子なのでしょうね~。

実践しておられる方のコメントに勇気を持って、子どもにゲームを
与えない方が増えるといいなと思います。

「親」になったことがないので、これからも色々なアドバイスを
頂けると嬉しいです。どうぞ宜しくお願いします。

投稿: TOH | 2006年4月 5日 (水) 19時27分

こんにちは。
どこかで読んだことがあるのですが、「愛情をたっぷり与えられた子どもはモノやお金をあまり欲しがらない」という言葉を座右の銘にしています。うちの子たちに親の愛情がじゅうぶん伝わっているか、というと心もとないのですが(汗)モノやお金にかえられないできる限りの愛情を注ごう、と思って子育てをしています。(思い切りエラソウですね、どうもすみません。)

投稿: norikiyo | 2006年4月 6日 (木) 16時13分

norikiyoさんこんばんは~。またまたありがとうございます。
全然偉そうじゃないですよ、すごくすごくステキだと思います。
世のお父さん、お母さんがみんなそんな気持ちでお子さんのことを
育ててくれたら、世の中はもっと明るく幸せに満ちたものになるの
でしょうね。
私も微力ながら、できることを精一杯頑張ります。

投稿: TOH | 2006年4月 6日 (木) 21時10分

はじめまして、スカルクランプと申します。よろしくお願いします。
私自身こういうブログとは普段まったく縁がありませんが、楽しく読ませていただきました。私はまだ高校生なんですが、自分自身の勉強にも参考になる部分がありました。
で、読んでいるとこの記事を見つけまして。ひとりのゲーム好きとしていたたまれなくなったので書き込ませてもらいます。
>携帯ゲーム機で子どもが命を落としていたかもしれない。
これは強引すぎるのではないでしょうか?もし彼が歩きながらしているのがゲームではなく小説を読むことだったらどうでしょうか?小説を目の前にして歩きながら読むなと言われるより、小説自体がないほうがずっといいのでしょうか?時間のコントロールができなくなる可能性があるのはゲームに限らずどんな趣味でも同じではないでしょうか?結局、大事なのはゲームをプレイし、小説を読む人間の側だと思うのです。
ゲームを買わないのはもちろん個人の勝手ですけど、「嫌いだ」「悪いものだ」という先入観を持たずに考えてみられないものでしょうか?

最後に、こんな古い記事に返信したことと、どうしても批判のような形の書き込みになってしまったことをお詫びしておきます。

投稿: スカルクランプ | 2006年8月12日 (土) 13時18分

コメントしたはずなのにUPされていないことに今気づきました。。。
結構ショック。。。

スカルクランプさん初めまして。コメントありがとうございます。
貴重なご意見ありがとうございます。謝って頂く必要はありませんよ。

物事には何でも大抵両面があり、全ての人が賛成ということも、また
その逆もまずありませんよね。

ゲームに関して、ブログに書いているように、私自身好きです。
だからこそ、はまると途中でやめられないこともわかりますし、
そういう意味でせめて小中学生の間は保護者がある程度コントロール
する必要があるのではないかと思っています。

小説を例に挙げてくださいましたが、仮に歩きながら小説を読んだり、
携帯メールを見たりしている場合でも、信号を渡るときぐらいちょっと
目や手をを離すことは、ゲームよりは遥かに容易いのではないかと私は
思っています。

ゲームが悪だと言っているのではなく、自己管理ができるようになる
まで、もしくは自己責任で生きるようになるまでは大人の管理があって
いいのではという意見なのです。

もちろん、それに反対される方もおられると思いますが、あくまでも
私の個人的な意見です。
とにかく、私はゲーム好きですから。その点はご理解くださいませ。

ご意見ありがとうございました。

投稿: TOH | 2006年8月12日 (土) 23時56分

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