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2006年2月 9日 (木)

違和感(2)

うちの子達は週1回1時間のレッスン、宿題は迷路やパズル、積み木遊びみたいなものも含めて週に10枚。ホントにそれだけしかやらないのに、学年よりずっと先のことまで学習しているし、頭も柔らかいまま。人間性も全く歪んでいる様子もありません。

ですから、少なくとも幼児から低学年の間に危険だと言われている反復学習をさせる必要性を一切感じないのです。
それどころか、その学習を併用している子は明らかに伸びが遅かったり、下手すればできていたことさえもできなくなったりしているのですから、少なくとも私のところに来てくれている子のお母さん達には「絶対させないでください」とお願いしているのです。

それでもまだやろうかどうしようか迷う人がいる。併用ならいいじゃないという人がいる。毒になる可能性が高いのに。。。

そんな思いで本当に悲しくなりました。

けれど、別のことでも言い知れぬ違和感を感じていました。
それは、100マスや機械的反復を肯定している方や迷っている方の発言の中に、どうみても主役であるはずの「子ども」への視点が抜け落ちているとしか思えないものが少なからずあったということです。

もちろん、それは私がそう感じただけで、実際には皆さん、子ども達のことを考えておられるのかもしれません。けれど、一番優先され、守られるべきは「子ども」であり、「子どもの才能」であると思うのです。

危険視する声があるのであれば、もっと真摯に検討すべきなのではないのだろうかと思えてなりません。

私がまだ見つけていないだけかもしれませんが、「考える学習」「実感する学習」を批判し、弊害を述べたものはあるでしょうか?あるなら見せてほしい。

無理矢理考えるとすれば、例えば単純な計算問題の羅列に抵抗を示し、やりたがらない。そんなことはあるかもしれません。
けれど、それは楽しくないからやりたくないだけで、できない訳ではありません。
少なくとも「致命傷」などというレベルでの危険は「考える学習」「実感する学習」にはどうしても考えられないのです。

一方は安全性が高く、確実に力がつき、子どもも楽しんで学べる。
他方は危険性が高く、単純計算のみ速くなり、楽しいとしても一時的、表面的なものでしかない。

その2つを比べてどちらを選ぶかに迷う余地などあるのでしょうか?

正直言えば、私だってほんの数年前までそんなことは知りませんでした。ただ、その危険を唱える先生や本に出会い、そこから色々な本を読み、話を聞き、実際の子ども達を前にしながら、幼児・低学年期の「考えない学習」がどれだけ危険で子どもの能力を潰すのかを実感し、その思いは日を追うごとに強まる一方なのです。

私自身、もう後悔をしたくないのです。
塾に勤めていたときに知っていれば、もっと伸ばしてあげられた子達がいたはずです。

(つづきます)

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