父親のカゲ口、父親の背中(3)
それからは実家を離れたこともあって、愚痴自体を聞くことも減り、たまに愚痴ったときには適当に聞きながら、やんわりと父のよさを伝えるようにするようになりました。
けれど、これまでのことを父に直接謝ることもできぬままでした。
それでも、母が理不尽なことで父を責めるときには「そんなん父さんのせいじゃないやん」などと父の気持ちを代弁するようになりました。
あるとき母が「あんたはそうやってすぐ父さんの味方をする」と言ったことがありました。
私は父の味方をしている訳ではなく、ただ感じたことを言っているだけだったので、少し言い返したのですが、そういう意味で最近は私と母がしばしば口論っぽくなるのを、父が笑いながら見ていることがあります。なんだか平和だなと思います。
少し前、広島の叔母がこんなことを教えてくれました。
「義兄さんが『俺の味方は〇〇(私)だけや』って言ってたよ。」
叔母は気さくな人で、父のことを高く評価してくれているので、時々父を気遣ってくれていました。電話をくれたとき母が留守で父と少し話したようですが、そのとき父がそう言っていたと教えてくれたのです。
よかったと思いました。
長年父に辛く当たって、きっと寂しい思いをさせていたに違いありません。本当に申し訳なく思っていましたが、今更謝ってもその時間が戻せる訳でもなく、また、身内なだけに尚更改まって謝るのも照れ臭く、そのままになっていたのが気になっていました。
けれど、冗談でも父がそんな風に言ってくれたことが本当に嬉しく思いました。
父を嫌いだと思っていた間、私はずっと苦しかった。
嫌いな人と一緒に暮らしているということももちろん苦痛ではあったのだとは思います。
けれど、それよりも何よりも、無二の父親を好きになれない自分のことも、心のどこかで好きになれませんでした。
家にいて、父と顔を合わせるのが嫌、話しかけられるのも嫌。。。そんな毎日を想像してみてください。そんなので心から幸せだと思えるはずがありません。自分が生まれたのはこの人がいたからなんだとわかっているだけに、尚更自分のこともどこかで好きになれずにいたように思うのです。
そんな風に10年も過ごしてきていたのです。
色々なことを経て、今私は父のことが大好きです。
父は何も変わっていません。まあ、定年で昔より一層、家でゴロゴロしている訳ですが、のんびりしているところも、どこか子どもみたいなところも、今は全て可愛いとさえ思うのです。
そう思える自分が嬉しいのです。
普段は照れくさくって、お礼も言わない、面と向かって優しい言葉もかけない。
ですが、去年の父の誕生日にプレゼントにカードを添えました。
うちの父はもう結構な年齢で、男性の平均寿命を考えたら私がこれまでひどい態度を取っていたのと同じ時間を過ごし切れるかどうかわかりません。でも、これまでの時間の二倍も三倍も、父と穏やかに過ごしたいのです。うんと長生きしてもらいたいのです。
それでもやはり少し照れくさくって、カードにはわざとこう書きました。
「これからも体に気をつけて、120歳ぐらいまで長生きしてください」
父はそのカードを見ながら、嬉しそうに
「それはちょっと無理やろ。」
そう言って笑いました。
(もう少しつづきます)
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コメント
こんにちは。父親の悪口かあ・・・。私の実家もどちらかというと、寛容な父と気が利くけど細かい母のコンビですよ。(案外うまくいってます。)私の夫は家ではほぼ寝たきり(苦笑)で、子供たちにも頼れないと思われていて、何とか持ち上げないとなあ・・・。家族がこうして暮らせるのもお父さんが働いているおかげだよ、と常々話してはいるのですが、現実に疲れて寝ている父親では、小さい子供に説得力がないです。働いている夫を見せられたらいいんですが、小さい子供がぞろぞろ行ける職場でもないので・・・・。
投稿: kanachan | 2006年2月21日 (火) 10時15分
そうですね。お母さんが言わなくても、ダラダラしている
お父さんしか見られないと、どうしても「父の評価」は低く
なりがちですよね。。。
難しいところです。
そうなりたくなければ「寝たきり」にならないよう旦那さまに
働きかけるしかないですかね。。。(苦笑)
投稿: TOH | 2006年2月22日 (水) 02時09分