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2006年2月28日 (火)

今日の幸せ

子ども達とのレッスンはホントにいつも幸せの連続です。
今日もとってもうれしいことがありました。

先月から来てくれ始めた年中さん。とっても可愛くて、おりこうです。
今日の1つ目のレッスンはその彼と。

送ってきてくださったお母さんがこんな話を聞かせてくれました。

「〇〇くん、算数は週何回いくの?って聞いたら、『5回!』って。△△は?って聞いたら『0回。』、□□は?って聞いたら『2回。』って。この子の優先順位がわかりました。」

うふふ。
週5回はもちろん無理なんですけど、そんな風に思ってもらえてホントに嬉しいです。
お蔭で今日はずっと幸せな気持ちでレッスンできました。
ホントにありがとう。

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2006年2月27日 (月)

記憶にある限り中学生の頃から、何か悩みを抱えると、悩みながらもどこかで必ず「解決しない悩みはない」と思っていた。
実際、悩みを抱えたって何年も悩み続けたことなどないし、結局過去の悩みは全て、解決したかどうかは別として、少なくとも「解消」はした。

同じように、何か困難な問題にぶつかっても、いつもどこかで思っていた。

「これは神様が与えたテストだ。私は試されている。神様は越えられる課題しか与えないはずだ。」

神様といっても、私は信仰がないので、何か具体的なものをイメージしていた訳ではないけれど、そう思うことで、気持ちの切り替えをしようとしていたのかもしれない。
それでも、確かにずっとそう思っていた。だから、どんなときも、逃げ出したくなっても、どうにかやってこられた。

大人になって、自己啓発やスピリチュアル関連の本を読むようになって、ちょっと驚いた。何人もの霊能者の方などが書いておられたからだ。
共通する内容はほぼ以下のようなものだった。

「越えられない壁はない。」
「障害と見えるものは生まれる前に自分で課題として設定してきたもので、自分なら必ずクリアできるものを今回の人生の課題としているのだ。」
「逃げずに課題に向き合うことで魂が磨かれ、ステップアップできるのだ。」

試練は与えられたものではなく、自ら与えたものらしい。
けれど、越えられないはずはないということに関しては、自分がずっと思っていた通りだったことに驚きもし、喜びもした。

いずれゆっくり書きたいと思っているけれど、人の魂は何度も生まれ変わるらしい。そして、その度与えられた課題をきちんとクリアしなければ、次の人生ではその課題が更にパワーアップして与えられるらしい。逃げてばかりいても解決するどころか、次には一層難問となって自らにふりかかるとも言う。

もちろん、死後の世界や生まれ変わりを否定する人も多いだろうし、科学的に証明することなんて不可能だ。
けれど、飯田先生が書いておられた。生まれ変わりがあるということを信じて、次の人生を少しでも素晴らしい人生にするため、この人生を精一杯生きようとすることと、生まれ変わりなんてないと否定して、問題から逃げてばかりいることとを比べたとき、前者の方はいいではないかと。

私もそう思うのだ。
仮に信じて一所懸命生きた後、死後の世界や生まれ変わりがなかったとして、精一杯生きた人生は実り多いものになるだろうし、もしあったら、次の人生は今の人生より更に素晴らしいものになるかもしれない。

そして、生まれ変わりを否定して、困難から逃げ続け、なんとなく人生を過ごして生涯を閉じたとき、仮に死後の世界が存在しなかったとして、その人生と前者の人生はどちらが充実しているかは恐らく言うまでもないだろう。そして、もしも死後の世界が存在したら、その人は次の人生で一層難しい問題に直面するかもしれないのだ。

困難にぶつかっても、それは自分が生まれる前に設定してきた課題だと受け止めれば、少し気持ちが楽になる。
どんな問題にも必ず意味がある。そう考えることで、嫌なことも違った見方ができるようになる。
悩みだって苦しみだって、全て次へのステップアップのためだと思えば、少し気持ちも前向きになるのではないだろうか。

そんなことを時々考える。

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2006年2月26日 (日)

調べる習慣

他県の先生とメールでお話している中で、今回は「とんど(焼き)」のことが話題になった。

松の内を過ぎ、お正月飾りなどを外して神社などで焼く行事のことだが、その方の県では「お焚き」と呼ぶそうだ。

あらら、とんども関西弁だったの?と思って広辞苑(電子辞書)を調べてみた。すると、正式名称(?)は「どんど」ということがわかり、意味の中に別の呼び方として「とんど」「とんどやき」とも書かれていた。

そう報告すると、お返事のメールにこんなひと言があった。

「頻繁に辞書を使っておられるようですね。」

ん?頻繁??
そう言われてふと考えた。

私は小さい頃から何か気になることがあると、それが解決しないとモヤモヤ気持ち悪くて、親に聞いたり、辞書を調べたりしてきたような気がする。

今でも実家に帰り、最近ではみんなちょっと脳の衰えも進み(苦笑)すぐに言葉が出てこなかったり、芸能人の名前が出てこなかったりすることについて、辞書やらタレント名鑑やらが登場する。

わからないことを調べるのは我が家では当たり前のことで、「〇〇ってなんだったっけ?」と誰かが尋ね、誰かが即答できればそれでいいのだが、できない場合、「辞書!辞書!」となったり、みんなで思い出すまで延々考えたりするのだ。(実家は未だパソコンがなく、インターネットが使えないので・・・。いくら勧めても両親とも頑なに拒むのである。。。)

それが当たり前なので、疑問を持ったら誰かに聞くか調べるのは昔から自然とやってきたことで、改めて意識することもなかった。
家族みんなそうだと返事をしたら

「知的レベルの高いご家族ですね。」

と言って頂いたけれど、我が家は既にご紹介済みの通り、学歴なんかで言えばちっとも「レベル」は高くない。

うまく言えないけれど、わからない状態が気持ち悪い。気持ち悪いのは嫌だから、早く解消したい。ただそれだけのことのような気がするのだ。

けれど、子ども達と関わっていると、なぜ知らないままで平気でいるのかな?と思うことが多い。文を読んで、意味もわかっていないのに、質問もしないし調べようともしない子があまりにも多いような気がする。それはなぜなんだろう。

忘れているのかもしれないけれど、私は親から「調べなさい」と言われた覚えはないし、学校の意味調べの宿題とかは面倒で嫌いだったので、教科書ガイドを丸写しなんてこともしばしばあったような気がする。強制されて身に着いたものではないのは確かだ。

とすると、きっと昔から親が何かあったら辞書を引いている姿を見ていたのかもしれない。
母はもう本当に年代物の辞書を長らく使っていた。(震災で失ったかもしれないが)旧仮名が使われていたりするようなもので、紙もすっかり色が変わっていた。女学生の頃からずっと使っていたものらしい。思い出の品だったのだろう。小さなもので、載っていない言葉は多かったけれど、子どもの頃その古びた辞書を見るのが好きだった。何かあると、母もその辞書を手に取っていたように思う。

言葉へのこだわりは小さな頃からある。
子どもの頃「みっともない」という言葉は「みっとも」というものが何なのか気になって辞書を引いた。しかし、その頃持っていたレベルの辞書では疑問は解けず、いつの間にか忘れてしまっていた。(「見とうもない」からきているようですね。)

それはもしかすると、母親のお蔭によるところが大きいのかもしれない。
ふとそんなことを思った。

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2006年2月25日 (土)

みんなすごい!

今日もいっぱい感動しました。

年中の女の子は本当におりこうで、とってもよく頑張ってくれます。
で、「すごいねぇ、よくできたねぇ。」というと、素直に「うん、よくできた。」と笑顔で答えてくれる素直さ、無邪気さが大好きです。

先月下旬から来てくれている年長の男の子がまたすごい!!
レッスンもすごくよくできるのですが、今日の帰りがすごかった。。。

「1たす1は2。2たす2は4。4たす4は8。・・・」

と言い始めたので、「うんうん、すごいねぇ」と言って聞いていたのです。

それがどんどん続き、「64たす64は128。」とものすごいところまで来て、もう十分驚いて感動していたのですが(あ、これに関してはここでのレッスンは全く関係なく、彼のこれまで身につけてきた能力だと思うので、お母さまなどの育て方、接し方、持って生まれた何かだと思うのですが。)果たして次も言えるのだろうかと、期待しながら待っていました。

お母さんは「もうそれは無理でしょう?」と微笑んでおられたのですが、彼はう~~んと考えて、

「えっと、にひゃく、よんじゅう、あ、ちがう、ごじゅう、んと、8と8だからぁ、256!」

うぉぉぉ!!どうやら彼は3桁の繰り上がりのある足し算まで殆ど問題なくいけそうな気配です。。。恐るべし。。。

こんなに毎日毎日感動させてもらえて、私はホントに幸せです。

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2006年2月24日 (金)

フィギュアスケート

女子のフリー演技を見たくて、睡魔と闘いながら頑張っていたものの、途中何度も意識を失って、どうにか安藤の演技を夢現の状態で、村主、荒川の演技は見られなかった。

目が覚めると、つけっぱなしだったテレビに荒川が映っていて、画面の隅に「金」の文字が見えた。

眠ってしまう前、第1、第2グループの演技を見ていた。
オリンピックに出てきた世界中からの代表。フリーを滑れるのは24人しかいないらしい。

世界中で24人。
けれど、第1、第2グループの見ていると、素人の私が見ていても、なんだかキレがなかったり、優雅さが足りなかったり、そんな風に見えた。

世界の最高峰でもメダルを狙える人たちがどれだけ凄いのかを少し感じた。
そんな中で、日本からは3人も出場し、フリーの前ではベスト8に全員が入っていた。
すごいことだなぁと思った。

その昔、伊藤みどりさんが3回転半を跳んだ頃、彼女の体型は海外の選手と比べ、手足も背丈も「見栄え」という意味では明らかに劣っていた。それ以前の選手だって、フィギュアや体操などを演じるという面で言えば、日本選手の体型はやはり海外の選手には劣っていた。

それから一体どれだけの時間が経ったというのか。今の代表の子たちはすっかり海外の人と見劣りしない姿になっている。すごいことだなと思いながら見ていた。

しかし、今回の代表の中で荒川選手のことは、顔だけで「美人だけど気の強そうな子だなぁ」と勝手に思っていた。もちろん、そこまで上り詰めるだけの精神力は相当のものだろうから、そういう面もあるのだろうけど、たまたまつけたままになっていたテレビですごいものを見てしまった。

荒川選手は普通のサラリーマン家庭の一人っ子だそうだ。幼い頃から運動能力が素晴らしく、5歳でフィギュアを習い始めたらしい。
けれど、それを続けさせるためにお母さんは昼間は様々なパートをし、夜は夜で洋裁の経験もないのに、借りた衣装を真似て、彼女の衣装を縫ったらしい。
フィギュアの衣装だから、洋服を縫うというような話じゃ済まない。生地自体も伸縮性のあるもので縫い辛いだろうし、その上、数え切れないほどのビーズやスパンコールがついているのだ。それを母が夜なべして縫ったというのだ。

子どもの頃からの衣装を並べてカメラがざっとそれを映したけれど、とても素人が縫ったとは思えない素晴らしいものだった。母の愛はすごいなと思った。
そして、それは幼い頃のことだろうと思って見ていたのだけれど、彼女が大人になってからも母は彼女の衣装を縫い続けていたのだそうだ。

