変わる瞬間
教室を始めてから7月で丸3年になるのですが、やはりまだまだ毎日が発見の日々で、いくら学んでも学びきれるものではないのだろうとも思っています。
幼児・低学年をメインとした教室で、それまで勤めていた塾での指導とは180度近く変化した子ども達への指導の仕方(正確には、今は「指導」をしているのではなく、アシストしたりフォローしたり、子ども自身が発見してくれるお手伝いをしているという感じですが)に初めは戸惑うことも多かったのですが、それにはもう随分慣れました。
子ども達に対しても、当初は1回のレッスンで最低このぐらいは進まなきゃ、親御さんに申し訳が立たない。。。そんな風に思ってしまうこともあって、子どもがまだ十分に理解できていないかもしれないのに進めてしまうようなこともあったように思いますが、それもかなりなくなって、今は「目の前の子どもの状態」だけを何より優先して考えられるようになってきました。(それがいいかどうかはそれぞれお考えがおありだと思いますが。)
それでもやはりまだまだだなぁと気づかされることが時々あります。
過信や慢心に釘を刺してもらっているようで、ありがたいなと思いながら、そのたび反省し、気持ちを引き締め直します。
今日もそんな出来事がありました。
4月から1年生になった女の子がいます。
すごく可愛くて、理解力などは十分あり、頭のいい子だと感じているのですが、少し甘えたさんなところがあったり、コンディションによって集中が続く日と続かない日があったりで、本来持っていそうな力がまだ十分発揮されていない感じがしていました。
ただ、お母さんは、他の習い事は体験や見学の段階で嫌がったりで、こうして毎週通えているだけでもすごいんですと(私に気を遣ってくださっているところもあるのだと思いますが。)言ってくださっていたので、焦らずちょっとずつだなと思ったりしていました。
幼児のレッスンは多少慣れてくれるまではなるべくマンツーマンでレッスンをするようにしているので、彼女はこれまで私と2人でレッスンしてきました。
そして今日、新年度でタイムテーブルが動いたことなどもあり、ひとつ上の女の子と2人でのレッスンになりました。
1年生になり、彼女なりに何か気持ちの変化があったのかもしれません。更に今日はひとつ上のお姉ちゃんと一緒のレッスンですから、余計何か思うところがあったのかも。
ここしばらくは20までの足し算・引き算をやっていて、足し算はもうかなりすらすらできているのですが、引き算に関してはこれまで、玉の教具を使わないとなかなかやってくれない状態が続いていました。
理解に時間のかかる子であれば、私ももっと気長にいくらでも見せてあげていたと思うのですが、彼女が頭がいいと感じていたせいで、心のどこかで「もう見なくてもできるのでは?なのに、思い浮かべるのが面倒で見たいって言っているのでは?」と思っていたことに気づかされました。
今日のレッスンが始まってしばらくして、引き算のプリントになった途端、やりたくないという態度に変わりました。でも、お隣に2年生のお姉ちゃんがいるからか嫌だとは言いません。
もうできるはずなのになと思いながら、まず1枚目のプリントは教具を直に触っていいことにして解いてもらいました。
次に2枚目のプリントでは教具を目で見てもいいけれど、触ってはダメということにして解いてもらいました。
3枚目のプリントでは見せる時間を短くしたり、簡単そうな問題は見ないで考えてもらったりしていたところ、突然彼女が言いました。
「これいらない。見ないでやってみる。」
すごくすごく嬉しい言葉でした。
と同時に、すごくすごく申し訳ない気持ちになりました。
ふざけていたのでも、考えたくなかったのでもなく、ただ単に彼女の中でまだ教具を使わないでできるという自信が満たされる「そのとき」が来ていなかっただけだったのかもしれません。
もちろん、1年生になったことや1つ上のお姉ちゃんが一所懸命難しい問題に取り組んでいたことも何かきっかけになったのかもしれませんが、とにかく今日その瞬間、彼女の中で「見なくても考えられそうだという気持ち」が芽生えたことに間違いはありません。
その後黙って見ていると、1問、また1問と結局残りの問題は全部、教具を見ずにきちんと正解を出してくれました。
私ももちろんすごくすごく嬉しかったですが、彼女の顔もなんだか誇らしげでした。
小さい子がふざけたり、やる気なさそうにするのは、その問題が難しいと感じている場合があるということはわかっているつもりだったのに、一歩間違えたら、彼女を「引き算嫌い」にしてしまうところでした。
彼女の変わる瞬間を見られたことを本当に嬉しく思いますし、その姿を見られたことで改めて自分を振り返り、反省させてもらえたことに感謝しています。
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