壁
記憶にある限り中学生の頃から、何か悩みを抱えると、悩みながらもどこかで必ず「解決しない悩みはない」と思っていた。
実際、悩みを抱えたって何年も悩み続けたことなどないし、結局過去の悩みは全て、解決したかどうかは別として、少なくとも「解消」はした。
同じように、何か困難な問題にぶつかっても、いつもどこかで思っていた。
「これは神様が与えたテストだ。私は試されている。神様は越えられる課題しか与えないはずだ。」
神様といっても、私は信仰がないので、何か具体的なものをイメージしていた訳ではないけれど、そう思うことで、気持ちの切り替えをしようとしていたのかもしれない。
それでも、確かにずっとそう思っていた。だから、どんなときも、逃げ出したくなっても、どうにかやってこられた。
大人になって、自己啓発やスピリチュアル関連の本を読むようになって、ちょっと驚いた。何人もの霊能者の方などが書いておられたからだ。
共通する内容はほぼ以下のようなものだった。
「越えられない壁はない。」
「障害と見えるものは生まれる前に自分で課題として設定してきたもので、自分なら必ずクリアできるものを今回の人生の課題としているのだ。」
「逃げずに課題に向き合うことで魂が磨かれ、ステップアップできるのだ。」
試練は与えられたものではなく、自ら与えたものらしい。
けれど、越えられないはずはないということに関しては、自分がずっと思っていた通りだったことに驚きもし、喜びもした。
いずれゆっくり書きたいと思っているけれど、人の魂は何度も生まれ変わるらしい。そして、その度与えられた課題をきちんとクリアしなければ、次の人生ではその課題が更にパワーアップして与えられるらしい。逃げてばかりいても解決するどころか、次には一層難問となって自らにふりかかるとも言う。
もちろん、死後の世界や生まれ変わりを否定する人も多いだろうし、科学的に証明することなんて不可能だ。
けれど、飯田先生が書いておられた。生まれ変わりがあるということを信じて、次の人生を少しでも素晴らしい人生にするため、この人生を精一杯生きようとすることと、生まれ変わりなんてないと否定して、問題から逃げてばかりいることとを比べたとき、前者の方はいいではないかと。
私もそう思うのだ。
仮に信じて一所懸命生きた後、死後の世界や生まれ変わりがなかったとして、精一杯生きた人生は実り多いものになるだろうし、もしあったら、次の人生は今の人生より更に素晴らしいものになるかもしれない。
そして、生まれ変わりを否定して、困難から逃げ続け、なんとなく人生を過ごして生涯を閉じたとき、仮に死後の世界が存在しなかったとして、その人生と前者の人生はどちらが充実しているかは恐らく言うまでもないだろう。そして、もしも死後の世界が存在したら、その人は次の人生で一層難しい問題に直面するかもしれないのだ。
困難にぶつかっても、それは自分が生まれる前に設定してきた課題だと受け止めれば、少し気持ちが楽になる。
どんな問題にも必ず意味がある。そう考えることで、嫌なことも違った見方ができるようになる。
悩みだって苦しみだって、全て次へのステップアップのためだと思えば、少し気持ちも前向きになるのではないだろうか。
そんなことを時々考える。
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コメント
わたしも読みましたよ~。全く同感です。
投稿: えくぼ | 2006年2月28日 (火) 01時57分
こんばんは。2月も明日でおしまいですね。
1日1日を大切にと思いながらもついついダラダラ
しちゃったりもして、しばしば反省です。(苦笑)
投稿: TOH | 2006年2月28日 (火) 02時05分
>どんな問題にも必ず意味がある。そう考えることで、嫌なことも違った見方ができるようになる。
本当にそうですね。
今の私には救いの一言でした。
ありがとうございます。
投稿: 寺子屋ありがとう | 2006年3月 1日 (水) 00時20分
思いがけずお役に立ったようで何よりです。(笑)
でも、きっとホントにそうなんですよね。
偶然なんてないし、全てに意味がある。
そんな気がします。
投稿: TOH | 2006年3月 1日 (水) 04時31分