改めて気づいたこと
ある方にメールを打ちながら、ふと気づきました。
もしかすると、何を今更?そんなこと前からわかってたでしょ?と言われるのかもしれませんが、自分の中で「あぁ、そうか、そうだったな」と改めて気づいたので、書き残しておこうと思います。
すごくすごく根本的なことです。
当たり前すぎて改めて考えたこともないという方も多いのではないかと思います。
子どもをお持ちの方や私と同じような仕事をされている方の殆どが自分の子どもや自分が関わっている子どもに「賢くなってほしい」「勉強ができるようになってほしい」を思っているのではないかと思います。
それはなぜでしょう?
「何でも、できないよりできた方がいいから」
とか
「勉強ができた方がいい学校に入れるし、そうしたら将来安定だから」
とか
「学校の勉強についていけないと可哀想だから」
とか、他にも色々な理由が挙がるかもしれません。
けれど、少なくとも親が自分の子どもに対してそう思うのは、突き詰めればほぼ間違いなく、それが子どもの幸せに繋がっていると思っているからのはずです。
もし仮に、全く勉強をしないで学校の成績は散々だったという子達が大人になって、みんな幸せになっている。逆に一所懸命勉強して好成績を収めていた子達が大人になって、みんな不幸になっている、そんな現実があったら、それでも親は自分の子どもに「頑張って勉強しなさい」と言うでしょうか?
あくまでも予想でしかありませんが、恐らくそんな方は極めて少ないはずです。
もちろん、学ぶこと、知らなかったことを知るということ自体に喜びがありますから、するなと言ってもする子どももいるでしょう。その喜びを知っている親が、そうしたら将来不幸になるかもしれないけれどとやらせるかもしれません。
けれど、やはりそれは圧倒的少数に違いありません。
要するに、大人が子どもに勉強させる、よい成績を収めさせたいと願う、その理由は突き詰めれば「将来子どもが幸せに過ごせること」を願ってのことといっても過言ではないのではないでしょうか。
私には「自分の子ども」はいません。
けれど、子ども達が大好きです。
子ども達みんなが幸せに過ごせることを願っています。
だから、もしももしも、賢くなることで子どもが不幸になるということであれば、私は今の仕事を続けることはできません。
私がこの仕事をしているのは、素敵な子どもが素敵な大人になって、将来を幸せに楽しく過ごしてほしいからなのです。
そのことに改めて気づきました。
そして、だからこそ、夜遅くに電車で出会う塾帰りの小学生達を見て不安になるのです。
この子達は本当に「幸せになるため」の勉強をしているのだろうかと。。。
その生活を続けることで、幸せから遠ざかってはいないのかと。。。
伊藤先生に初めてお会いしたとき、先生がおっしゃった言葉を改めて思い出しました。
「塾に行って勉強ができるようになるのなんて、そんなの当たり前のことです。
素敵な子どもを育てなきゃ。」
勉強はしたいからする。
そうじゃなければ、幸せになるためにする。
今のところ私には、それ以外に子どもに勉強をさせる理由がわかりません。
本来、知らなかったことを知る、できなかったことができる、それは知的好奇心を満たしてくれる楽しい活動のはずです。その楽しさを知っている子どもは、闇雲に勉強を嫌ったりはしないはず。もちろん、時には苦しいこともあるでしょうけれど。
私の仕事は子どもが成人してどう過ごしていくかまで見届けられることは稀でしょう。
けれど、過去関わった子達はみんな幸せでいてくれることをいつも願っています。
そしてこれからも、きっとそれは変わりません。
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コメント
willseedsさん、こんばんは。ブログを覗きに来てくださり、ありがとうございました。
何のために勉強するのか、、、そうですね、私も受験生にたびたび尋ねられたことがあります。勉強は、そのプロセス自体が大事なんでしょうね。ある一つの目標を達成するためにこつこつ努力を続けることで、集中力や忍耐力が身につくし、困難から逃げない精神的な強さも養われるのではないかなと思っています。
一生懸命努力して目標を達成できると誰でも嬉しいし、それがまた次のステップにつながっていくんですよね。一人でも多くの学生さんがこの喜びを味わって可能性を広げていってほしい、と願っているのですが。やる気のない学生さんをいかにしてやる気にさせるか、という問題について最近頭を抱えています。
投稿: satchy | 2006年1月22日 (日) 21時27分
いつもこちらのページで、学ばせていただいております。
漫然と思っていること、ずばり明文化されています。
>勉強はしたいからする。
>そうじゃなければ、幸せになるためにする。
真理はシンプルですね。
大人はなぜ出世や所有、子どもの将来ににこだわるのでしょう?
という問いかけを子ども達からされているような気もします。
人が本来目指しているものは、、、
穏やかな感情で、平安な気持ちで過ごすこと。
豊か心で、感動の多い人生を送ること。
ということでしょうか?
きっと、そのための勉強なんでしょうね。
投稿: 寺子屋ありがとう | 2006年1月22日 (日) 23時14分
このブログはいつも考えさせられますね。
昔教員だった頃、自分がしたいことと
教師という職業とのギャップを感じて辞めてしまいました。
今日本語教師をしていて心は満たされていますが、子供を育ててこの仕事ではあまりに金銭的に苦しく、春から前職に復帰することを決めました。
信念を貫かれているwillseedsさんのブログは読むと痛いです。
学校の中で私ができることは何か、春まで考えます。
投稿: えくぼ | 2006年1月23日 (月) 01時54分
sathyさんへ
コメントありがとうございます。
大きくなって、それも目標なく(有名大学に合格するということ自体が目標だったり)
学生になってしまった子に気づかせる、やる気にさせるというのは、小学生までの
子どもを変える何十倍、何百倍も難しいのかもしれませんね。
大変なお仕事だと思いますが、諦めず頑張ってくださいね。
寺子屋師匠へ
いつもコメントありがとうございます。
みんなが共感してくださることはないかもしれませんが、自分の中でふっと
「あぁ、そっか~、簡単なことだ」と思ったんですよね。
頑張ります♪
えくぼさんへ
いらしてくださってありがとうございます。
そうですか、復職されるんですね。コメントに書くと長くなりそうですので、
またメールで、あれ?アドレス知らなかったかも。。。(悩)
投稿: willseeds | 2006年1月23日 (月) 11時23分
えくぼさんへ
アドレス知ってました。
寝起きで呆けてました。いや、寝起きでじゃないかもしれませんが。。。(苦笑)
投稿: willseeds | 2006年1月23日 (月) 11時24分