テレビで彼女は言っていた。
個人競技なので、手作りというのは心強かったと。

スケート靴は1足15万もするそうだ。それを年間4足ぐらい履き潰すという。
靴だけでそれなのだから、フィギュアはお金持ちじゃなくちゃできない競技なのだということを改めて知った。
テレビでお父さんが一般のサラリーマン家庭で世界レベルの選手というのはあまりいないだろうと話しておられた。荒川家では、彼女自身が続ける続けないという問題とは別に、経済的に続けさせてあげられるかどうかがご両親の心配だったようだ。

間違いなく、彼女は両親の愛があって今がある。
手作りの衣装は間違いなく彼女に力を与えたはずだ。母の愛情はそれほどに強いのだと思う。

ご両親は愛情の溢れる穏やかな顔をしておられた。

テレビで彼女はメダルのことは考えていなかったと答えていた。「無欲の勝利」と新聞なども書いているようだ。インタビューを見たときには、そう言いながらも狙ってたのでは?と思ったりもしたのだけれど、あのご両親のもとでここまでやってきた彼女は、もしかすると本当に「自分のためのメダル」は狙っていなかったのかもしれない。少しそんな気がした。

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2006年2月23日 (木)

書きたいことは沢山あるのに。。。

頭の中に浮かんだことがそのまま文字になってくれたら、いくらでも書けるのにってぐらい、書きたいこと、考えていることはあるのに、どうにも時間が足りません。。。

今日はこれからちょっとお手伝いに出動するので、今日中にこちらの更新はできないかも。。。

読書感想の方も中途半端な状態になっていてモヤモヤしています。明日こそ少し時間を取って書けるといいなと思っていますが。。。

元気だったら深夜に更新いたします。
覗きにいらして下さった方に感謝致します。

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2006年2月22日 (水)

父親のカゲ口、父親の背中(4)

自分の親を好きになれないのは子どもにとって悲しいことです。
自分の親を尊敬し、好きでいられたら、それだけでもきっと素敵な子どもに育つような気がするのです。

世のつい愚痴をこぼしてしまうお母さん、お母さんは毎日忙しくて大変で、愚痴を言いたくなるのもわかります。
ですが、できることならお子さんの前では無理してでもお父さんのことを立ててあげてほしいのです。もちろん、ストレスはうまく解消しないと、別の支障が出るかもしれませんから、ただじっと我慢してくださいというつもりはありません。お友達やご実家に愚痴を聞いてもらうとか、愚痴を言うかわりに何か気分転換できるものを見つけるとか、どうにか発散して頂いて、とにかくお子さんの前では極力言わないでほしいのです。

そして、最近は家事や育児に協力する男性も増えてはいるようですが、お知り合いの男性方を見ている限り、あんな仕事の仕方をしていたら、うちの父が若い頃そうだったように、子育ては奥さんに任せっきりという方も少なくないと思うのです。
あ、俺のこと?と思われたお父さん、お仕事大変なのはある程度わかります。(私も自分で生計を立てていますから。ひとりでも大変なのですから、ご家族がいれば当然もっともっと大変だと思います。)でも、家事も育児も同じぐらいかそれ以上に大変なんです。
だから、お仕事で疲れていても、ほんのひと言でもいいので奥さんに感謝の言葉を、時間の許す限り育児を、そうしてもらえたらなと思うのです。

そうでなければ、知らないうちに奥さんはストレスを溜め、あなたの愚痴をお子さんに聞かせているかもしれません。そして、いつの間にか大切なお子さんがあなたを嫌いになっているかもしれません、私がかつてそうだったように。

そして、これは会社にお勤めのお父さん方などには難しいことかもしれませんが、可能であれば、お父さんが頑張って働いている姿をお子さんに見せてあげられたらいいのにとも思います。

父は家に仕事を持ち帰ることはまずありませんでしたし、仕事の話を聞かせてくれることも殆どありませんでしたから、子どもの頃の私は父がどんな仕事をしているのかよくわかっていなかったのです。当然、父の苦労などわかろうはずもありません。

もし私が子どもの頃に、バリバリと仕事を頑張っている父の姿を見ることができていたら、母の愚痴をそのまま鵜呑みにすることもなかったかもしれませんし、少なくとも、休日にゴロゴロしている父をもう少し優しい目で見ることができたのではないかと思うのです。

実際に見せるのが難しくても、例えばどんな仕事をしていて、こんな大変なことがあったんだけど頑張ってやり遂げたんだとか、こんなものを作ったんだとか、ご自分のお仕事の話を聞かせてあげてほしいとも思います。

大切なお子さんのために、お父さん、お母さんに改めてお願いしたいのです。

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2006年2月21日 (火)

今日も感動。

火曜はもともと2時半から10時前までほぼ切れ目なくレッスンがある、私にとっては週で一番長い1日なのですが、今日は更に振替があり、1時20分スタート。計6つのレッスンを終え、掃除・片付け・明日の準備をしてやっとひと息つきました。

今日も子ども達はすごかった。
今月スタートした年中さんもこれがなかなかすごい。きっと近いうちにこのブログにも登場することになる予感いっぱい。

みんななんて賢いんでしょう。

あ、そうだ。今日またも驚きに似た感動が!!

うちのスーパー4年生、現在5年のワークを復習中です。
小数のかけ算を、過去ほんのちらっとだけやったことがあったので、まずはやってみてもらって、忘れているようなら復習しようと思っていたのですが、小数×整数は全く問題なくやっているので、見ていただけ。

で、小数×小数も最初から数問は順調に正解が続いていたので、ああ、これは全く問題ないな、点の付け方(位置)も覚えてるんだなと思ってみていました。

すると、何問目かで初めて点の位置を間違えました。私は当然単なる付け間違いなんだろうと思って、どうしてそこに付けたのか尋ねました。もちろん、私が予想していたのは両方の数の小数点の位置を後ろから数えた合計の分だけ答えの後ろから数えて付けるという、私自身が子どもの頃に習った方法でした。

しかし、彼の口からはこんな言葉が。。。

「え、だって、0.98に3.75かけるんやろ?だからちっちゃなるやん。」

うぉぉ~~、そんな考え方で点の位置を決めてたのね!!あぁ、ホントにすご過ぎるわ。感動だわ。。。

ただ、彼の答えは0.3675となっており、要するに小さくし過ぎていた訳です。まさかそんな答えが返ってくるとは思わなかったので、説明の仕方を変え、0.98は1よりほんのちょっと小さいだけであるということを確認し、だったら1×3.75よりほんの少し小さくなるだけよね?というと、「あぁ、じゃあ3.675なん?」と。

しかし、何が感動って、機械的にやり方を覚えたのではなく、大きさを考えていたということ。
もちろん、その後にテクニックとして点の位置の決め方は再度確認はしたのですが、彼のすごさを今日また改めて感じました。

それにしても、彼をじっと見ていると、次から次に感動します。
0.27リットル入るコップ2.5杯の水の量を求めるときの彼は、放っておくと、0.27×2を暗算。その後、0.27÷2を暗算。その答えを足すという順番で解きました。
0.76kgの油3.5リットルも同様で、0.76をまず3倍し、次に半分にしてから合計をしていました。

工夫して計算しなさいなんて言われなくたって、彼の頭はもう自然とそうできるみたいです。

今日のスーパー小3ちゃん達もまたまたすごかったのですが、それはまたの機会に。

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父親のカゲ口、父親の背中(3)

それからは実家を離れたこともあって、愚痴自体を聞くことも減り、たまに愚痴ったときには適当に聞きながら、やんわりと父のよさを伝えるようにするようになりました。

けれど、これまでのことを父に直接謝ることもできぬままでした。
それでも、母が理不尽なことで父を責めるときには「そんなん父さんのせいじゃないやん」などと父の気持ちを代弁するようになりました。

あるとき母が「あんたはそうやってすぐ父さんの味方をする」と言ったことがありました。
私は父の味方をしている訳ではなく、ただ感じたことを言っているだけだったので、少し言い返したのですが、そういう意味で最近は私と母がしばしば口論っぽくなるのを、父が笑いながら見ていることがあります。なんだか平和だなと思います。

少し前、広島の叔母がこんなことを教えてくれました。

「義兄さんが『俺の味方は〇〇(私)だけや』って言ってたよ。」

叔母は気さくな人で、父のことを高く評価してくれているので、時々父を気遣ってくれていました。電話をくれたとき母が留守で父と少し話したようですが、そのとき父がそう言っていたと教えてくれたのです。

よかったと思いました。
長年父に辛く当たって、きっと寂しい思いをさせていたに違いありません。本当に申し訳なく思っていましたが、今更謝ってもその時間が戻せる訳でもなく、また、身内なだけに尚更改まって謝るのも照れ臭く、そのままになっていたのが気になっていました。
けれど、冗談でも父がそんな風に言ってくれたことが本当に嬉しく思いました。

父を嫌いだと思っていた間、私はずっと苦しかった。

嫌いな人と一緒に暮らしているということももちろん苦痛ではあったのだとは思います。
けれど、それよりも何よりも、無二の父親を好きになれない自分のことも、心のどこかで好きになれませんでした。
家にいて、父と顔を合わせるのが嫌、話しかけられるのも嫌。。。そんな毎日を想像してみてください。そんなので心から幸せだと思えるはずがありません。自分が生まれたのはこの人がいたからなんだとわかっているだけに、尚更自分のこともどこかで好きになれずにいたように思うのです。

そんな風に10年も過ごしてきていたのです。

色々なことを経て、今私は父のことが大好きです。
父は何も変わっていません。まあ、定年で昔より一層、家でゴロゴロしている訳ですが、のんびりしているところも、どこか子どもみたいなところも、今は全て可愛いとさえ思うのです。
そう思える自分が嬉しいのです。

普段は照れくさくって、お礼も言わない、面と向かって優しい言葉もかけない。
ですが、去年の父の誕生日にプレゼントにカードを添えました。
うちの父はもう結構な年齢で、男性の平均寿命を考えたら私がこれまでひどい態度を取っていたのと同じ時間を過ごし切れるかどうかわかりません。でも、これまでの時間の二倍も三倍も、父と穏やかに過ごしたいのです。うんと長生きしてもらいたいのです。
それでもやはり少し照れくさくって、カードにはわざとこう書きました。

「これからも体に気をつけて、120歳ぐらいまで長生きしてください」

父はそのカードを見ながら、嬉しそうに

「それはちょっと無理やろ。」

そう言って笑いました。

(もう少しつづきます)

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2006年2月20日 (月)

ある意味で奇跡。。。

世間は確定申告の時期。
サラリーマンではないので、こんな小さな教室の私も毎年申告しなくてはなりません。

お知り合いの税理士さんに今年の申告を見てもらいながら、ふとすごいことに気づきました。

あれ?私、なんでこれで普通に暮らしてるんだろう?

