« みんなすごい! | トップページ | 壁 »

2006年2月26日 (日)

調べる習慣

他県の先生とメールでお話している中で、今回は「とんど(焼き)」のことが話題になった。

松の内を過ぎ、お正月飾りなどを外して神社などで焼く行事のことだが、その方の県では「お焚き」と呼ぶそうだ。

あらら、とんども関西弁だったの?と思って広辞苑(電子辞書)を調べてみた。すると、正式名称(?)は「どんど」ということがわかり、意味の中に別の呼び方として「とんど」「とんどやき」とも書かれていた。

そう報告すると、お返事のメールにこんなひと言があった。

「頻繁に辞書を使っておられるようですね。」

ん?頻繁??
そう言われてふと考えた。

私は小さい頃から何か気になることがあると、それが解決しないとモヤモヤ気持ち悪くて、親に聞いたり、辞書を調べたりしてきたような気がする。

今でも実家に帰り、最近ではみんなちょっと脳の衰えも進み(苦笑)すぐに言葉が出てこなかったり、芸能人の名前が出てこなかったりすることについて、辞書やらタレント名鑑やらが登場する。

わからないことを調べるのは我が家では当たり前のことで、「〇〇ってなんだったっけ?」と誰かが尋ね、誰かが即答できればそれでいいのだが、できない場合、「辞書!辞書!」となったり、みんなで思い出すまで延々考えたりするのだ。(実家は未だパソコンがなく、インターネットが使えないので・・・。いくら勧めても両親とも頑なに拒むのである。。。)

それが当たり前なので、疑問を持ったら誰かに聞くか調べるのは昔から自然とやってきたことで、改めて意識することもなかった。
家族みんなそうだと返事をしたら

「知的レベルの高いご家族ですね。」

と言って頂いたけれど、我が家は既にご紹介済みの通り、学歴なんかで言えばちっとも「レベル」は高くない。

うまく言えないけれど、わからない状態が気持ち悪い。気持ち悪いのは嫌だから、早く解消したい。ただそれだけのことのような気がするのだ。

けれど、子ども達と関わっていると、なぜ知らないままで平気でいるのかな?と思うことが多い。文を読んで、意味もわかっていないのに、質問もしないし調べようともしない子があまりにも多いような気がする。それはなぜなんだろう。

忘れているのかもしれないけれど、私は親から「調べなさい」と言われた覚えはないし、学校の意味調べの宿題とかは面倒で嫌いだったので、教科書ガイドを丸写しなんてこともしばしばあったような気がする。強制されて身に着いたものではないのは確かだ。

とすると、きっと昔から親が何かあったら辞書を引いている姿を見ていたのかもしれない。
母はもう本当に年代物の辞書を長らく使っていた。(震災で失ったかもしれないが)旧仮名が使われていたりするようなもので、紙もすっかり色が変わっていた。女学生の頃からずっと使っていたものらしい。思い出の品だったのだろう。小さなもので、載っていない言葉は多かったけれど、子どもの頃その古びた辞書を見るのが好きだった。何かあると、母もその辞書を手に取っていたように思う。

言葉へのこだわりは小さな頃からある。
子どもの頃「みっともない」という言葉は「みっとも」というものが何なのか気になって辞書を引いた。しかし、その頃持っていたレベルの辞書では疑問は解けず、いつの間にか忘れてしまっていた。(「見とうもない」からきているようですね。)

それはもしかすると、母親のお蔭によるところが大きいのかもしれない。
ふとそんなことを思った。

|

« みんなすごい! | トップページ | 壁 »

コメント

子どもは親の背中をみて育っていくのでしょうね。willseedsさんのご両親素敵です。
最近の子どもは、与えられたことはやるけれど、自分から問題意識をもって取り組むのが苦手のような気がします。指示待ち人間になっているような。
強制されてやることが多すぎて、心にゆとりがないからなのかな?大人が子どもを見守ることができなくて、すぐにいろいろ教えてしまうからなのかな?
いろいろ考えてしまいます。

投稿: アロマぽっと | 2006年2月26日 (日) 19時10分

いつもありがとうございます。
最近になってようやく、この両親で本当によかったなと、
心から感謝できるようになりました。

最近の子達の最大の不幸は、子ども達だけで自由に遊べる
場所と時間が限られていることかもしれませんね。
また色々教えてください。

投稿: TOH | 2006年2月27日 (月) 02時56分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 調べる習慣:

« みんなすごい! | トップページ | 壁 »