ビッグマウス(2)
私は塾に勤めていた頃、よく中学生たちに言っていた。
「なんで勉強なんかせなあかんねん」という子達や、明らかにやる気もなくてダラダラしている子達に、勉強したくなければしなくてもいい、その代わり、勉強しなくて高校にも行かないのなら、中学出てからどうするのか考えろと。とことん打ち込める何かがあればいい、スポーツで生きて行くのも芸術で生きていくのも、勉強以外に他に道はいくらでもあるはずだと。もしそれが今見つからないのなら、可能性を広げるために今は勉強したらどうだと。
私にとって勉強とはそんなものなのだ。
私は教員免許を取ろうと思わなければ、大学にも行かなかったと思う。実際、私が受験した頃は国公立は基本的に1校しか受けられなかったから、同級生の多くの子は私大も受験していたけれど、私が知る限り、通える範囲で教員養成系学部があるのはその頃国公立だけだったので、たった1校しか受けなかったのだ。落ちたら浪人。それで仕方ないと思っていた。教育学部じゃなきゃ、大学に行く意味がなかったのだから。
決して勉強が好きだった訳ではない。無精者なので暗記は今でも嫌いだし、目標もないのに嫌いなことを続けられるほどの忍耐力は私にはないのだ。
だから、そんな子が沢山いたって不思議でもなんでもない。
「したくなきゃしなきゃいい。」
私がそういうときは、本気でそう思って言っているのだ。勉強せずに何かで生きていく覚悟があるなら、ホントにしなくていいと、教室をしている今でもそう思っている。
試験でいい点を取るために勉強するというのは、数多くある選択肢のたったひとつに過ぎないのだから。
そういう意味で、亀田三兄弟やオリンピックでは今ひとつ振るわなかったもののスノボの成田兄妹みたいに「学校の勉強」という土俵ではないところで勝負して素晴らしい結果を出している若者達がもっともっと増えたらいいなとも思う。
学校の勉強、テストの点は本当に狭い世界でのひとつのものさしに過ぎないのだということをもっともっと多くの人がわかれば、世の中はもっと優しく、暮らしやすくなるのかもしれないとさえ思う。
知らなかったことを知る喜びは素晴らしいものだけれど、テストでいい点を取ることだけが目標で、そのためには手段を選ばなかったり、テストで点が取れない子を馬鹿にしたりすることは私にはどうしても違う気がするのだ。
そして、「ビッグマウス」について、もうひとつ思うことがある。
そもそも。。。なぜわざわざ英語で言うのかって気もしなくはないが、日本語にすれば「大口を叩く」ということになるのだろう。
少なくとも日本人の国民性からすると「大口」に対するイメージはどちらかといえば否定的なものなのではないかと思う。
最近でこそ変わってきているのかもしれないが、日本人にとっては謙遜が美徳とされてきたのだから、大口を叩く人を評価しないのは当然なのかもしれない。
けれど、改めて思う。
口だけで結果が出ない大口は情けないだけ、かっこ悪いだけかもしれないが、実は「謙遜」には自己防御、自己弁護のずるさみたいなものがあるのではないかと。
私は自分にまだまだ自信がないし、人は強く言われると抵抗を感じるものだとも思っているから、色んなことをやんわりとオブラートに包んで話したりする。けれど、それはどこかで、断言した場合に責任を取らなくてはいけないということを恐れ、逃げているような気もするのだ。
そういう意味でも本物の「大口」を叩ける人は素晴らしいと思う。
いつか私もそんな強気の発言ができるようになれるだろうか。
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コメント
そう言われてみれば。。。
『不言実行』はズルイかもしれませんね。
途中で諦めても恥ずかしくない。
自分を奮い立たせるための『有言実行』の方が勇気が要る。
そんな気がしてきました。
投稿: 寺子屋 | 2006年3月 7日 (火) 13時46分
お疲れ様です。
「不言実行がカッコいい。」とか「男は黙って。。。」とか
そういう感覚ってありますよね、多分私達の年代には。
けどそれって、達成して初めて評価されることだなと思うように
なりました。
けど、私は「不言微実行」ですけど。。。(をい)
投稿: TOH | 2006年3月 8日 (水) 10時17分