自分を辿る(4)
比較的早くにひらがなを覚えたせいもあったのか、幼稚園のときに「小学1年生」を読んでいたため、1年生になったときには「小学2年生」、そのうち内容に物足りなくなり、月刊の少女マンガ雑誌に移っていったように思います。
また、母のお知り合いの方が「学研のおばちゃん」のお仕事をしておられたこともあってか、1年生のときから「科学」と「学習」は買ってもらえました。子どもの頃はずっと、「学習」の方が好きでしたが、兄は「科学」の方が好きだったようです。
そして、同じく学研のカラーの20巻シリーズの百科事典も私たちのために買ってくれましたし、少年少女文学全集のような、それも15巻か20巻シリーズの箱入りの分厚い物語の本も揃えてくれました。事典で、見たこともないようなものを色々見るのは楽しかったですし、物語も多分全部読破しました。それがあるのが当たり前の環境を作ってくれた親には感謝しなければなりませんね。
うちの母は、教育情報には疎かったようですが、躾には厳しく、例えば、食べ物の好き嫌いは基本的に許されず、小さい頃ほうれん草が大の苦手だった私はいつもは箸をつけたふりでごまかしていましたが、ある日「食べなかったらお母さんは出て行きます」と言われ、それでも食べずにいると、本当に鍵をかけて出て行ってしまい、大泣きして戻ってきてと言ったのですが戻ってくれず、泣きながら2口ほど食べたのを覚えています。
正直なところ、他の野菜で食べられないものは殆ど記憶にありませんでしたから、今思えばほうれん草を食べないぐらい大目に見てくれてもよかったのでは?と思わなくもありませんが、母のお蔭かはわからないものの、今私は基本的に食べられないものはありません。(食べたことのないものについてはわかりませんが。)
また、母は食事中はテレビは消すようにと、恐らく私が小学生の間ぐらいはずっと言っていたように思いますし、やや潔癖なところがあったため、ものを食べるときには絶対手洗いとうがいをしてからでなければダメ、だから買い食いなどもってのほかと言われていました。
話は少し逸れますが、そのことに関してすごく覚えていることがあります。幼い頃から外でものを食べてはダメと言われていたため、兄とお隣のお兄ちゃんと一緒に盆踊りに行き、帰りに配られたアイスキャンディーを兄達は食べながら帰っているのに、律儀に言いつけを守って浴衣の袖に入れて帰ったところ、帰り着いた頃には全て溶けてしまっていて、大泣きしました。
言いつけを守った結果そうなったので、母が必死で謝っていたことを今でも覚えています。
母は食品添加物などのこともお母さん達の勉強会のようなところで少し学んでいたようで、赤いソーセージは子どもの頃我が家の食卓に上ったことは一度もありませんでした。
また、どうしてなのかわかりませんが、私も兄も外食が嫌いで、母が食べに行こうかと言っても頑なに「いや、家がいい。家で食べる。」と兄妹揃って答えていました。
母は365日ほぼ休みなしに食事の仕度をしていたのだなと、今になって少し申し訳ない気持ちになったりもしますが、感謝しています。
(つづきます)
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