あまりに不思議だったので、見間違いかと思ってもう一度見直し、申告書の数字をもう一度税理士さんに尋ね、間違いないことを確認し、改めてつぶやいてしまいました。

「なんで私、普通に暮らせてるんでしょう?」

その言葉を聞いて税理士さんは笑いながら、多少大袈裟ですが

「ほんまやなぁ。私ならひと月も暮らせませんねぇ。」

と。。。
まあ、実はあながち嘘じゃないんですけど。(苦笑)

それにしては痩せてもないし、生活苦も感じてないのはなぜでしょう??
う~ん、ミラクル。

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父親のカゲ口、父親の背中(2)

震災後、気分転換においでと言ってもらい、広島の親戚の家に遊びに行かせてもらいました。従兄たちやその子どもと楽しい時間を過ごし、夜に叔父や叔母も一緒に食事をしました。

私は叔父についてとても気さくで楽しい人という印象を持っていました。もちろん、かなり堅い仕事をしていたので、真面目で正義感が強いというところはあったと思いますが、うちの父と違い、しっかりしていていいなぁと思ったりもしたものでした。

楽しく食事をしていたとき、突然叔父が

「義兄さん(父のこと)はえらいわ。義姉さんに何言われても黙ってはいはいって聞いとるんじゃけ。わしゃ無理や。じゃけん、しょっちゅうこれや。」

笑いながらケンカの身振りをして見せ、しみじみそう言ったのです。

正直言って、母と叔母は姉妹だけあってよく似たところがあります。仕切り屋で、よく気がつくのはいいのですが、その分あれこれ口うるさく、特にうちの母は何でも自分が正しいと譲りません。
叔母もやはりそういうところがあり、それに対して叔父は我慢できずに言い返すのでケンカになるのだと笑って話してくれました。

なんだか目からウロコが落ちた気がしました。

そうか、確かにそうだ。
うちの父は母にどんなひどいことを言われても、激昂することもなく、いつも黙って耐えていたじゃない。それは弱いからじゃなかったんだ。すごいことなんだ。。。
もし父が叔父のように短気なところがあったら、それこそ我が家は夫婦喧嘩が絶えなかったかもしれない。けれど、喧嘩している姿は殆ど見たことがない。父が声を荒げた姿を本当に殆ど見たことがないのだ。

心からすごいと思いました。私なら絶対無理だとも思いました。
自分が正しければ、絶対折れることなんでできない。喧嘩になろうとも納得するまで言い返す。多分私ならそうなのです。父だって、何十回、何百回と言い返したいこともあったでしょう。それでもぐっと言葉を飲み込んで我慢してくれていたに違いないのです。

それに気づかせてくれた叔父に心から感謝しました。そして父には本当に申し訳ないことをしてしまったなと深く深く反省しました。

震災後、実家を離れ、父母と一定の距離を置けたこともよかったのかもしれません。これまで母から聞かされていた愚痴は母の一方的な感じ方であって、正しい判断ではなかったということにも気づきました。

実家を離れてからは母の愚痴を聞く機会も減っていましたが、あるとき母がまたそれを口にしたとき、初めて私は叔父に言われた話を母にしました。そして、尋ねました。

「なあ、母さん?もし〇〇おじさん(母の実弟。家事も何でもできて几帳面。家計も自分で管理しているようなしっかりした人。)みたいな旦那さんやったらどうする?絶対しょっちゅう喧嘩してると思うわ。どうする?何でもかんでも仕切られて、ああしろこうしろって言われたら、母さん嫌やろ?父さんでよかったんやん。ええ旦那やん。そう思わへん?」

これまでいつでも黙ってうんうんと愚痴を聞いてくれていた私に思いがけないことを言われ、一瞬戸惑ったようでしたが、少し考えて「そうやね。」とひと言。

今思えば、きっと母も心のどこかでは父に感謝していたのだとも思います。食事のときには最初に父にご飯を出す。私はよく覚えていないのだけど、兄の話では昔は父には一品おかずが多かったりもしたそうだし、愚痴は一種のストレス解消だったのかもしれない。
だから私も黙って聞いてあげていたらよかったのかもしれないと、後に思いましたが、もうこれ以上父を悪くいうのを聞きたくなかったし、母にももっともっと父の良さを再認識してもらいたい、そう心から思ったのです。

(もう少しつづきます)

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2006年2月19日 (日)

のちほど。

今日は3時頃までのんびりダラダラした後、お知り合いのお手伝いに行き、その後実家に行ってきたため、間もなく日付が変わってしまいます!!

後ほど昨日のブログの続きをUPする予定です。
どうぞよろしく。

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2006年2月18日 (土)

父親のカゲ口、父親の背中(1)

先日ご紹介した斎藤茂太先生の本に「父親のカゲ口を言うな」ということが書かれていました。
それを読みながら、私は深く頷かざるを得ませんでした。

茂太先生は、子どもは親のカゲ口を聞いて嬉しいわけがない、いい影響が出るわけがないというようなことを書いておられ、世のお母さん方がつい言ってしまいそうな(もちろんおっしゃらない方も沢山おられると思いますけれど)

「しっかり勉強しないと、お父さんみたいになっちゃうわよ。」

だとか

「ホントにお父さんはだらしないだから。(頼りにならないんだから。いい加減なんだから。などなど。。。)あなたはあんな風になっちゃダメよ。」

だとか、そういうことをお子さんに向かって言うことの悪影響を述べておられました。

お母さんは確かに大変です。家事に育児に。特にお子さんが小さいうちは自分のプライベートなど存在しないような時期もあるでしょうし、その時期を過ぎても、掃除、洗濯、食事の用意と365日ほぼ休みなく働いている方が殆どでしょうから、ついつい土日などにゴロゴロしている旦那様を見ると、そんな言葉が口をついて出てしまうこともあると思うのです。

実際、うちの父は仕事人間で、家事、育児の一切を母に任せっきりだったようです。おまけに、平日外で働いている分、休日はテレビを見てゴロゴロ、ダラダラ。
そんな姿を見て母は、私がある程度話が通じるようになった頃から、しょっちゅう父親の愚痴を言っていました。

幼い頃私は父親が大好きでした。
なのに、思春期にも重なり、その後延々と休日に家でダラダラしている父しか目にすることもできず、母の愚痴を聞いていた私は、いつの間にか父のことが嫌いになっていました。

本当に長い間、私は父と必要最低限の話しかしませんでした。かろうじて挨拶をする。話しかけられたら最低限の返事だけする。今思えば考えられないほど冷たい態度を取っていました。

それでも父はそんな私を一度も叱ったことはありませんでした。ただ静かにその状況を受け止めていてくれました。

私のその態度は大学になっても続いており、母の愚痴も相変わらずのものでした。
家ではひたすらダラダラしている(ように見える)父。いつも忙しそうにしている母。それを見る子どもとすれば、母の言い分に肩を持ってしまうのです。

父さんは頼りない。父さんは子どもみたい。。。

ずっとそう思っていました。

就職したとき、ほんの少しだけ意識が変わりました。
父親は、娘にあんなにも冷たい態度を取られながらも、文句ひとつ言わず、こうしてずっと仕事を頑張って私たちを養ってくれていたんだなと気づいたからです。

それでも、母の態度が変わることもなく、もうその頃には10年もそんな態度を取り続けてきていただけに、急に変わることはできませんでした。嫌いではなくなった。少し感謝できるようになった。その程度の変化でしかありませんでした。

結局、その心配は無用に終わりましたが、若い頃真剣に思っていました。「結婚式で父親に感謝の言葉なんて言えない。。。どうしよう。。。」と。

自分の気持ちに嘘が付けない性格なので、思ってもいないことを口にする自信はありませんでした。一時そんな話があったりもして、そのときには内心結構真剣に悩んだりもしたものです。

その後、震災に遭い、父の愛情を感じ、ちょうどそのタイミングで叔父がくれた言葉がようやく私の目を覚まさせてくれました。
(つづきます)

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2006年2月17日 (金)

毎日びっくりなことばかり

感動したことを書いていると、毎日小さいけど感動しっぱなしで、忙しいとついそれを忘れてしまうほど。。。

こんなに毎日感動していたら、そのうちそれが当たり前になりそうでちょっと恐くなるのですが、昨日も今日もレッスンでまた子ども達に驚かされっぱなしでした。

昨日、私を見て「髪ぼさぼさ」と言った彼女。
まだ小3ですが、正方形・長方形の面積と、あの凸凹したのやらL字やU字やらの複雑な形の面積やらの学習に到達しました。

実は、彼女のお姉ちゃんは幼い頃からK式で鍛え上げた結果、図形が大の苦手。それを知っている彼女は問題を見て、第一声が

「あ、これねえねの苦手なヤツや。」

でした。
そんな先入観があるものですから、「難しそう。。。」とぶつぶつ。

ですが、魔法のような(と私は思うのですが)よく考えられた教材で、長方形や正方形の面積の公式は知らないままなのですが(縦×横だとか1辺×1辺だとか。。。)まずはあっという間に長方形・正方形の面積の出し方を発見。

次いで、凸凹型などのそれぞれの辺のうちところどころが抜けていて、他の場所の長さからその長さを割り出すというプリント。

「なんや、めっちゃ楽しい♪」

そう言って、すごい勢いでそこまでを終え、いよいよ「ねえねが苦手」としていたプリントへ。

最初の1問だけ「こんなんできへん。どうするの?」と言ったので、1本だけ線を引いて、その部分の面積を尋ねたら、もう後は何もいう必要もなく、ものすごい勢いで複雑な凸凹だろうと変な階段型だろうと、お構いなしのスピードで解いていきます。

私はそこの長さを見つけるのは難しそうだから考えなかった場所を(そこを出さなくても面積は出せるのです)普通に使っている彼女に、もしかすると見た目の雰囲気で使っているのでは?と思い、「なんでそこ○cmなん?」と尋ねたら、

「だって、ここ○cmでここ△cmやろ?だから。」

と。。。私が気づいていなかった発見までさせてくれました。
絶好調で解きながら

「めっちゃおもろい。ねえねは苦手やけど、○○は得意になりそう♪」

そう言ってくれました。
この子も1年生の初めは半年ばかりK式に足を踏み入れていたため、同い年の初めは算数が苦手だったいとこより苦戦した時期もありました。けれど、もう大丈夫。この子もどんどん楽しみになっていきます。

その隣りでは同じく3年の男の子が分数の問題。
この子は彼女より遅く入ってきたこともあり、進度は彼女より少し遅く、またじっくり型なので答えを出すのに少し時間がかかります。

考えてるのかな?悩んでるのかな?とちょっと判断がつかず、ヒントを出すべきか迷うこともありますが、昨日の彼の問題はこれまた3年では普通はやらないレベル。

「4分の1kmは何メートルですか」みたいなものに始まり、「2分の1リットルと5分の2リットルではどちらが何デシリットル多いですか」みたいなものまで。
多分、今では特に難しいものという感覚はなくなっているものの、塾に勤めていた頃には到底3年生にこの問題をやらせることなど考えられなかったんだろうなぁとぼんやり思います。

先ほどの「2分の1リットルと。。。」の問題で彼が、2分の1の方が多いというところまで書いてしばらく止まっているようだったので、わからないのかな?とヒントを出そうとしたところ、ふと見ると消し残りのような線が1本答えの欄に。

「ん?これってなんて書いてるん?」

と念のため尋ねると、さも当たり前のように

「ん?1。」

と。。。
そうでしたか。。。もう次の問題を考えていたのですね。。。大変失礼致しました。(苦笑)

そんな感じで昨日も色々感動させてもらいつつ、今日も引き続き、感動の嵐。

初めて小数をやる3年男子は本当に1枚目の最初の1問にヒントを出しただけで、書き方(小数点より後ろでおしまいに0がつくときは書かないとかいうこと)や読み方は教えたものの、後は私はまるを付けていただけ。。。

「2.3は0.1がいくつ分ですか?」みたいな問題も秒殺。
因みに、ここで使っているプリントには説明は全く書かれていませんので、念のため。

200gが0.2㎏だとかいうこともあっという間に把握してしまったっぽい彼。恐るべし。。。

そして、一時スランプに陥りかけていた2年生の彼女もかなり復活してくれたようで、今日は重さの学習。色々な秤の文字盤のひと目盛りあたりの重さや針が指している重さを読むところまでやったのだけど、最初は若干苦しみました。(まあ、そもそも、この子が既に1000÷4とか1000÷5とかを普通にやってくれているというのも考えてみればすごいことなわけで。。。)

