違和感(4)
私は小学校の教員免許も持っています。非常勤でよければ今すぐだってどこかの小学校で働けるかもしれません。(あ、年齢制限があったかもしれませんが。。。(苦笑))ですが、正直な話、教員免許を取るために大学で学んだことなんて、笑ってしまうぐらい少ないのです。
もちろん、授業はきちんと取りましたし、殆ど出席もしていました。やりたい勉強でしたから、いい加減に取り組んだつもりはありません。けれど、実際のところ、もし教員採用試験にパスすれば、卒業したらもう「先生」と呼ばれ、子ども達を指導するのかと思うと、恐ろしく思いました。たったこれだけの勉強で取れる免許ってなんだろう?と。
今、子ども達と学んでいて役に立っている知識の殆どは卒業後に身につけたものです。学生時代に学んでいたことは殆ど覚えてもいません。
そんな状態で先生になっている方も少なくないと思います。なのに、日々の業務に忙殺され、じっくり教材研究をしたり、指導案を作ったりということも殆どなく、その先生の授業を受けている子ども達を想像してください。
お断りしておきますが、私は小学校の先生を批判しているのではありません。先生方もお気の毒だと思っています。きっと、本当はもっとしっかり研究したいのに、準備したいのに、そんなジレンマを抱えながら指導しておられる先生も沢山おられるのだと思います。(そして、いてほしいと思っています。)ただ、悲しいことに、現実は恐らく私の予想とそうかけ離れたものではないのではと思っているのです。
昔は授業時間数もたっぷりありました。だから、現場の先生方ももう少し余裕があったはずです。けれど、ここまで授業時間が削られ、行事は減らず、その中で授業を年間計画通りに進めなくてはならない。今の先生方は本当にお気の毒です。
けれど、それを選択したのは先生方ご自身だとも言えるのです。(私にはその能力がないと思いましたので、教員にはならないと決めましたので。)
何よりも子どものことを最優先してもらわなければ困ります。それでなくても、小学校低学年まで、場合によっては小学校6年間は、子どもの発達の上で最重要時期とも言えるのですから。
あぁ。。。すいません。。。
どんどん収拾がつかなくなってきていますね。
これを書いている途中でこだま先生のブログを読み、また別のタイトルで重複する内容を先にアップしてしまったりもしていますので、このお話は一旦このあたりでまとめさせて頂くことにします。
これを書いている間に、自分が書いた卒論のテーマのことを思い出したり、会社員になって間もない頃感じた「学校」や「先生」に対しての思いなども思い出したりしました。
またそちらも追々書かせて頂こうと思います。
とにかく、誰でもひとつのことを見詰め続けていると、どんどん視野が狭くなって行きますし、他のいいところや今あるものの悪いところなどに気づかなくなっていくということはあると思うのです。
中にいると見えないもの、気づけないものがあるのだということを、私自身ももう一度意識していかなければならないなと思います。
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