「生かされている」追記
先日、人は生きているのではなく、生かされているのだと思うというブログを書きました。
その後、ある方からメールを頂きました。
そして、それからずっと考えていました。言葉が足りなかったかもしれない。安易に書いてはいけない話題だったかもしれない。。。
何か書かねばと思いながらも、この数日バタバタとしていたこともあり、一層まとまらないままで、遅くなってしまいました。
ある方が下さったメールにはこんなことが書かれていました。(一部引用させて頂きますね。もしダメだったら削除しますので。。。)
「寿命」が決まっている、と考えてしまうのは、どうなんだろうか?と。
美人薄命。
憎まれっ子、世にはばかる。
では、長生きする人は、「ヤナ奴」なのか?
まず、ここに関しては、書きながら一瞬自分の頭を過ぎったことでもありますので、言葉が足りなかったかと思います。
確かにそんなことわざがあります。まあ、だから私は両方の意味ですごく長生きするかもしれませんが(苦笑)、実際、私が考えている「寿命」というのは一般の感覚での「寿命」とは多分違うのだろうと思います。
違うのに、特に断ることなく同じ言葉を使ってしまったことで、もしかすると読まれて嫌な気持ちになられた方もおられるかもしれません。
お許しください。
こうも書いてくださいました。
どうも、「ガン」をとりあげた、ドラマやドキュメンタリーは、
「かっこよく死ぬ」姿をとりあげるだけで、
「かっこ悪くても、生きる」姿を描いていないように思うのです。
他にも色々素晴らしいことを書いてくださっていました。そんなメールを頂けたこと、本当にありがたく、嬉しく思っています。
うまく言えないのですが(だったら書くなと言われそうですが)、私の言う「決まっている寿命」というのは、例えば、医者にされる「余命宣告」とは全く違っていて(極端な話、医者に余命を宣告された後、不治の病を完治させてしまった方だって世の中には存在するのですから)、死を迎える年齢が決まっているというより、その人がこの人生で果たすべき課題が全てクリアされたときや、そのタイミングでこの世を去ることで別の誰かを成長させられるときなどに「寿命を全うした」ということでそのときがくるのではないかと思っているというのが近いかと思います。
つまり、例えば重い病気にかかったとしても、それを克服することが課題として与えられている方だっているんじゃないかと思います。病と闘う強い心を持つことを課題として与えられているということでしょうか。
そして、例えば最愛の恩師のように、多くの人に惜しまれながら、ご本人も志半ばでこの世を去られたように思える方もいますが、きっと恩師もあのタイミングで天に呼び戻される何かがあったのだと思います。
そのような考え方は、生まれ変わりや前世について書かれた著書などにも出てきます。
幼くして亡くなった子どもは、例えば両親を成長させるという課題を持って生まれてきて、自分がこの世を去ることで両親が成長するという課題達成があるのだと、そんなことが確か飯田先生の本に書かれていたように思います。
とにかく私は寿命が決まってるんだったら適当に生きればいいじゃんということを言っている訳ではなく、むしろそれとは正反対のことを言っているのです。
もちろん、人はいつか必ずこの世を去るときが来るでしょう。仮に生まれ変わって戻ってこられるとしても、今の人生は必ずいつか終わります。
だからこそ、毎日を大切に、幸せに生きていかなくてはと思うのです。
悪いことをして、誰かを苦しめて、それで長生きしたって意味はないと思いますし、長生きするために色んなことを我慢して、楽しくない人生を送るのも何か違うと思うのです。
おかしな例かもしれませんが、うちの父はタバコを吸います。未成年の頃から吸っていたそうです。いくら母がやめさせようとしても、やめることができません。
父は「タバコやめて長生きなんてせんでもいい」と口にすることがあります。
子としては心中穏やかではないものの、そんなときにふと思うのです。極端な話、ものすごいヘビースモーカーでも長生きする人はするし、全く吸わない人でも肺がんになってしまう人もいるのだと。
大好きなタバコをやめれば、きっと父にはストレスでしょう。そのストレスの方がタバコよりずっと体に悪いかもしれません。それは誰にもわからないことです。だから、大好きなタバコをやめてまで長生きしなくてもいいという父の考えには反論する気にはなれないのです。
反論はしないけど、体は大事にして、長生きしてねと思うのです。
頂いたメールにはうまく答えられていないような気がします。
けれど、少なくとも私は命は大切だと思っていますし、与えられた命は精一杯全うしなくてはならないとも思っています。
メールに「かっこ悪くても、生きる」と書いてくださった言葉。私は生きようと努力する姿に「かっこ悪い」なんてものはないと思っています。
逆に「かっこいい死」なんてものもないと思っています。
書けば書くほどまとまらなくなりそうなので、このあたりにさせて頂きますが、もしどなたかに不快な思いをさせてしまっていたとしたら、それは本意ではありません。
どうぞお許し下さい。
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コメント
わざわざご丁寧に「追記」を書いていただき、ありがたいやら、恐縮やら…
「死生観」というのは、人それぞれ違うものでうから、何が正しい と言えるものではないと思います。また、人生を重ねるうちに、変化してゆくものかもしれません。
「人間は、死亡率100%」
こんな、当たり前の、冗談めいた話を聞いたことがあります。
当然、みんな、いつか、「寿命」がやってきます。
その時に、「あーしとけば、よかった。こーしとけば、よかった。」と悔いるより、
「やるだけのことは、やった。」と思える人生を歩みたいものです。
という観点から考えると、
私は、まだまだ です。
未練タラタラ です。
これからも精進してまいりますので、今後ともどうぞよろしゅう。
投稿: ぷぅ | 2006年1月24日 (火) 18時51分
お加減いかがですか?
なかなかうまくまとまりませんでしたけど、また
コメント頂けて嬉しいです。
お互い、毎日を大切に過ごせるといいですね。
そう言いながらついついダラダラしちゃうんです
けど。。。(苦笑)頑張ります。
投稿: willseeds | 2006年1月24日 (火) 19時14分