1月17日(5)
私はこの震災を経験し、かなり考え方が変わりました。
もともと、あまり物欲がある方ではありませんでしたから、購入欲のようなものは特に変わりませんでしたし、貧乏性なのも変わりませんでしたが、「お金があっても何もできない」ということはすごく新鮮な価値観となりました。
たとえ学歴がなくても、貧しくても、優しい心さえあれば、窮地に立ったとき必ず誰かが手を差し伸べてくれるのではないか。
それは震災後、より強く意識するようになったことです。
夢や目標のために勉強することはいくらでも応援できますが、高学歴を得るため、その後の高所得を得るため、そんな意識での勉強を応援したいと思えないのは、「お金」は助けてくれないことがあるということを実感したせいもある気がします。
(まあ、これに関しては、例えば本当のお金持ちであれば、震災後もすぐにホテルや別荘などに移って、普通に暮らしていたというような反論もあるかもしれませんし、それは人それぞれの価値観ですので、別に否定するつもりもありません。ただ、震災直後、どこかに移り住むという選択をしなかった場合、お金は殆ど無意味だったのは否定できないと思います。)
「人生一度きり。やりたいことをやって生きよう。」
そう思えたのも、この震災を経験したからです。
やりたいことというのは、何でも好き勝手という意味ではなく、ずっと自分がやってみたいと思いながらも行動に移せなかった仕事や夢、そんなものに挑戦するという意味でですが。
そして「人間いざとなったらなんでもできる」というのも私にとって本当に貴重な意識の変化でした。普段の暮らしをしていたら、2週間もお風呂に入れないなんてこと、そんなことさえ考えられません。見ず知らずの人たちと学校の講堂で、ダンボールの上にお布団や毛布を敷いて眠るなんて、想像もできないでしょう。自転車で10キロの道を通勤するなんてことも。
会社を辞めたいと思ってもずっと辞められなかった。それだけの勇気がなかったのです。
けれど、そんなことは大したことではないのでは?辞めて新しいことをやってみよう。そう思えるようになりました。
辞めた後しばらく、進みたい方向が見えずに焦り始めたときにも、震災の経験が私を強くしてくれました。
そして、最も影響が大きかったのは、自分で教室を始める決心をしたときでしょう。それまでの私ならそんな決心は絶対つかなかっただろうと思います。だけど、大袈裟かもしれませんが、こう思えたのです。
「命がなくなるわけじゃなし、やってみてダメだったらそのときに考えよう。本当に生活に困ったら、今はやりたくないって思ってるような仕事でもやれるかもしれない。いざとなったらなんとでもなる。」
そして今があります。
もちろん、それ以外にも色々なことがあって、悩んだ末での独立でしたが、それでもあの経験がなければ決断できなかったように思います。
色んな方に避難所暮らしが楽しそうと言われましたが、確かにあまり辛かった記憶はありません。普段絶対経験できないようなことを沢山経験できて、プラスこそあれ、マイナスではなかったと思っています。
どんな状況でも、心の持ちようで楽しくもなり、苦しくもなるんじゃないか。自分でもいつどう変わったのかわからないのですが、それまでの私はかなりのマイナス思考な面があったのですが、いつの間にか辛かったことはすぐ忘れる人間になっていました。(それ以外のこともかなり忘れているような不安もありますが。。。)
そして「人は優しい。どんな人も、根っこの方にはあたたかいものを持っている。」と。
それも強く実感できた日々だったように思います。
時と共にあのときの記憶は薄れていきますが、一年に一度振り返り、当たり前に過ごせることのありがたさを噛み締めようと思います。
今自分がこうしていられることに心から感謝します。
震災から11年。
あの日亡くなられた多くの方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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コメント
また1.17になりましたね。
前にも書きましたが、あのとき、震災のすごさはもちろんですが、人間のたくましさ、強さにすごい感動を覚えました。
willseedsさんもそんな体験を経て現在に至っているんですね。そんな体験をされた人の強さにはかなわないと思いました。貴重な話をありがとうございました。
投稿: えくぼ | 2006年1月18日 (水) 00時20分
いつもありがとうございます。
あれから11年。あっという間の11年でした。
けれど、そう思えるのはきっと「震災」を過去の
ことと思える状況があるからなんですよね。
その幸せに感謝しようと思います。
投稿: willseeds | 2006年1月18日 (水) 00時34分