けど、4㎏秤のひと目盛りが40g、2kg秤のひと目盛りが20gとどうにか計算して辿り着き(苦しみながらだったものの、私は基本的にやり方は教えていません。)、突然彼女が言いました。

「あ~、なんかわかった。」

ん?何がわかったんだろう?と思って見ていると、1㎏秤のひと目盛りのところに10g、500g秤には5gと書いているのです。すごい!言わないで気づいた!!
ひと目盛りさえわかればあとは読むだけですから、ほぼ問題なし。

この分なら来週も楽しみです。

今日で3回目の年長の男の子も恐ろしくすごかった。。。
正直言って、1ヶ月目のレッスンの中に入れるのはどうよ?と以前から内心思っているプリントが1枚あるのですが、魔法の箱(?)があって、その箱を通ると玉が2倍とか3倍とかになるっていうんです。(もう少し簡単なものは小学校受験に出たりすることもあるようですが。。。)いきなり2倍とか3倍ですよ。。。(苦笑)

もちろん、その言葉の意味は積み木や玉を交えて説明はするのですが、それでもそのプリントは結構みんな苦戦するんです。
ましてや彼はまだ年長さん。おまけに体験も含めて3回目のレッスン。できなかったらもう少し先にやるよう置いておけばいいかなと思いながらも、この彼の反応が恐ろしく素晴らしいので、とりあえず一度やってみることに。。。

積み木を見せながら、1個の2倍はこう、3倍だとこう。。。そんなものを何度か見せたところ、大きな声で彼が「わかった!」と言いました。

ホントにわかったかな?と思いながらも見ていると、どんどんと解いていくではありませんか。
とどめは、一番最後の問題で、2個の玉が2倍の箱を通り、更に3倍の箱を通るという絵がありました。それを見て、ほどなく彼がまた大きな声で言いました。

「12!」

ん?12?へ?へ??

「それって答え?」

思わずそう尋ねた私に、この人何尋ねてるの?と言わんばかりに

「そう、答え。」

と。。。恐るべし。
スーパー年長さん現れました。(笑)

もう、毎日毎日幸せで仕方ありません。
本当にありがとう、みんな。

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子どもとの会話

すいません。。。あの。。。ホントにどうでもいい内容なので、もしこのブログの硬い文がお好みの方は読まないでください。

ちょっとこのところ真面目一辺倒で、昨日軽くしようとした内容も結局イマイチ軽くならず。。。
本来そんな性格じゃないのに、最近こちらを読んでくださっている方には完全なる間違ったイメージを形成されそうな不安が。。。(苦笑)
その辺り、生粋の関西人としてはどうにも落ち着かないもので。。。

昨日のお話。
今日の子達はとりわけ早く来るからと、レッスンが始まる40分近く前に教室に到着したにも関わらず(帰りに掃除も翌日の準備もして帰るので、たとえ5分前着でもレッスン自体はできるので、40分前なら超余裕な訳で。。。)例によってドアの前には子ども達が2人。

「ほんま早いなぁ~。」

そう言いながら、鍵を開けようとした私を見て、女の子が言いました。

「せんせ~、髪ぼさぼさ。」

・・・・・・・・・。
日曜に半年ぶりに行った美容院。ふわふわ頭になったとちょっと喜んでいた私。
あまりのことに不覚にも。。。

「ぼさぼさなんちゃうねん。」

と、素の返しをしてしまいました。。。

その返しに3年生の彼女は

「ふぅ~ん、ちゃうんや。ファッションなん?」

と素晴らしいお答え。。。
完敗。。。


ここはやっぱり

「そやねん、急いで走ってきたからなぁ。」

とか

「ちょっと寝相が悪くってなぁ。」

とか返せなかった自分がちょっぴり悲しかったです。。。(苦笑)

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皆様に感謝。

こだま先生や糸山先生のご紹介のお蔭によるところが圧倒的に大きいのですが、
それが大きすぎて驚いています。

これまで一番アクセスが多かった日でもこのブログは200に届いたかどうかで、
普段は50前後で落ち着いていました。

もっと見て頂きたいような気もしつつ、反面で多くの方の目に留まるようになれば
適当なことは書けないしと思ったりもしていました。

それがこの度、思いがけず両先生にご紹介頂いたことがきっかけで、16日の
アクセス件数が600を超えました。
拙い文ですのに、600以上もの記事を読んで頂いたのだと、心から感謝しています。
さすがに明日以降は100ぐらいに戻る、もしくは元に戻るのではと思っていますが、
とにかく本当にありがとうございました。

これからも思ったことをストレートに書いて参りますので、どうぞ宜しくお願い致します。

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2006年2月16日 (木)

私は私

最近ちょっと、私としては極めて真面目な硬いブログばかり書いていたような気がして(実は気のせいかもしれませんが)、今日はほんの少しだけ軽めのブログを。。。

私のブログをご紹介くださったこだま先生が、紹介の文の中に多分に社交辞令もあると思うけれど、「真の教育者」と書いてくださった。
天邪鬼な上、何かと言葉に拘る私は、またここでちょっと気になってしまった。

以前ブログに書いたことがあるけれど、私は子ども達に向かって、自分のことを「先生はね・・・」と言えない。子ども達のことも「生徒」と言えない。

もちろん、生徒に向かって「おい、生徒」とか「なあ、生徒」と呼びかける方はいないだろうけれど、そういう意味ではなく、うちに来てくれている子達を「生徒」と捉えたことがない。
みんなそれぞれに違う個性があって、それぞれに名前がある。確かにくくれば同じ集合に属するのだろうけど、私にとってそのくくりは「生徒」という言葉とは一致しない。
それは塾に勤めていた頃からずっとだ。

そして、私は「私」だ。
子どもはさすがに他に適当な呼称がないから、私のことを「センセイ」と呼ぶ。子どもにそう呼ばれるときは、ある種ニックネームのようなものだ。だから、子ども達のお母さんに「先生」と呼ばれると、なんだかむずむずしてしまう。
いえ、私より皆さんの方が、子育てに関してはずっとずっと私の先生です。。。そんな風に思ってしまう。

「教育者」

この言葉はどういう意味なんだろう。
文字通り「教え育てる者」という意味だとしたら「真の教育者」とは「本物の教え育てる者」ということなんだろう。

もちろん、そんなので子どもと向き合わないでよ、そんな風に接しないでよ、そう思う大人がいない訳ではない。
だからといって、私は「教育者」であるかもしれないけれど、紛れもなく「学習者」でもあるのだ。

偉くなりたいと思ったことはない。
賢くなりたいとはいつも思う。

子どもの上に立ちたいと思ったこともない。
同じ目線でありたいとはいつも思う。

子どもに尊敬はされたいけれど、私も子どもを尊敬していたい。

私に足りないところを子ども達が教えてくれる。
子どもがいるから努力できる。賢くなりたいと思える。

だから結局、子ども達は私の先生なのかもしれない。

つまるところ、やっぱり私はどこまで行ってもただの「私」で、何かでひと括りにもされたくないし、「真の教育者」だなんておそれ多い。

結局ただの天邪鬼かもしれないけれど、どうしても言葉に拘ってしまうのだ。

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突然ですが。

その上、皆さまにとってはかなりどうでもいいことだと思いますが、少し前から考えていたことをお伝え致します。

このブログを始めた頃、当然ながらごく一部の面識のある方々が読んでくださるという状態でしたので、自分のハンドルネームを特に設定することなく書いておりました。

その結果、私=willseedsとなってしまい、それで認識してくださった方が混乱しないよう、コメントなどもwillseedsと名乗らせて頂いてきました。

が。。。なんとも落ち着かないんですよね。(苦笑)
それは教室名であって、私の名前ではない。当然ですけど。
おまけに微妙に長い上にアルファベット表記で入力もちょっと面倒。

という訳で、今後は既に一部の方はご存知のハンドルを使わせて頂くことにします。
このハンドルは小1の頃からずっと慣れ親しんできたニックネームに由来するものです。

という訳で、今後は「TOH」と名乗らせて頂くことに致します。(って、結局アルファベットじゃんってツッコミはこの際気にしないことにして。。。)

何が変わるわけではありませんが、今後共WillseedsのTOHをどうぞ宜しくお願い致します。

(間もなくまたレッスンですので、まともな更新は後ほど。。。)

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2006年2月15日 (水)

ここにも。。。

去年の11月頃から来てくれるようになった子達がいます。大手の中学受験塾が合わなくてということで来てくれるようになりました。

彼らは二卵性の双子。顔も体型も全く違うけれど、本当に素直で無邪気で可愛い子達です。

来てくれた当初は正直言ってかなりの学力差を感じました。(以前、割合のことでブログを書いた子達です。)けれど、時が経つにつれ、最初不安だった子の方がどんどん安定して、じっくり考えられるようになってきました。

それに反して、最初は自信を持っていたはずの子の危険な状態が徐々に表面化し始めたのです。

彼は式さえ分かれば計算は速い。学校などで習った直後のことはかなりできる。だから、自分が「自分の頭で考えていない」ということに気づいていないようです。

これまで何度も「これ割るん?」とか問題を読んだ瞬間「わからん。」とか「ヒント教えて。」とか、そんなことを言うたび、なるべく突き放し、最小限のヒントに留め、少しでも考えてくれるよう働きかけてきました。

実際、もうひとりの彼にもそうしていましたので、本当なら2人に同じような効果が出てもいいはずです。なにしろ双子ちゃんですし。

生まれたときも育てられ方もほぼ同じだったはず。なのになぜこんな状態なんだろう?と思っていました。

その理由が今日分かりました。。。

彼らは小1の頃から機械的反復プリント学習塾に行っていたそうです。そして、そこではひとりはかなり進んでいて、もうひとりは苦戦していたそうなのです。

かなり進んでいた彼は有名受験塾にもある程度の間通い続けたそうです。そしてもうひとりの子は早い時期にリタイヤしたと。。。

今この子達とレッスンをしていて感じるのは、プリント学習で苦戦し、受験塾にも早々にリタイヤした彼の方が明らかに頭が柔らかく、イメージすることもできているということ。この子に関してはあまり心配をしておらず、今後十分伸びるだろうと思っています。

しかし。。。もうひとりの彼は、せっかくこれまで頑張ってきたのに、それが仇となっているのです。。。もちろんそれは彼には言えませんが。。。

本当に悲しいことです。
同じ家で同じように育った子のこの差も、単に素質や能力の差という人もいるのでしょう。
けれど私にはそうは思えません。

反復に耐えた子の方がこれまでずっと塾や学校での成績はよかったようですから、もしかすると資質的にはその子の方がより伸びるものがあったのかもしれないのです。それなのに。。。

「考えてみて」という言葉に彼はきょとんとします。
「絵を描いてみて」と言っても、しばしば問題を踏まえない絵を描きます。

けれど、もうひとりの子は短期間でかなり考えられるようにも、描けるようになってきました。少しずつイメージできるようになっているのを感じます。

もちろん、彼が諦めない限り、私は諦めません。ごく僅かながら、変化の兆しは見え始めているようにも感じます。初めの一歩は時間がかかるかもしれませんが、とにかくその一歩を彼自身の力で踏み出してもらえるようできる限りのことはしようと思います。

ただ、やはり皆さんにお願いしたいのです。
何度も何度も言いますが、とにかく幼児・低学年期に単純計算の大量な機械的反復学習はさせないでください。
本当に心からお願い致します。

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2006年2月14日 (火)

違和感(4)

私は小学校の教員免許も持っています。非常勤でよければ今すぐだってどこかの小学校で働けるかもしれません。(あ、年齢制限があったかもしれませんが。。。(苦笑))ですが、正直な話、教員免許を取るために大学で学んだことなんて、笑ってしまうぐらい少ないのです。

