言い知れぬ恐怖・追記
今、こだま先生のブログを覗いたら、記事を削除されていました。
私自身の先ほどの記事は、陰山・・・の掲示板で記事をどうこうしたということに対して書いたのではなく、こだま先生の消えてしまったブログで、掲示板管理者がある方へ送ったメールの中に「陰山先生の活動が誤解される」というような趣旨の文章があったことに対してでした。
こだま先生のブログに寄せられたコメントを見る限り、記事を自ら削除された方は少し問題のある方だったのかもしれませんし、それをご自分で全て削除されたのですから、そのことに対してどうこうという気持ちはありません。
そうではなく、「陰山先生」のされていることを「誤解」されるという表現にひっかかったのです。
物事には常に表と裏があると思うのです。どんなに素晴らしいものでも完全なものは存在しないのではないかと思っています。特に教育に関して。
だからこそ、日々みんな悩み、迷い、よりよいものを求めているのだと思います。
それが今、私にとっては「考える学習」「学びとる学習」なのであって、もしもこの先、更によいと思えるものが見つかれば、きっとそれを採り入れることになると思います。
もちろん、投稿者のこれまでの発言自体に色々問題があり、それに対して管理者が「できれば投稿を控えて下さい」と申し出ただけなのかもしれません。
けれど、管理者が陰山先生の実践の危険な面を一切認めていないのは事実だと思うのです。
そして、その実践を信奉する方たちが離れていかないよう、不適当な発言をしないように求めているようにも感じてしまうのです。もちろん、管理者ご自身が陰山メソッドの信奉者でおられるのだと思いますが。。。
ずっとずっと思っていて、まだまとまらないのですが、「誰がやってもお手軽にできてすぐ効果が出る教育」なんてどこかおかしいのではないかと思うのです。
量産できて量販できる。その時点で「本物」とかけ離れていくような気がするのです。少なくとも幼児・小学生の教育に関しては。。。
だって、子どもは一人一人違っていて、きちんと見守ってあげなければ本当の効果は出ないはずですし、躾ひとつとっても、言ってすぐできるなんてことはないはずです。だから、小さい子向けの「お手軽学習教材」はまずは疑ってかかるべきなのではないかと思うのです。
中には素晴らしいものだってあるかもしれません。でも、とにかくまず疑ってかかる。それが大事なのではないかと思っています。
今時間がないので、ひとまずこのあたりで。。。
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