卒業論文(1)
以前、100マスのことを書いていて、ふと思い出したことがあります。
もうずっと忘れてしまっていましたが、私は卒論で「教育技術の法則化運動」の考察をしました。
今では陰山先生の影になって、あまり目立っていないようですが、向山洋一氏が小学校をメインとして起こした運動がちょうど私が3、4回生の頃、すごいブームになっていました。
簡単にいえば、授業の指導案でよくできたものをみんなで共有しようという動きだったのではないかと思います。(かなり記憶が薄れてきている上、探したのですが卒論やそれに使った文献が見つからないのです。。。)
100マスのことを書いたときにも触れましたが、小学校の先生は多分かなり慌しく授業をしておられるのではないかと思います。
ですから、「いい指導案の共有」の運動は恐ろしいほどの勢いで広がっていました。書店には次々と新しい本が並び、卒論を書き始めた後にもどんどんと実践を紹介した本やその活動を批判する本が出版され、どこまで参考にして書けばいいのか、大変な思いをしたことを薄っすらと覚えています。
私のゼミの教授は東大卒で文学の教育に力を注いでおられた方だったので、法則化運動の、特に国語に関しては否定の立場を取っておられました。
そして、私も、様々な文献をあたりながら、体育や算数などで有効と思えるものもある反面、国語の授業での法則化、定石化(と法則化運動のメンバーが名づけていました)にはかなり問題があるように感じたため、それをメインに論文を書きました。
「法則化」、「定石化」の目指すところは、「誰がやっても同じ授業ができる」というところでした。授業計画案の中で、1時間の授業の間にここでこんな質問をし、こんな板書をするなどといったことがこと細かく書かれ、それを見れば全くの新人の先生でもベテランの先生と同じような授業展開ができるというものだったのではないかと思います。
ここで違和感を感じられた方はなかなか鋭いと思います。
「誰がやっても同じ」ということは、あらかじめ答えが予想できる質問しかしないということに行き着くのです。そうでなければ、計画案通りに授業が進まなくなる可能性が出てきますし、「法則」「定石」とは呼べなくなるからです。
殆どの内容を忘れてしまいましたが、ひとつはっきり覚えているのが、「わらぐつの中の神様」のお話についての授業計画です。
わらぐつとスキー靴の対比を考えさせるという授業の中で、書かれていたのは
「スキー靴:新しい かっこいい いいもの」
「わらぐつ:古い みったぐない(かっこ悪い) 悪いもの」
というような内容でした。
このお話をご存知の方は多いのではないかと思いますが、そもそもわらぐつはおばあさんとおじいさんの馴れ初めになったものです。おばあさんの愛情がたっぷりこもったものです。それを単純な分類をさせた上、挙句、わらぐつは「悪いもの」になり下がってしまいました。
けれど、その指導計画は定石化のひとつのよい見本として、広く紹介されていました。
恐い。。。そう思いました。
大抵の物事には常に良い面も悪い面もあるものです。それを感じ、読み取らせることもこのお話を教科書で取り上げている理由のひとつなのではないかとも思うのです。
しかし、そんなことには微塵も触れられていません。
もし、この計画に沿って授業で子ども達に問いかけ、誰かがわらぐつを「いいもの」だと答えたら、先生は否定するのでしょうか。。。考えただけで恐ろしくなりました。
(もう少しつづく予定です。)
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コメント
ここに書くのもどうかと思いつつ、もし、よろしければ、うちのサイトでリンクを張らせて頂いていいでしょうか。子育てしていく上で、とても参考になります。
投稿: kanachan | 2006年3月15日 (水) 21時39分
kanachanさん、ありがとうございます。
そんな風に言って頂けて大変嬉しいです。
是非宜しくお願い致します。
しかし。。。掲示板がないのは困りものですよね。。。ココログ。
投稿: TOH | 2006年3月15日 (水) 22時41分
お返事ありがとうございます。早速リンクさせていただきます。
投稿: kanachan | 2006年3月15日 (水) 23時28分
こちらこそありがとうございます。
機械オンチの私は、ココログ上で「お気に入り」みたいなリンクをはる方法を
まだ把握しておらずどなたのサイトにもリンクができていない有様。。。
近々どうにかしたいものです。。。(苦笑)
投稿: TOH | 2006年3月16日 (木) 02時40分
否定的な意見を書きます。気分を害されて、すぐに削除されてしまうのでしょうが・・・
すごく独りよがりなブログですね。
あたかも法則化の授業が子どもの意見をつぶし、全ての子どもに同じ感想を持たせるものであるように書かれています。
それを「怖い」と。
常識的に考えて、子どもが一生懸命に考えて言った意見を踏み潰すようなことをするなんて、するわけがないじゃないですか。
それは法則化うんぬんの前に、教師として失格のような気がするのですが・・・。
私のように法則化に共感している人間も世の中にはたくさんいます。
まっとうな論を言って向山氏や法則化を否定するのは全くかまいません。
ただ、うろ覚えの知識でいい加減なことをブログ上で撒き散らすことはやめていただきたい。
「よい指導案」さえあれば100%、同じよい授業が再現できるのですか?
それも常識的に考えてありえないことです。
例えば、先生の話し方が温かいのか冷たいのかによって、授業の雰囲気も変わってきます。
このブログに足りないもの。それは「常識」です。
投稿: 通りすがり | 2007年5月 4日 (金) 19時32分
通りすがりさん、初めまして。
私はこれまで自分のブログに頂いたコメントは、自分の意にそぐわない
ものであっても削除したことはありません。
人の考え方、価値観はそれぞれで、私はここで自分の意見、考えを書いて
いるので、それに対する反論もあって当然だと思っているからです。
私の考えが全て正しいと思っているのではありませんし、怖いと感じた
のは感覚であって、他の方はそう感じないことも当然あるでしょう。
学生時代、多くの著名な先生方が法則化批判をされ、当然それに対する
反論もされましたが、どちらかだけが正しいということも恐らくない
はずです。
自らのよいと思うものを模索していくのが子ども達に関わる大人の
すべきことなのではと思っています。
因みに、法則化を支持されているそうですので、学校の先生をされて
いるのかもしれませんが、私自身、教員を目指して教育学部に進んだ
人間ですし、先輩や友人にも教員は何人もおります。
また、本当にお世話になった恩師も何人もおります。
このブログをどれだけ読んでくださってこのご批判をくださったのか
わかりませんが、きっとお忙しくなさっておられる方だと思いますし、
ごく限られた部分を読まれてのご意見なのではとも思います。
そもそも、ご自分のご意見をおっしゃる際に「通りすがり」で
コメントされる時点で、どこまで真剣にこのご意見を受け止めさせて
頂けばいいのかという気もしております。
私の卒業論文は文学(国語)の分野に関しての考察でしたし、
それ以外のものには有益なものもあると思っており、それは
ブログにも書いたように思います。
もちろん、文字だけでどれだけ正確に自分の思いを表現できるかと
言えば、やはり難しい面もあり、私の文章力のなさでご不快な思いを
なさったのでしたらお詫び致します。
投稿: TOH | 2007年5月 4日 (金) 20時18分