父親のカゲ口、父親の背中(2)
震災後、気分転換においでと言ってもらい、広島の親戚の家に遊びに行かせてもらいました。従兄たちやその子どもと楽しい時間を過ごし、夜に叔父や叔母も一緒に食事をしました。
私は叔父についてとても気さくで楽しい人という印象を持っていました。もちろん、かなり堅い仕事をしていたので、真面目で正義感が強いというところはあったと思いますが、うちの父と違い、しっかりしていていいなぁと思ったりもしたものでした。
楽しく食事をしていたとき、突然叔父が
「義兄さん(父のこと)はえらいわ。義姉さんに何言われても黙ってはいはいって聞いとるんじゃけ。わしゃ無理や。じゃけん、しょっちゅうこれや。」
笑いながらケンカの身振りをして見せ、しみじみそう言ったのです。
正直言って、母と叔母は姉妹だけあってよく似たところがあります。仕切り屋で、よく気がつくのはいいのですが、その分あれこれ口うるさく、特にうちの母は何でも自分が正しいと譲りません。
叔母もやはりそういうところがあり、それに対して叔父は我慢できずに言い返すのでケンカになるのだと笑って話してくれました。
なんだか目からウロコが落ちた気がしました。
そうか、確かにそうだ。
うちの父は母にどんなひどいことを言われても、激昂することもなく、いつも黙って耐えていたじゃない。それは弱いからじゃなかったんだ。すごいことなんだ。。。
もし父が叔父のように短気なところがあったら、それこそ我が家は夫婦喧嘩が絶えなかったかもしれない。けれど、喧嘩している姿は殆ど見たことがない。父が声を荒げた姿を本当に殆ど見たことがないのだ。
心からすごいと思いました。私なら絶対無理だとも思いました。
自分が正しければ、絶対折れることなんでできない。喧嘩になろうとも納得するまで言い返す。多分私ならそうなのです。父だって、何十回、何百回と言い返したいこともあったでしょう。それでもぐっと言葉を飲み込んで我慢してくれていたに違いないのです。
それに気づかせてくれた叔父に心から感謝しました。そして父には本当に申し訳ないことをしてしまったなと深く深く反省しました。
震災後、実家を離れ、父母と一定の距離を置けたこともよかったのかもしれません。これまで母から聞かされていた愚痴は母の一方的な感じ方であって、正しい判断ではなかったということにも気づきました。
実家を離れてからは母の愚痴を聞く機会も減っていましたが、あるとき母がまたそれを口にしたとき、初めて私は叔父に言われた話を母にしました。そして、尋ねました。
「なあ、母さん?もし〇〇おじさん(母の実弟。家事も何でもできて几帳面。家計も自分で管理しているようなしっかりした人。)みたいな旦那さんやったらどうする?絶対しょっちゅう喧嘩してると思うわ。どうする?何でもかんでも仕切られて、ああしろこうしろって言われたら、母さん嫌やろ?父さんでよかったんやん。ええ旦那やん。そう思わへん?」
これまでいつでも黙ってうんうんと愚痴を聞いてくれていた私に思いがけないことを言われ、一瞬戸惑ったようでしたが、少し考えて「そうやね。」とひと言。
今思えば、きっと母も心のどこかでは父に感謝していたのだとも思います。食事のときには最初に父にご飯を出す。私はよく覚えていないのだけど、兄の話では昔は父には一品おかずが多かったりもしたそうだし、愚痴は一種のストレス解消だったのかもしれない。
だから私も黙って聞いてあげていたらよかったのかもしれないと、後に思いましたが、もうこれ以上父を悪くいうのを聞きたくなかったし、母にももっともっと父の良さを再認識してもらいたい、そう心から思ったのです。
(もう少しつづきます)
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コメント
いいお父さん、いいお母さんですね。
続きも楽しみにしています。
投稿: アオ | 2006年2月20日 (月) 19時46分
ありがとうございます。
今は本当に素晴らしい両親だと思っています。
そう気づけて本当によかったなと思います。
投稿: TOH | 2006年2月20日 (月) 20時39分
うちもそうなんですよね~。どこも同じだなあ、と思いました。悪口を言う母の気持ちは分からないでもないので、「うん、うん」と聞いてやるのも私の役目かな、とは思っていますけど・・・。
関係ないけど、TOHさんって、なんか変な感じ。
だって、私もずっと渾名が「とーさん」「とーちゃん」だったんだもの。でもきっとすぐ慣れますね。
投稿: えくぼ | 2006年2月20日 (月) 22時40分
えくぼさんこんばんは。
なんて偶然♪
私は小1のときからずっと「とうちゃん」と
呼ばれているんです。
今でも友人たちはそう呼びますよ。(笑)
投稿: TOH | 2006年2月20日 (月) 22時49分