もちろん、授業はきちんと取りましたし、殆ど出席もしていました。やりたい勉強でしたから、いい加減に取り組んだつもりはありません。けれど、実際のところ、もし教員採用試験にパスすれば、卒業したらもう「先生」と呼ばれ、子ども達を指導するのかと思うと、恐ろしく思いました。たったこれだけの勉強で取れる免許ってなんだろう?と。

今、子ども達と学んでいて役に立っている知識の殆どは卒業後に身につけたものです。学生時代に学んでいたことは殆ど覚えてもいません。

そんな状態で先生になっている方も少なくないと思います。なのに、日々の業務に忙殺され、じっくり教材研究をしたり、指導案を作ったりということも殆どなく、その先生の授業を受けている子ども達を想像してください。

お断りしておきますが、私は小学校の先生を批判しているのではありません。先生方もお気の毒だと思っています。きっと、本当はもっとしっかり研究したいのに、準備したいのに、そんなジレンマを抱えながら指導しておられる先生も沢山おられるのだと思います。(そして、いてほしいと思っています。)ただ、悲しいことに、現実は恐らく私の予想とそうかけ離れたものではないのではと思っているのです。

昔は授業時間数もたっぷりありました。だから、現場の先生方ももう少し余裕があったはずです。けれど、ここまで授業時間が削られ、行事は減らず、その中で授業を年間計画通りに進めなくてはならない。今の先生方は本当にお気の毒です。

けれど、それを選択したのは先生方ご自身だとも言えるのです。(私にはその能力がないと思いましたので、教員にはならないと決めましたので。)
何よりも子どものことを最優先してもらわなければ困ります。それでなくても、小学校低学年まで、場合によっては小学校6年間は、子どもの発達の上で最重要時期とも言えるのですから。

あぁ。。。すいません。。。
どんどん収拾がつかなくなってきていますね。

これを書いている途中でこだま先生のブログを読み、また別のタイトルで重複する内容を先にアップしてしまったりもしていますので、このお話は一旦このあたりでまとめさせて頂くことにします。

これを書いている間に、自分が書いた卒論のテーマのことを思い出したり、会社員になって間もない頃感じた「学校」や「先生」に対しての思いなども思い出したりしました。

またそちらも追々書かせて頂こうと思います。

とにかく、誰でもひとつのことを見詰め続けていると、どんどん視野が狭くなって行きますし、他のいいところや今あるものの悪いところなどに気づかなくなっていくということはあると思うのです。

中にいると見えないもの、気づけないものがあるのだということを、私自身ももう一度意識していかなければならないなと思います。

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念のため

以前から「読書感想ブログ」の方では何度か書かせてもらった気もするのですが、もしかするとこちらしか読んでおられない方もおられるかもしれませんし、誤解のないよう、念のためもう一度書かせて頂こうと思います。

今では教育関係者、小学生までのお子さんを持つ親御さんで知らない人はいないのではというほど有名になられた陰山先生。
先日、先生の支持者達が集っておられるらしい掲示板での議論を目にし、思わずブログに感想を書いてしまったところ、思いがけず糸山先生のサイトでご紹介頂き、このところ、どんぐりさんからいらしてくださっている方も結構おられるようです。

もしかすると、陰山先生の掲示板の関係者の方も読んでくださっているかもしれませんので、尚更きちんとお伝えしておこうと思いました。

私は陰山先生の山口小での実践報告を初めて本で読んだとき、本当に素晴らしいと思いました。
学校だけに留まらず、地域ぐるみでの実践。当然家庭でも親御さんたちが一所懸命朝から食事を作り、早寝早起きをさせ、挨拶をさせ、そんなことをやり遂げた結果、子ども達が伸びたという報告は本当に素晴らしいと思いますし、それを続けるには相当の努力が必要だったに違いないと思います。けれど、それをやれば間違いなく子どもは伸びるだろうなと、それは本当に心からそう思っています。
(そのあたりは恐らく、こだま先生も同じようなことをお感じなのではと思いました。)

陰山先生の実践をトータルで採り入れ、実践されるのであれば、恐らく多少100マスをやったって、さして害はないのかもしれないとも思うのです。実際、私達が子どもの頃にも計算ドリルは存在しましたし、ある程度は反復もさせられていましたから、100マスだって、1日1枚程度なのであれば、強烈な副作用が出るということもないのかもしれません。(もちろんそれも個人差があるとは思いますが。)

ただ、まだ書き終えていませんが、「違和感」というブログで書かせてもらっているように、小学校の先生方はとてもお忙しい。その分、手軽に導入できる100マスや漢字学習の前倒しなど、反復を必要とする部分だけを導入している先生もおられるような気がするのです。(子ども達の話を聞いていても、100マスをやっている先生は結構おられるようですし)

おまけにご家庭でも、書店で手軽に購入でき、メディアでは効果だけが紹介されているとなれば、他の実践は抜きにしてそれだけをやらせているということもあるのではないかと思うのです。

だとすれば、結局、私は最も恐れている「機械的反復学習」でしかなくなってしまうのではないかと、そのことを危惧しているのです。

学校での学習内容はかなり削られ、簡単になってしまったことは多くの方が知っている通りです。単純計算を鍛え、反復で漢字を覚えこみ、音読をさせていれば、恐らく小学校の間はある程度テストでも点が取れ、表面上問題が見えてこないということもあるのだと思います。
また、1クラスに30人、40人の子がいるのですから、優秀な子をより伸ばすということよりも、落ちこぼれを出さないことを優先した授業計画がされていてもなんら不思議はありません。
そういう意味では恐らく「100マスは効果がある」という結論になるのかもしれません。

落ちこぼれは減らせるかもしれませんが、そのかわり、伸びるはずだった能力を潰されていても、それを証明する方法がない限り、先生や学校の責任は問うことは困難でしょう。そこが何よりも怖いのです。

陰山先生は講演などで100マスのことは殆どお話されないというようなことを読んだような気がします。仮にそうだとしても、先生のことを知っている大人に「陰山先生といえば?」と尋ねれば、かなりの確率で「100マス計算の人」という答えが返ってくるのではないかと思うのは私だけなのでしょうか?

ご本人の意図と違った状況になっているのかもしれませんし、先生ご自身は100マスを推奨しているのではないのかもしれません。
けれど、もしそうだとしたら、もっともっと先生ご自身が「私はそんなこと言っていない。トータルの実践なしに100マスだけをやったって効果は望めない。」ぐらいのことを言って下さってもいいのではと思うのです。
ご自分がどれだけ有名になっておられるか、影響力がどれだけ大きいか、そのことをもっとしっかり感じて頂きたいと思うのです。。。

とにかく私は、子どもの無限の可能性を潰す危険のあることは、極力避けるべきだと思っているというだけのことで、特定の誰かを非難しているのでもなく、活動を妨害しようとしているのでもありません。

陰山先生を支持する方は先生の実践全てを支持し、実行してほしい。手軽な部分だけ取り出して、それだけを反復させることは危険だと知っていてほしい。
それが私の今の気持ちです。

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2006年2月13日 (月)

言い知れぬ恐怖・追記

今、こだま先生のブログを覗いたら、記事を削除されていました。

私自身の先ほどの記事は、陰山・・・の掲示板で記事をどうこうしたということに対して書いたのではなく、こだま先生の消えてしまったブログで、掲示板管理者がある方へ送ったメールの中に「陰山先生の活動が誤解される」というような趣旨の文章があったことに対してでした。

こだま先生のブログに寄せられたコメントを見る限り、記事を自ら削除された方は少し問題のある方だったのかもしれませんし、それをご自分で全て削除されたのですから、そのことに対してどうこうという気持ちはありません。

そうではなく、「陰山先生」のされていることを「誤解」されるという表現にひっかかったのです。
物事には常に表と裏があると思うのです。どんなに素晴らしいものでも完全なものは存在しないのではないかと思っています。特に教育に関して。

だからこそ、日々みんな悩み、迷い、よりよいものを求めているのだと思います。
それが今、私にとっては「考える学習」「学びとる学習」なのであって、もしもこの先、更によいと思えるものが見つかれば、きっとそれを採り入れることになると思います。

もちろん、投稿者のこれまでの発言自体に色々問題があり、それに対して管理者が「できれば投稿を控えて下さい」と申し出ただけなのかもしれません。

けれど、管理者が陰山先生の実践の危険な面を一切認めていないのは事実だと思うのです。
そして、その実践を信奉する方たちが離れていかないよう、不適当な発言をしないように求めているようにも感じてしまうのです。もちろん、管理者ご自身が陰山メソッドの信奉者でおられるのだと思いますが。。。

ずっとずっと思っていて、まだまとまらないのですが、「誰がやってもお手軽にできてすぐ効果が出る教育」なんてどこかおかしいのではないかと思うのです。
量産できて量販できる。その時点で「本物」とかけ離れていくような気がするのです。少なくとも幼児・小学生の教育に関しては。。。

だって、子どもは一人一人違っていて、きちんと見守ってあげなければ本当の効果は出ないはずですし、躾ひとつとっても、言ってすぐできるなんてことはないはずです。だから、小さい子向けの「お手軽学習教材」はまずは疑ってかかるべきなのではないかと思うのです。
中には素晴らしいものだってあるかもしれません。でも、とにかくまず疑ってかかる。それが大事なのではないかと思っています。

今時間がないので、ひとまずこのあたりで。。。

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言い知れぬ恐怖

さっきこだま先生のブログを読んだ。

今日はブログをご紹介くださった糸山先生にメールのお返事を頂き、陰山学級掲示板の管理者が教育者でなく、一般企業の会社員であることを知った。

その上でのこだま先生のブログ。。。
私はなんだか背筋が寒くなった。

大人はどこまで子どもを喰い物にしていくのだろう。

もちろん、素晴らしい大人も沢山いる。
そんな方たちがいるから、素晴らしい子どもも育っている。

けれど、ずっと思っている。
少し前では「援助交際」や「出会い系サイト」を使った犯罪などが連日のようにテレビをにぎわしていたことがあったけれど、それを作ったのも大人。子どもを喰い物にしているのも、紛れもなく大人なのだ。

有害図書や有害視されるゲームなども全部そうだ。本当に子どものことを考えるなら、絶対に守るべきルール、モラルがあるはずだ。けれど、売る側にそんな視点はあるようには思えない。

そんな大人はきっと、みんな自分のことしか見えていないのだ。
伊藤先生が言うように「視野の狭い」大人なのだ。

私はいつも思う。
自分だけ、自分の家族だけ、自分の子どもだけ。。。そんな考え方はもうやめようよと。

もちろん、私だって自分は可愛いし、家族は大事だ。何かあれば、知らない他人ではなく、親を守るだろう。

けれど、自分や自分の大切な人を守るためには、狭い世界だけ見ていてはどうにもならない社会になっているのではないのだろうか。

どんなに気をつけていたって不慮の事故は起こる。それは誰もが避けられない。
けれど、減らせる事故や犯罪は圧倒的に沢山あると思うのだ。

お子さんがおられる方は皆さん、少し考えてみてほしい。
自分の子の幸せを願い、必死に子育てをし、場合によっては「将来の幸せ」のためと思い、小さい子に必死で勉強をさせる。
その結果、志望校に合格したものの、ある日突然その子が誰かを殺したらどうする?
勉強だけを詰め込んだ結果、心が育つことのないまま、訳のわからない犯罪や事件を起こしている人間は決して少なくないと思うのだ。

