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2006年1月19日 (木)

自分を辿る(3)

父は手先の器用な趣味の多い人で、私が幼い頃、我が家にはレゴや精密なプラモデル、積み木や塗り絵などが当たり前にありました。父は趣味で折り紙もしていました。
兄と一緒に見様見真似で色々なものを作ったり、塗り絵を塗ったりということは常にしていたようにも思います。

父は当然ながら色を塗るのも、絵を描くのもとても上手く、ものを作らせてもなかなかのものを仕上げる人でしたので、子供心に「私もあんな風にできるようになりたい」と思ったものです。
また、3歳年上の兄が持っている色数の多い色鉛筆が羨ましくて羨ましくて、自分の塗り絵は下手なのに、兄が上手いのは色鉛筆のせいだと思ったことも覚えています。

それとは別に、母としてはお箸を上手に使えるようにさせたかったようですが、「豆つかみ競争」と名づけられたゲーム(?)が我が家にはありました。低学年のうちは兄も一緒にやっていたように思いますが、そのゲームは、時折幼児教育関係の書籍などで見かけることもあるのでご存知の方もおられることでしょう。

我が家の場合は、何かお菓子が入っていた木箱にやはりお菓子が小分けに入っていたようなプラスチックのケースを並べ、豆は確か5種類ほどあったのではないかと。小豆、うずら豆、金時豆、黒豆。。。4つかな?とにかく色や大きさの違う豆が4~5種類ずつ1つのケースに入っているのですが、それをお箸で上手につかんで、右から左、または左から右のケースに移す速さを競うというものでした。

残念ながら、ゲームに必死になってしまった私は、母の意図する「正しくお箸を使えるように」という結果は得られませんでしたが、最近になって色々な本を読むと、頭のためにはよかったのだろうかと思ったりします。

時代も時代だったのでしょうけれど、遊びといえば基本は外遊び。兄がいたせいもあり、兄にくっついて近所の子達とビー玉やメンコをしたり、大きな石を動かしてダンゴムシを発見し、丸めて遊んでみたり、小学校低学年頃まではそんな感じだったように思います。

室内での遊びは、積み木、パズル、レゴ、トランプ、そんなものが中心でした。1年生になったとき、母の見様見真似でかぎ針を持ち、くさり編みだけできるようになりました。今思えば恥ずかしい限りですが、1年の担任の先生のお誕生日に、金色に近い毛糸でくさり編みをし、ネックレスだといってプレゼントしたことを覚えています。

もう少し学年が上がると、児童館でもう少しちゃんとかぎ針編みを習い、少しまともなものが編めるようになりました。

また、自分でも不思議なのですが、小学生の頃、しばしばしていたことが「母のお財布の中の小銭を数える」ということでした。
お金がほしいとか、そういう感覚は全くなかった気がしますし、お財布からお金を取ったこともありません。ただ単にお財布に入っている小銭だけをテーブルの上に出し、種類ごとに分け、それぞれ種別に合計した後合算する。ただそれだけのことなのに、結構頻繁にしていたのでしょう、母に「またやってる」と言われたことを覚えています。
((4)につづきます。)

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