違和感(1)
最近、ブログでお知り合いになった方々のブログを訪問していて、あるブログで私がとても危惧している「機械的反復学習」のプリント塾のことについて議論が交わされているのを読ませてもらいました。そして、そこから繋がって、100マス計算で有名な陰山先生の掲示板に辿り着きました。
そのどちらでも、多くの保護者の方や学校の先生、塾の先生たちが色々な意見を書いておられるのを読みながら、何だかうまく言えない違和感を感じました。
以前から何度かご紹介しているこだま先生が、私が読ませてもらったブログのどちらにも登場しておられ、おっしゃっていること、信念として持っておられること、それらは常に筋が通っており、とても共感できたのですが、他の多くのコメントを読みながら、私は何だかよくわからないのですが、とても悲しい気持ちになりました。
幼児期の機械的反復の危険性を訴えている人は少なくないかと思います。けれど、多くの大人たちは「もしそんなに危険ならもっと規制されているんじゃないの?」とか「少しぐらいなら大丈夫じゃないの?」とか「わからないけど、みんなやってるし、歴史もあるんだから」とか、そんな判断で取り組ませているように思うのです。
私自身、どの程度までは大丈夫でどこからが危険なのかはわかりません。恐らく、どんなに研究が進んでも正確な数値が出せるようなことではないのではないかと思います。子どもの性格やそれまでの育てられ方、家庭環境などによっても差が出るであろうことが容易に予想できるからです。
幼児・低学年期の機械的反復の危険性を挙げる先生方の多くは、そのかわり「じっくり考える学習をしましょう」であるとか、「しっかり外で遊びましょう」であるとか、「自然に触れましょう」であるとか、その代替案(私はそちらの方が圧倒的に重要だと思っていますが。)を提示しておられることが殆どですし、危険性を感じるようになったのは、実際にご自分が指導されてきた上でという方も多い訳です。
おまけに、その時期の機械的反復学習を否定している先生方の多くが、じっくり考える学習をさせた結果、確実に成果をあげておられる訳です。
少なくとも、私が知る限り、機械的反復学習に警鐘を鳴らしておられる先生方で、代替案も出さず、子どもの能力を伸ばすこともできていない先生はおられないのです。(もちろん、中にはおられるのかもしれませんが。)
とすると、なぜそこまでして、大切な時期に「機械的反復学習」に拘るのかがどうしてもわからないのです。
仮に、考える学習をさせることが経済的な負担が大きいであるとか、準備に時間がかかるであるとか、そういうことがあるならまだしも、決してそんなことはないのです。
ずっとずっと思っていることです。
安全性の確認されていない、副作用がきついお薬があったとしましょう。特定の症状にだけは効果があります。けれど、安全性が確認されていないのです。その症状を改善、もしくは完治させるために、安全性の確認された価格もほとんど変わらないお薬があっても、前者のお薬を服用する人は世の中にどれだけいるのでしょう?
もし、それでも前者のお薬を飲むという方はそれもひとつの選択ですから、それ以上私がどうこういうことはありません。
けれど、後者のお薬を選ぶ、もしくは、少なくとも安全性の確認されていないお薬は飲まないという方なら、どうして迷いながらも危険かもしれない(危険だと断言してもいいかもしれませんが)機械的反復学習を選ばれるのかがどうしてもわからないのです。他に選ぶものがないのならまだしも、それがそこにあるのになぜ?どうしてもそう思うのです。何よりも大切なお子さんのことなのに。。。
(つづきます)
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