手塩にかけて育て上げた子が、ある日突然、見ず知らずの人に殺されたらどうする?
それはどうしようもないことだったというしかないかもしれない。
けれど、そう言って諦めたら、世の中何も変わらないのだ。

子どもを歪めるのはやめよう。
子どもを喰い物にしてお金儲けするのはやめよう。

素敵な子ども、幸せな子どもが増えれば、絶対社会は変わる。

学歴だけは立派な政治家が国民の税金をバカみたいに無駄遣いして、自分達の幸せしか考えていない現実を私達はどれだけ聞いてきただろう。

子どもをそんな大人にしてはいけないのだ。

子どもを喰い物にしたら、きっと必ずしっぺ返しがくる。
どんな形でかはわからない。
我が子が犯罪者になるという形かもしれない。
喰い物にした子が力をつけて社会を牛耳る日がくるかもしれない。
そのときになって後悔したって遅いのだ。

世の中には心ある大人が沢山いることを知っている。
「ムダだったかもしれない。。。」「何も伝えられなかった。。。」
そんな思いを抱きながらも、諦めずに頑張っている方が沢山いることを知っている。
私の尊敬する素晴らしい先生方でさえ、何度も何度もその無力感を感じておられるに違いない。

けれど、諦めたらそこでおしまいだ。
自分が変えられる、伝えられる人は限られているかもしれない。
けれど、諦めなければ、いつかきっと「本物は残る」。
そう信じたい。

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2006年2月12日 (日)

日曜日

本日はお仕事はお休み。
なのでちょっとお気楽な日記を。。。

今日は半年ぶりぐらいに美容院に行ってきました。
それって女としてど~よ?という気もしなくもないのですが、もう長年半年に1回ペースになっていて、15年以上やって頂いている美容師さんももう呆れて何も言われなくなりました。

実は生まれつき強烈なストレートの私は極めてパーマがかかりにくいらしく、行くと3~4時間仕事。なので、なかなか行く気にならないんですよね。。。
しかし、今日はお蔭で文庫本をほぼ1冊読み終えられました!!(喜ぶべきなのかどうなのかは正直微妙ですけど。)

久々に頭もなんだか軽くなり(中身もなってたらマズイですけど。。。)ちょっと「優しい先生」っぽくなったかもしれません。(笑)

街はバレンタイン直前ということもあり、チョコ売り場はものすごいことになってました。
ま、私は大好きな「父」のチョコを買いに行ったんですけどもね。。。(淋)

特設のチョコ売り場なのに、なぜか。。。ハートのおせんべいを売ってるお店もありましたよ。「関西限定50個、日本限定100個!残り10個でおしまいですよ~。」って叫んでいるお兄さんとかもいました。

バレンタインのこの時期、お菓子メーカーって年間のどのぐらいの売り上げを上げるのかしらと、ちょこっと気になったりしつつ、帰りには本屋さんに寄ってまた本を買ってしまいました。あぁ。。。読みたい本は一向に減りません。(苦笑)

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2006年2月11日 (土)

職人になりたい

最近なんとなく思う。
私はやっぱり職人になりたいのだと。

なぜか子どもの頃からずっと憧れていた。
伝統工芸の職人さんや町工場などでの職人技を持つ人たち。

いつか自分もあんな人になりたい。
そう思っていた。

私は子ども達が大好きだ。
今の仕事ができなくなったら他にやりたい仕事を思いつかない。

じゃあなんで?

そう言われるでしょう。

私が最近思うのは、この仕事でのこと。

私は経営者になりたいと思ったこともないし、沢山儲けてお金持ちになりたいと思ったこともない。

もし仮に自分がお金持ちになったとしたら、何を買うだろう。。。
そんなことを時々考える。

けれど、もしお金持ちになったら、教室にちゃんとしたコピー機を買おう。
そして、もっともっと子ども達の本を買おう。
子どもに役立つ教材や教具、知育玩具、何でも買おう。
レッスンのない日にも自由に来られるように、もう少しだけ広い教室に移ろうかな。
家の近くにも教室を作って、今電車で通ってくれている子たちを楽にしてあげたいな。
まず思い浮かぶのはそんなことばかりなのだ。

ブランド物のバッグや服を買いたいとか、ゴージャスなジュエリーを買いたいとか、
高級な料理を食べたいとか、海外旅行に行きたいとか、そんな発想が出てこない。

まあ、こじんまりとしたマンションとかは、あったら将来の不安が少し減るけどなぁ。。。
そのぐらいのことはぼんやり思うけれど、豪邸に住みたいなんて思ったこともない。

生活に困らないのであれば、無理に教室を大きくしたいなんて思わないし、
自分で見られる範囲の子ども達ときちんと向き合って、一緒に成長していきたい。
それ以外特に望むことはない。

もっとこうしたら儲かるのでは?とか、そんな話に恐ろしいほど興味がない。
もちろん、今の状態では正直経営的に考えればまだまだ厳しい。
けれど、もしこの仕事で食べていけるなら、それで十分幸せな気がするのだ。

今の時代にあっても、職人さんの作品は残っている。
機械ではできない味、技、そんなものを求める人がいるからだ。

もちろん、その絶対数は圧倒的に少ないだろうし、だからきっと職人さんで大金持ちなんて人は恐らくいないだろう。
だけど、技を極めた方は自分の仕事や作品に誇りを持っていて、多分幸せなんじゃないかと思うのだ。

そして、私もいつの日か、そんな風になりたい。
心からそう思うのだ。

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2006年2月10日 (金)

違和感(3)

知らない方がいいこともあるでしょうけれど、子どもの教育に関して「知らない方がいい情報」なんてないと思うのです。できる限り沢山の情報の中から取捨選択をする。子どもに関することはまずはどんなことでも知りたいと思っています。

けれど、お母さん達は自分のお子さんしか目の前にいない。
学校の先生達はもっと子ども達との学習に時間を割きたくても、時間が絶対的に不足している。(特に小学校の先生がそうだと思うのです。部活の顧問をされている中学の先生とかはまた別の話として。)

少し話が逸れますが、正直言って小学校の先生は忙しすぎると思うのです。というか、本気で毎時間教材研究をして授業に臨むのは残念ながらほぼ不可能だろうと思っています。

もちろん、私が直接現場を知っているのはもう遥か昔、大学生のときに行った教育実習でのことですから、今は多少何か変わっているかもしれませんし、一部「教科担任制」なども導入されているようですが、普通にひとりの先生がそのクラスの子の全教科(図工や音楽は専科の先生がおられたりもするでしょうけれど)を指導するのであれば、毎時間の授業の準備をバッチリするのは不可能だと思います。

実際、教育実習に行ったとき、数時間だけ授業を担当することになり、その指導案を作りました。もちろん学生なので、指導教官の手直しなどが入ったり、やり直したりということもあり、余計に時間はかかりますが、いくら慣れている先生でも教材や教具を考えたり、1時間のうちにどこでどんな質問をして、板書はこんな風にして、この質問をすればこんな感じの意見が出るだろうから、次はこう繋げて。。。そんな計画を立てるためにはそれなりの時間がかかるはずです。おまけに、目の前の子どもが変われば教材が同じでもまた練り直し、教科書は3年に1回改訂になる、担当する学年も大抵は1年ごとに変わる。当然授業以外にもしなければならないことが山ほどあって、その上で授業の準備。

それも、一番驚くのは、担任しているそのクラスで1時間授業をしたら、その指導案は少なくとも今年は二度と使えないのです。たった1回45分や50分の授業のためだけに完璧な指導案を作るのはあまりにも効率が悪い気がします。そして、実際のところ、それは不可能だと思うのです。(現場の先生で、私は毎時間完璧にやっているという方がおられたら是非名乗り出て頂きたいほどです。もちろん、私の能力が低いからだと言われればそれまでですが、私には不可能です。少なくとも、完璧な授業計画を立て、指導案を作り、学校行事その他の業務もこなした上で何年も教員を続けるなんて、私の能力では120%無理です。体が続きません。。。)

もちろん、素晴らしい先生が沢山おられるのはわかります。私自身、素晴らしい先生方との出会いがあったからこそ今があるのですから。
けれど、悲しいかな、そうじゃない先生もおられるのは事実だと思うのです。本当に真面目で熱心な先生は、多分体を壊す。体じゃなくても「心」を壊す。そして、続けたくても続けられなくなっていくのだと思うのです。

どんどん話が逸れている気がしますが、小学校で教科担任制にするのは難しいのでしょうか?今の子達は殆どが習い事などで色々な大人から何かを習っていますし、教科によって先生が代わったって、それは平気な気がします。
そうすれば、先生達だって、ひとつの指導案で数クラスの授業ができる訳ですし、その教科に関してもっと深く研究したり、教材や教具を作ったりする時間だって生まれるのではないのでしょうか?
先生に余裕ができると、きっとよりよい指導ができるようになると思うのです。子ども達にとっても幸せなことなのではと思うのですが、どんな問題があるのでしょう?

(違う方向に行ってしまいそうですが、まだつづきます)

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「幼児教育ばやり」

あるブログを読んでいたら、タイトルに近い表現を見つけました。
読みながら、またなんだか少し悲しい気持ちになりました。

その方は直接存じ上げないものの、ものすごい経営力をお持ちの方らしく、すごく勉強もされているようです。
そして、その方を尊敬している塾長先生も多いようです。

きっと素晴らしい方なのだろうと思います。
それに、多分私が悲しんでいるようなことは全く意図しておられないとも思います。
というか、私に対してどうのとか、幼児教育全般に対してどうのとか、そういうことを言っておられるのではないのです、それは明らかに。

ただ、悲しかったのは、幼児教育に流行り廃れがあるのだろうかということなのです。
そんなすごい先生がそう表現するということは、今は注目されているけど、いずれ熱が冷めて消えていくということなのだろうかと、それを思って悲しくなったというだけなのですが。。。

私は今の指導法に出会い、思いがけず幼児・低学年教育をメインとした教室を始めるに至りました。
そして、色々なことを知るにつれ、幼児・低学年期がいかに大事かということを痛感するようになりました。

だから、以前参加させて頂いた勉強会で、私が知っている指導法のことをお話し、興味を持ってくださった先生方にご紹介しました。

私は多分バカですから、お金儲けになるかどうかという視点は全く入っていません。ただ、それで指導すれば子どもは確実に伸びるし、心を歪める心配もない。おまけに、その時期にベースができている子は高学年以降の学習が圧倒的に楽になるし、逆もまた然り。そう思ったからご紹介しただけなのです。

ご紹介することで私には何の利益もありません。ただ、その指導を受けられる子どもがひとりでも増えたらいいなと思っているだけなのです。

だから、導入を決められた先生方に「流行り」でやって「廃って」もらっては困るのです。
もしも、儲かりそうだと思って始められるのなら、多分そんなに儲からないと思います。(まあ、もちろんそれはやりようによると思いますけど。。。)
もちろん、幼児・低学年期にこの指導法で伸ばしておけば、高学年になって難関中学などに合格させやすくなり、長い目で見れば大きなプラスになるのかもしれませんし、そう考えて導入されるとしてもとやかく言うつもりはありません。
少なくともその時期に機械的反復を強いるよりずっと、子どもにとっては幸せなことなのですから。

本来「幼児教育」とは幼児期の子どもに与える知恵・知識などの全てであり、それこそ育児自体が何よりも大切な「幼児教育」であるはず。それに「流行り」や「廃れ」があっていいはずはありません。

本当に大切なのだと、だからやり続けるのだと、ひとりでも多くの方がそう思ってくださることを願うばかりです。

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2006年2月 9日 (木)

違和感(2)

