自分を辿る(5)
就寝時間に関しては中学時代でも晩10時になったらもう寝なさいと言って叱られていたように思います。(だから、今の子ども達が遅い時間に平気で外にいることに余計違和感があるのだと思います。)
学校の勉強で覚えていることは、1年生のときに既に、先生の説明を聞くより自分で教科書を読んで問題を解く方が面白いというか、特に算数は勝手に問題をやっていたこともあったような気がします。
また、その頃の学校では当たり前の宿題だったように思いますが、1年生のときからずっと何らかの日記を書いていたようにも思います。
日記を書いて先生に出すと、何かコメントがもらえるのが嬉しくてまた書く。それは6年生まで続きましたが、今思えば、先生方はさりげなく文章指導をしてくださっていたように思います。何をした、何があった、何を見た、そんな箇条書きのような日記には「それでどう思った?」とか「どんな風にすごかったの?」とか、そんなコメントがつけられることがあり、次の時にはそれを意識しながら書くようになっていった気がします。ありがたいことです。
小さい頃から文を書くことは全く苦にならず、作文の時間も、夏休みの宿題の読書感想文も、悩んでいる友達が不思議に思えました。(内容がよかったかどうかは別の話ですが。)
もうひとつ自分でもおかしいなぁと思っていたことは、記憶にある限り、私は両親に声を荒げられたり、手をあげられたりした記憶は全くないのですが、なぜか怒られることがとても怖くて、何か悪いことをしてしまったときには謝りの手紙を書いて母の目に付くところに置き、しばらくはどこかにじっと隠れているということがありました。
それは特異な例ですが、小さい頃から電話をかけるより手紙を書く方が好きでした。急ぐ用件以外は余程のことがないと電話はしない。そんな子どもでした。
また、本を読むのは好きでしたが、小学生の頃は学校の図書の時間などにはその頃同級生の間で人気だった怪人二十面相などのシリーズや伝記などは殆ど手に取ることもなく、専ら有名な児童文学者(もちろんその頃はそんなこと知りませんでしたが)の物語の本を読んでいました。
気に入った本を週1回の図書の時間数週間、数ヶ月に渡って読み、読み終わってしまうと次に読む本を選ぶのに、少し読んで面白いと思えなければ他の本に替え、時には1回の図書の時間が終わってしまうようなこともあったほど、気に入るものしか読まなかったように思います。
その代わり、本当に面白いと思えるものしか読まない分、感想文を書くのは楽でした。
因みに、感想文の宿題をやるときに課題図書を読んで書いたことは一度もありません。
学年が上がると段々要領もよくなっていき、単純作業の繰り返しが嫌いだった私は、計算ドリルの宿題が出ると、常にだったかどうかは覚えていませんが、まず何問かは真面目にやってから答え合わせをし、間違いなく解けていたら残りは答えを写すなどということもしていたように覚えています。
我ながらなかなか大したものだと思う訳ですが、子供心に、なぜ理解できているものを沢山やらなくてはいけないのか、その意義が見出せなかったのだと思います。
(あと少しつづきます)
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