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2006年1月 9日 (月)

自分を辿る(2)

教室をしている今も、塾に勤めていた頃にも、しばしば言われる言葉があります。
既に述べたように、私はずっと公立育ち、おまけに運動部育ち。塾にも予備校にも通ったことはないけど、運良く志望の大学に進学することができました。
一応、地元では名の知れた大学ですから、保護者の方の中には私のことを「頭がいい」と思われる方がおられるようです。そして、おっしゃるんです。

「うちの子は先生とは頭の出来が違いますから。」

因みに、私が進学したのは自分にとってはそれ以外の志望はなく、最も行きたかった学部ではありますが、大学の全学部中ではその頃は確か最も偏差値の低い学部だったのではないかと思いますし(現在は他大学と合併したりしてかなり変わっているようですが)、志望学科も学部内で最も定員が多い学科でした。おまけに、実はその1校しか受けなかったため、試験後、高校の先生には1年浪人して頑張れと言われていた身ですので、残念ながら、決して保護者の方が思っておられるほど頭がいい訳ではありません。

でも、保護者の方は(もちろんお世辞もあると思いますが)大抵の場合、

「いえいえ、先生またご謙遜されて。。。」

となる訳です。

ただ、もし仮に、私が平均よりは頭がいい子どもだったのだとしたら、私の幼少期は一体どんな過ごし方をしていたんだろう。。。
そんな思いが湧いてきて、最近は思い返せる限り自分の子どもの頃のことを思い出しています。

何の参考にもならないかもしれませんが、ご興味があればお付き合いくださると嬉しいです。

過去を振り返る上でひとつ、先に私の家族のことを少し書かねばなりませんね。

私は両親と兄の4人家族です。(現在は別に暮らしていますが。)私以外は大学には通ったことがありません。当然、私も大学に行くようにと言われたこともありません。

また、兄は中学時代、自分から行きたいと言ったので塾に通っていましたが、私は言わなかったので通いませんでした。
両親とも、進学情報などには極めて疎く、中学3年の進路指導のときにも私共々担任の言うがまま、はいはいと答えていたように思います。多分それは兄のときもそうだったのではないかと思います。
ただ、ある程度できるから安心して疎かったというのとも違うと思います。少なくとも学校の成績だけで言えば、兄は「できる」とは言えなかったですから。

そんな親ですから、勉強しなさいと言われたことは殆ど記憶にありません。(まあ、さすがに中学の定期テストの前に寝てばっかりの姿を見て、たまには怒られていた気はしますが。)

そのことを頭に置いて、この先を読んで頂けると幸いです。要するに、両親とも全く「教育ママ」でも「教育パパ」でもありませんでしたから。

まず、自分が覚えている一番幼い頃の記憶のひとつは、4歳の頃、母のペン習字の習い事についていって、大人の中で退屈している私にお習字の先生が書いてくださったひらがなのお手本のこと。

よくわからぬままにお手本を真似て先生に見せると、上手に書けた字には先生がいっぱいぐるぐるに〇をつけてくれました。それが嬉しくって一所懸命になって書いたのを覚えています。かなり断片的な記憶なのですが、そのお蔭でひらがなは図らずも比較的早くに読み書きできるようになったような気はします。

ただ、上述のように、母は意識的に私をそこに連れて行った訳ではありませんし、記憶にある限り他に子どもはいなかったようにも思いますので、偶然そうなったということです。
それはある意味でとても幸運だったと思います。

ひらがながわかるようになったので、本を読むのは好きだったような気がします。1年生のときだったと思うのですが、大石真さんの「さとるのじてんしゃ」という本をどなたかから頂いて、没頭して読んだことをなぜかよく覚えています。
((3)につづきます。)

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