うちの子達は週1回1時間のレッスン、宿題は迷路やパズル、積み木遊びみたいなものも含めて週に10枚。ホントにそれだけしかやらないのに、学年よりずっと先のことまで学習しているし、頭も柔らかいまま。人間性も全く歪んでいる様子もありません。

ですから、少なくとも幼児から低学年の間に危険だと言われている反復学習をさせる必要性を一切感じないのです。
それどころか、その学習を併用している子は明らかに伸びが遅かったり、下手すればできていたことさえもできなくなったりしているのですから、少なくとも私のところに来てくれている子のお母さん達には「絶対させないでください」とお願いしているのです。

それでもまだやろうかどうしようか迷う人がいる。併用ならいいじゃないという人がいる。毒になる可能性が高いのに。。。

そんな思いで本当に悲しくなりました。

けれど、別のことでも言い知れぬ違和感を感じていました。
それは、100マスや機械的反復を肯定している方や迷っている方の発言の中に、どうみても主役であるはずの「子ども」への視点が抜け落ちているとしか思えないものが少なからずあったということです。

もちろん、それは私がそう感じただけで、実際には皆さん、子ども達のことを考えておられるのかもしれません。けれど、一番優先され、守られるべきは「子ども」であり、「子どもの才能」であると思うのです。

危険視する声があるのであれば、もっと真摯に検討すべきなのではないのだろうかと思えてなりません。

私がまだ見つけていないだけかもしれませんが、「考える学習」「実感する学習」を批判し、弊害を述べたものはあるでしょうか?あるなら見せてほしい。

無理矢理考えるとすれば、例えば単純な計算問題の羅列に抵抗を示し、やりたがらない。そんなことはあるかもしれません。
けれど、それは楽しくないからやりたくないだけで、できない訳ではありません。
少なくとも「致命傷」などというレベルでの危険は「考える学習」「実感する学習」にはどうしても考えられないのです。

一方は安全性が高く、確実に力がつき、子どもも楽しんで学べる。
他方は危険性が高く、単純計算のみ速くなり、楽しいとしても一時的、表面的なものでしかない。

その2つを比べてどちらを選ぶかに迷う余地などあるのでしょうか?

正直言えば、私だってほんの数年前までそんなことは知りませんでした。ただ、その危険を唱える先生や本に出会い、そこから色々な本を読み、話を聞き、実際の子ども達を前にしながら、幼児・低学年期の「考えない学習」がどれだけ危険で子どもの能力を潰すのかを実感し、その思いは日を追うごとに強まる一方なのです。

私自身、もう後悔をしたくないのです。
塾に勤めていたときに知っていれば、もっと伸ばしてあげられた子達がいたはずです。

(つづきます)

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2006年2月 8日 (水)

4年生の彼

教室の立ち上げのときから来てくれている現3年生と4年生の子達は、しばしば驚かせてくれます。
3年生の彼女達のことは何度か書いていると思いますが、今回は4年生の彼。

彼は数ヶ月前にピ○マリオンの教材をひと通り終え、現在は少し難しめの5年用のワークとどんぐり倶楽部の文章題、算数パズルなどをやっています。

5年生の内容は彼にとってはほぼ全て復習内容なのですが、とりあえずまだ4年だし、受験の予定もないので、再度復習をしているという状態です。

その彼との昨日のレッスンでのできごと。

昨日、どんぐりの文章題にこんな問題が出てきました。

「ハム太郎とチュー助が運動場で2kmマラソンをしました。運動場は1周400mです。ハム太郎はチュー助が1周する間に160m先まで走ることができます。
では、ハム太郎がゴールしてからも走り続けるならば、チュー助がゴールしたときハム太郎はスタートしてから何周したことになるでしょうか。走る速さは変わらないものとします。」

この問題には多分いくつものハードルがあります。文章題が苦手な子ならこんな状態になると思います。 まず、2kmと400mの単位が揃っていないことに気づかずひっかかる、もしくは単位換算でひっかかる。
そこをクリアしても2000÷400は当然筆算。5周と出たとして、160mに5周をかけるという発想がすんなり出るかどうかも子どもによっては微妙。
仮にそこもクリアしたとして、800÷400もやはり筆算。
そしてようやく2周が出てきて、最後に2+5をして答えの7周に辿り着くという感じになるのではないかと思います。

そもそも、どんぐりの文章題は1週間に1題でいいとも言われているぐらいですから、結構難しいものが多い訳です。(難しいというか、じっくり考えなければわからないようなというか。)

それなのに、昨日の彼。。。

問題を読み終わるや否や

「んと、5周やな。(既に2000÷400が終わっています。。。)」

そして

「え~と、160で5やから。。。800!2周や。(秒殺です。。。)」

最後は

「んと、7周やな。(終了しました。。。)」

彼のプリントには「7周」という文字だけが書かれていました。。。(苦笑)

とりあえず答えが出た後でやったことの式を書いてもらうこともありますが、とにかくホントにすごいんです。
けれど、実はこの彼も2年の夏に来てくれたときには単純計算は結構速いけど、文章題は嫌い。。。ってタイプの子だったんです。うちに来てくれるようになってからも当然そろばんやら機械的反復プリント学習やらは一切やっていないんです。それが今ではこの状態。私がついていけないこともあります。(苦笑)

彼の頭の中を見てみたい。。。しばしばそんな思いに駆られます。(笑)

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2006年2月 7日 (火)

違和感(1)

最近、ブログでお知り合いになった方々のブログを訪問していて、あるブログで私がとても危惧している「機械的反復学習」のプリント塾のことについて議論が交わされているのを読ませてもらいました。そして、そこから繋がって、100マス計算で有名な陰山先生の掲示板に辿り着きました。

そのどちらでも、多くの保護者の方や学校の先生、塾の先生たちが色々な意見を書いておられるのを読みながら、何だかうまく言えない違和感を感じました。

以前から何度かご紹介しているこだま先生が、私が読ませてもらったブログのどちらにも登場しておられ、おっしゃっていること、信念として持っておられること、それらは常に筋が通っており、とても共感できたのですが、他の多くのコメントを読みながら、私は何だかよくわからないのですが、とても悲しい気持ちになりました。

幼児期の機械的反復の危険性を訴えている人は少なくないかと思います。けれど、多くの大人たちは「もしそんなに危険ならもっと規制されているんじゃないの?」とか「少しぐらいなら大丈夫じゃないの?」とか「わからないけど、みんなやってるし、歴史もあるんだから」とか、そんな判断で取り組ませているように思うのです。

私自身、どの程度までは大丈夫でどこからが危険なのかはわかりません。恐らく、どんなに研究が進んでも正確な数値が出せるようなことではないのではないかと思います。子どもの性格やそれまでの育てられ方、家庭環境などによっても差が出るであろうことが容易に予想できるからです。

幼児・低学年期の機械的反復の危険性を挙げる先生方の多くは、そのかわり「じっくり考える学習をしましょう」であるとか、「しっかり外で遊びましょう」であるとか、「自然に触れましょう」であるとか、その代替案(私はそちらの方が圧倒的に重要だと思っていますが。)を提示しておられることが殆どですし、危険性を感じるようになったのは、実際にご自分が指導されてきた上でという方も多い訳です。

おまけに、その時期の機械的反復学習を否定している先生方の多くが、じっくり考える学習をさせた結果、確実に成果をあげておられる訳です。

少なくとも、私が知る限り、機械的反復学習に警鐘を鳴らしておられる先生方で、代替案も出さず、子どもの能力を伸ばすこともできていない先生はおられないのです。(もちろん、中にはおられるのかもしれませんが。)

とすると、なぜそこまでして、大切な時期に「機械的反復学習」に拘るのかがどうしてもわからないのです。

仮に、考える学習をさせることが経済的な負担が大きいであるとか、準備に時間がかかるであるとか、そういうことがあるならまだしも、決してそんなことはないのです。

ずっとずっと思っていることです。

安全性の確認されていない、副作用がきついお薬があったとしましょう。特定の症状にだけは効果があります。けれど、安全性が確認されていないのです。その症状を改善、もしくは完治させるために、安全性の確認された価格もほとんど変わらないお薬があっても、前者のお薬を服用する人は世の中にどれだけいるのでしょう?

もし、それでも前者のお薬を飲むという方はそれもひとつの選択ですから、それ以上私がどうこういうことはありません。
けれど、後者のお薬を選ぶ、もしくは、少なくとも安全性の確認されていないお薬は飲まないという方なら、どうして迷いながらも危険かもしれない(危険だと断言してもいいかもしれませんが)機械的反復学習を選ばれるのかがどうしてもわからないのです。他に選ぶものがないのならまだしも、それがそこにあるのになぜ?どうしてもそう思うのです。何よりも大切なお子さんのことなのに。。。

(つづきます)

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2006年2月 6日 (月)

昨日母と色々なことを話していて、書きたいことが沢山あるのですが、ちょっと時間がないので、取り急ぎとってもお伝えしたいことだけ書かせてもらいます。

時代が違うので、もしかすると今は乳幼児の段階でも視力検査は行われるのかもしれないのですが、私が子どもの頃は記憶にある限り小学1年で初めて眼科検診があり、兄もやはり小学校に上がってから検診を受けたようです。

お伝えしたいことというのは、目のこと。

私は多分生まれたときからかとにかく記憶にある限りずっと極度の乱視ではあるのですが、日常生活はとりあえず支障なくできていましたから、小学校まで眼科検診がなかったとしてもさほど問題はありませんでした。

しかし、うちの兄は、生まれてきた時点で目の一部がまだ完全に出来上がっていないような状態で生まれてきていたらしいのです。
ですが、とりあえず外見的にはどこにも問題もなく、五体満足で生まれたものですから、母は普通に育てていたそうです。

ですが、ある程度成長し、文字をお手本通りになぞらせようとしてもちっともうまくなぞれない。点と点を結ばせても上手につなげない。ずっとそんな状態で、母は何か知能に障害があるのではとさえ思ったそうなのです。

そのまま兄は小学生になりました。母が言うには何でもすることに時間がかかる子どもだったらしいのですが、小学校で担任の先生に「目が悪いのでは?」と指摘を受け、眼科に連れて行ったそうです。そこで眼鏡をかけた兄は、パッと天井の蛍光灯を見上げ、あたりをきょろきょろと、驚きながら見回したそうです。
兄の世界が完全に変わった瞬間でした。

そこから兄はきちんとお手本をなぞることもできるようになり、母もひと安心はしたのですが、昨日私にその話をしながら母は凄く後悔していると涙を浮かべていました。

もっと早く気づいてあげていたら。。。
自分がちゃんと生んであげていたら。。。

そんな後悔をずっとずっと抱えていたようです。もちろん、今でも。。。

そして、それは絶対母のせいではないのですが、兄は可哀想だったとも思うのです。
自分が生まれ落ちた世界は何かモヤモヤした不確かな世界で、どこに何があるかすら十分に見えないのであれば、この世は危険に満ちた恐ろしい世界に思えたかもしれません。行動が遅くなるのも頷けます。更に、一所懸命なぞっているつもりでもできていないと言われ続ければ、やはり自信もなくなり、萎縮もすると思うのです。

本来一番大切であるはずの時期の大半を兄はそんな風に過ごしたのです。

今の医療ではいくつから視力検査ができるのかとか、そういうことは私にはわからないのですが、可能であればなるべく早い段階で視力検査は受けられた方がいい。
しみじみとそう感じました。

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2006年2月 5日 (日)

