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2006年2月16日 (木)

私は私

最近ちょっと、私としては極めて真面目な硬いブログばかり書いていたような気がして(実は気のせいかもしれませんが)、今日はほんの少しだけ軽めのブログを。。。

私のブログをご紹介くださったこだま先生が、紹介の文の中に多分に社交辞令もあると思うけれど、「真の教育者」と書いてくださった。
天邪鬼な上、何かと言葉に拘る私は、またここでちょっと気になってしまった。

以前ブログに書いたことがあるけれど、私は子ども達に向かって、自分のことを「先生はね・・・」と言えない。子ども達のことも「生徒」と言えない。

もちろん、生徒に向かって「おい、生徒」とか「なあ、生徒」と呼びかける方はいないだろうけれど、そういう意味ではなく、うちに来てくれている子達を「生徒」と捉えたことがない。
みんなそれぞれに違う個性があって、それぞれに名前がある。確かにくくれば同じ集合に属するのだろうけど、私にとってそのくくりは「生徒」という言葉とは一致しない。
それは塾に勤めていた頃からずっとだ。

そして、私は「私」だ。
子どもはさすがに他に適当な呼称がないから、私のことを「センセイ」と呼ぶ。子どもにそう呼ばれるときは、ある種ニックネームのようなものだ。だから、子ども達のお母さんに「先生」と呼ばれると、なんだかむずむずしてしまう。
いえ、私より皆さんの方が、子育てに関してはずっとずっと私の先生です。。。そんな風に思ってしまう。

「教育者」

この言葉はどういう意味なんだろう。
文字通り「教え育てる者」という意味だとしたら「真の教育者」とは「本物の教え育てる者」ということなんだろう。

もちろん、そんなので子どもと向き合わないでよ、そんな風に接しないでよ、そう思う大人がいない訳ではない。
だからといって、私は「教育者」であるかもしれないけれど、紛れもなく「学習者」でもあるのだ。

偉くなりたいと思ったことはない。
賢くなりたいとはいつも思う。

子どもの上に立ちたいと思ったこともない。
同じ目線でありたいとはいつも思う。

子どもに尊敬はされたいけれど、私も子どもを尊敬していたい。

私に足りないところを子ども達が教えてくれる。
子どもがいるから努力できる。賢くなりたいと思える。

だから結局、子ども達は私の先生なのかもしれない。

つまるところ、やっぱり私はどこまで行ってもただの「私」で、何かでひと括りにもされたくないし、「真の教育者」だなんておそれ多い。

結局ただの天邪鬼かもしれないけれど、どうしても言葉に拘ってしまうのだ。

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コメント

私も、現役の頃、自分のことを「先生はね、」と言うのにかなり抵抗がありました。「先生」と言ってしまった瞬間に枠に「私」でなくなってしまう気がして・・。
そういえば、若いとき、同僚の先生が私に男の人を紹介しようとしたことがありました。「彼は、先生は嫌だって言うんだけど、君なら大丈夫だと思って。だって、先生らしくないでしょ?」って。
私がぶすっとして「どういう意味ですか?」と言うと、「何怒ってんですか?!この業界で『先生らしくない』は最高の誉め言葉ですよ!!」と言われました。

投稿: えくぼ | 2006年2月16日 (木) 23時16分

えくぼさん、いつもありがとうございます。
私の中でも「先生らしい」は褒め言葉じゃないような気がします。(笑)
子どもにも「先生らしくない」先生の方がいいと思いますよ、きっと。

投稿: TOH | 2006年2月16日 (木) 23時31分

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