幼児の眠りについて

昨日というか今日というかの深夜、テレメンタリーというドキュメンタリー番組で幼児の睡眠についての番組をやっていました。

以前、「読書感想ブログ」の方で幼児の睡眠についてのご本を紹介したことがありますが、その著者である神山先生も出ておられました。

もともと人間の体内時計は25時間周期になっていて、日の光を浴びることで毎日24時間サイクルに調整をしているそうなのですが、乳幼児期に夜更かしをし、日の光を浴びずにいると、体内時計の調整ができず、どんどんと夜更かしが進行していくのだそうです。

ですから、「子どもは夜になったら勝手に寝るだろう」というのは間違った認識で、親が意識的に早起きをさせ、日中は外でしっかり遊ばせ、夜は疲れて眠れるようコントロールしなくてはならないとのことでした。

以前、本にも書かれていたのですが、夜更かしをしたり、睡眠不足だったりで生活サイクルが乱れている子どもは心理的変調をきたすことが多いそうで、5歳児の段階で三角形を模写させると、きちんと睡眠をとっている子どもに比べ、5.9倍も描けない子の割合が高いそうです。テレビに出ていた「三角形の模写」は、正直言って全く三角形になってはいないものがかなりありました。それはいびつな円なのでは?とか、石ころの絵なのでは?と思うような状態なのです。5歳といえば幼稚園の年長さんぐらい。その子たちが三角形が全くというほど描けないというのはやはり異常なことではないでしょうか。

また、6歳ぐらいまでの間に(と言っていたと思うのですが)メラトニンという物質が沢山出る時期があるそうなのですが、それは夜暗くなってから体内で分泌されるらしく、その期間に本来暗い時間に明るい中にいて、十分に睡眠をとらずにいると、発ガン率が上がったり、成長に異常をきたすこともあるそうです。

インタビューに「お父さんの帰りが遅いからつい。」とか、「私達がどうしても夜型なので。。。」とか答えるお母さん達。それぞれに言い分があるのだろう。けれど、自分の子どもの健康と幸せを願うのであれば、大変かもしれないけれど、子供にだけでも先に食事をさせる、お父さんは朝に子どもに接する、そんな努力が必要なのではないかと思います。

中学生になっても22時になったら寝なさいと叱られていた私には、小さい子達が23時や24時まで平気で起きているという感覚が理解できないのです。
そして、世の大人達の多くがきっと、そんな危険があることをよくわからず、遅く寝たら遅くまで寝かしてやればいい。足りなければお昼寝をさせればいい。そんな風に思っているのではないかとも思うのです。

今でこそ恥ずかしいぐらい夜型朝寝坊の生活をしている私なので、あまりえらそうなことは言えないのですが、やはり、子供たちの健やかな成長と心の安定を願うのであれば、大人ももっと努力しなくてはいけないのでは。そう改めて思いました。

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2006年2月 4日 (土)

巻き寿司

以前の勉強会でお知り合いになった寒いところの塾長先生とメールをやり取りしていて、時々驚くことがあります。

つい先日は「明日は父と厄神さんに行きます」と書いたものに対して

「厄神様ってなんですか?」

と予想外のご質問が。。。厄神は全国区じゃなかったのね。。。と。

そして昨日、「今日は早く帰って巻き寿司を食べないといけないので」と書きました。もちろん、少し気にはなりましたよ、「厄神様」のときよりは遥かに。

でも、最近は大手コンビニチェーンまでもが「恵方巻」と名づけ、節分の遥か以前からCMを流していたので、関西で始まったらしいこの妙な習慣もとうとう全国区になったのね。。。と思っていた訳です。

しかし、その先生からの返事にはこう書かれていました。

> 巻き寿司ですか?
> どなたかのご招待?

。。。。そうか。。。やはり全国区じゃなかったんだ。。。

そう思うと、日本って広いですよね。
数時間移動するだけでしゃべっている言葉が全く違ったり、風習が違ったり。

私は生まれてからず~~~~~~っと大好きな神戸に土着しているので、他県のこととかはあまり知りませんし、もともと地理が苦手だったので、一般の方以上に疎いかもしれません。

節分に巻き寿司を「恵方」に向かってまるまる1本、黙ったままもくもくと食べるという妙な年中行事は全国のどのあたりで定着しているのでしょう?

こういう地域ごとの違い、そんなことに目をつけたら、もしかしたら私はもう少しだけ地理が好きになっていたかもしれないなと思ったりします。

因みに、年中行事は欠かせない私としては、昨日ひとりでひっそりと豆まきをし、巻き寿司をまるかぶりしました。ちょっと淋しい。。。(笑)

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2006年2月 3日 (金)

最近の事件に思う(1)

先日、なんとなくつけていたテレビから聞こえたニュース。それまでの経緯やらはよく知らないのだけれど、ネットで自分の親の殺人を依頼した息子が逮捕され、次いで孫も逮捕されたという。

親に働かずにいることをとがめられたことが原因ではないかみたいなニュースだったのだけれど、なんともやり切れない気持ちになった。

孫と言ってもどうやら成人している大人のようだったし(年齢を確認していないのですが)、要するに亡くなられた方はそれなりのご高齢だったということでしょう。

働いていて当然という年齢の息子と孫が働かずにいて、それをとがめられたから殺人に走った。

悪いのは誰でしょう。。。

もちろん、実の親、祖父を殺害するに至った、加害者が悪いというのは当然なのでしょう。
日本の法律では尊属殺人と言って、罪が重いようなことを聞いたような気もします。(違っていたらごめんなさい。。。)

ただ、普通の感覚ではあり得ないことです。いい歳した大人が仕事もせず生活できる環境があったということでしょう。そして、少なくともそれを許してきたのでしょう。
働いていない人に、成人した息子がいるということ自体私にはかなりの違和感がありますが、要はそれなりの資産がおありだったということなのかもしれません。

しかし、少なくとも、子育てには失敗した。
お金はあったのかもしれないけれど、かけるべき愛情を間違った。
そう言わざるを得ないのではないかと思ったりするのです。

もちろん、亡くなった方はお気の毒です。何も知らないので、もしかすると色々な働きかけをされていたかもしれません。それでも、少なくともその方の子育ての結果ということは、悲しいけれど事実です。

そしてまた思います。。。
幸せとは何なのだろうと。

親を殺した息子にとって、親はお金をくれる人だったのでしょうか?自分の言うことに従ってくれる人だったのでしょうか?

「親を殺す」
普通なら絶対に考えられないことです。少なくとも、親に愛情を注がれて育った子が大人になって、嫌なことを言われたから親を殺そうと思うとは到底思えないのです。

伊藤先生に初めてお会いしたとき、先生はおっしゃいました。

「視野の狭い人間が犯罪者になる」

と。

もちろん、多少極論過ぎる面はあるかとは思います。けれど先生がおっしゃった、「広い視野を持たない人間が犯罪者になる。広い視野を持てる人間は犯罪者にはならない。」ということはある意味で真実を突いていると思うのです。

犯罪にも色々ありますが、少なくとも「殺人」を犯すような人に「広い視野」があるとは思えません。
少し冷静になって周囲を見渡すことさえできれば、そんな行動にはでないと思うのです。

また、大人からの愛情を受けて育った子どもは他者を傷つけようなどと考えるようになるとも思えないのです。

以前、多分岸本裕史先生が書かれていたのではと思うのですが、親が子を殺すのと子が親を殺すのはどちらの方が罪深いかということ。
法律では尊属殺人ということで後者の方が罪が重いそうですが、動物として後者はあり得ないことなのだというようなことを書いておられたように思います。

その理由は、種の保存。子どもを殺すということは、子孫が絶えることに繋がると。
どんな動物も、いかに種を残していくか、絶滅せずに生きていくかがもっとも重視されることで、産卵をするとそれで命を終えてしまう生き物だっているということからも明らかなことです。

だから、親が子を殺すのは本来動物としてあり得ない異常なことなのだそうです。(結構納得します。)

そして、子は親が育てたように育つ。そんな思いを強くしている今、やはり子が親を殺す方がまだかろうじて理解できるのです。

大袈裟に思う方もおられるかもしれません。けれど、勉強だけをさせていて将来犯罪者になったらどうしますか?それでも親も子も幸せなのでしょうか?そんなときにはどんな学歴も職歴も無意味です。

勉強はできないよりできる方がいい。それは否定しません。
ただ、心を潰してまで勉強させる意味は絶対にないと、私は強く思っています。

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発見。。。

す、すいません。。。発見しました。
更新した気はしたんです。なのにないからおかしいなと。。。

保存するときに日付が変わってしまったらしく。。。公開日時「3月1日」となっている2月1日に書いたブログを発見しました。。。

日付訂正してUPさせて頂きました。。。お恥ずかしい。。。

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ちょっとヤバイ状態かも。。。

ちゃんと更新してたつもりだったんです。。。ホントに。。。
今気づきました。。。2月1日にブログを更新していないことに。。。(泣)

実はかなりショックです。
更新が途切れたこともですが。。。。。。。。。。更新してないことに気づいていないということが。(苦笑)

結局お知り合いのお手伝いは日付が変わるまで続いたため、2日まともなブログを書いていないことになります。。。う~ん。。。

仕事のストレスは全くないんですが、ちょっとリフレッシュが必要かもしれません。(苦笑)

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2006年2月 2日 (木)

本日。

更新できても深夜になるかもしれません。
ちょっとお知り合いのところにお手伝いに行ってまいります。

それでは。

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2006年2月 1日 (水)

父の言葉

先日、大変珍しく、父と2人で厄神さんに行ってきました。

例年、父と母は欠かさず行っており、私は日程的に合うときは一緒にお供するという感じだったのですが、今年は母の都合がつかず、父一人で行ってもらうというので、平日でしたし、その日は遅くまでレッスンもあるので、早起きはキツイなと思いつつ、父のお供をすることにしました。

実は、いずれ書かせてもらうかもしれませんが、私は長い間父のことが好きではありませんでした。
最初は思春期特有の異性に対する不快感みたいなものから始まったような気がするのですが、その後も家にいるときはだらだらゴロゴロしている父の姿に、ずっと嫌悪感を持っていました。

自分が社会人になった頃から少しずつ気持ちが変わっていき、震災を経、ひとり暮らしをするようにもなり、今では父のことが大好きです。長い間冷たくして本当に申し訳なかったなと思っています。

そんなこともあり、父と2人で外出することは本当に珍しいことでした。少し戸惑いつつも、出かけてみると結構楽しいもので、普段母がいるとできないような話なんかもしました。

うちの母は我が家のルールブックなので、常に自分が正しいというタイプなのですが、それをずっと黙って耐えてきた父。よく爆発せずにこれまできてくれたもんだと思いつつも、自分が選んだんだから仕方ないよねと言うと、「だから我慢してるやないか」と。(笑)

けれど、しばらくして父の口からこんな言葉が出ました。

「あの人は気~つかいぃやからなぁ。。。」

ほんの短いひと言でしたが、父の愛情がしみじみ伝わってきました。そんな旦那と巡り合った母を少し羨ましく思いました。

そして、一緒に昼食をとりながら、また父に他のことを尋ねてみました。

「ねぇ、お母さんは私をどんな風に育ててくれたんやろ?」

自分の記憶にないほど幼い頃、私はどんな教育を受けていたのか、最近、色々な本を読むにつけとても気になっていたので、父は知っているかなと軽い気持ちで尋ねました。

「それは、一所懸命に育てたんやろ。」

自分はその頃仕事人間で、子育ては完全に母に任せっきりだったからなぁと父は言いました。

母は私を一所懸命に育ててくれた。
父がそう言ってくれた。

なんでもないひと言で、もしかしたら何にも答えになっていないのかもしれません。
けれど、私はこの人たちの娘でよかったと、なんだかしみじみ思いました。

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