テレビでドキュメンタリーをやっていた。
生活保護を受けたいのに受けられない人と行政の対応、受けられずに餓死した人の映像。。。
私はドキュメンタリー番組が好きだ。
どちらかといえば「情熱大陸」や「夢の扉」みたいな、頑張っている人を紹介するような番組の方が好きだけど、深夜にテレビをつけていると、社会の問題に焦点をあてたドキュメンタリーが多い。
そういうのを見ながら、いつも色々考える。悲しい気持ちになりながら。
今日の生活保護についての番組は、生活保護を申請しても役所の窓口で申請書さえもらえず追い返される人たち、保護を受けられた後、執拗に保護の打ち切りを迫られる人たちを中心に作られていたのだけれど、それを見ながら色々なことを考えた。
幸い私はそこまでの貧困を経験したことがない。ありがたいことに生まれたときにお医者に見離された以外、大きな病気もしたことがない。とりあえずこれまでの人生で「食べるのに困る経験」はしたことがないのだ。
まあ、震災の時には多少はそうだったのかもしれないけれど、本当に何ひとつ食べられなかった日はなかったし、バランスが悪かったとは言え、かなり早い段階から配給物資で空腹はしのげるようになった。
だから、私は生活保護を受けなければ生活できない方の本当の辛さはわからない。あくまでも想像することしかできないし、その想像も結局は本当の辛さには程遠いものなのだろうと思う。
行政によって生活保護を打ち切られた30代の男性が、ミイラ化した遺体で自宅で発見されたと、その映像までもが流された。そのときの番組のナレーションはこんなものだった。
成功を夢見て都会に出てきた真面目な男性が転職を繰り返し、最終的に失業して、一度は栄養失調で保護され入院、一時的に生活保護を受けられるようになったものの、退院と同時に打ち切られたと。後遺症が残り、仕事につける状態ではなかったし、実家は生活苦で頼ることができなかったのだ。
また、狭心症で仕事ができないため生活保護を受けている女性はこんな紹介がされた。
役所の担当者に、仕事に就けないのは太っているからだと言われ、1週間ぐらい食べなくても死なない、痩せろ、そんな暴言を吐かれたのだと。それが彼女のトラウマになっていると。
そして、女性が言った。
「親の世話になれと言われるんですけど、親も歳ですし、とても私の面倒まで。。。」
60代半ばの男性も紹介された。腕のいい畳職人だったそうだが、怪我がもとで解雇。怪我が治った後は臨時雇いでごく稀にしか仕事がもらえず、年齢も年齢なので他に仕事も見つからないと。けれど、何度生活保護の申請に行っても、「仕事はあるはず」とか「子どもさんと一緒に暮らせないの?」とか言われるだけで、申請をさせてもらえないと。
この男性は離婚後10年子どもと連絡も取っておらず、今更頼ることもできないということだそうだ。
番組を見ながらずっと考えていた。
行政の対応は確かにひどいかもしれない。少なくとも、狭心症の女性に対して「太っているから仕事がないんだ」とか「1週間ぐらい食べなくても死なない」とか、そんな言葉を本当に投げたのだとしたら、それは行政どうこう以前に人間として最低だと思う。
ただ、実際、かなりの不正受給があるのも事実のようで、そうなると、窓口の担当者が本当に困っている人なのか、不正に申請しようとしている人なのかを限られた時間で見極めなくてはいけないということなのかもしれない。
そうなると、まあ、公務員を目指した方たちな訳だから、真面目で失敗は許されないと思っているような方も多いだろうし、だったら申請自体を断ってしまえという発想が出てくることもあるのかもしれない。
そして、また思うのだ。
番組で紹介された行政側の言葉は、本当に全て批判されるべきものなのだろうかと。
狭心症の女性に親の世話にはなれないの?と言った担当者。それに対して親も歳だから自分の面倒は見られないと言った女性。
けれど、家族なのだ。仮に親の元に戻って、家族3人で暮らしてみて、本当に困窮すれば3人に対して保護がおりることはないんだろうか?それに、親は自分達の大切な子どもが辛い思いをしていれば、なんとしても助けたいと思うものではないんだろうか。
そんなことも思った。
また、離婚したから子どもの世話にはなれないと言う男性も、頼んでみてダメだったのではなさそうだ。子どもに頭を下げることもせず、行政は助けてくれないと言っているのだとしたら、それもなんとなく順序が違うのではと思わなくもない。
どんな経緯で離婚をしたのか、どんな風に子どもと連絡が途絶えたのかはわからない。けれど、子にとって親は離婚しようが何をしようが親にかわりはないということはないのか。
もしも私がその男性の子どもで、テレビで自分の父親のそんな姿を見たら、ショックを受ける気がする。そんなことはないんだろうか。。。
そして、一番違和感を感じたのは、餓死してしまった30代の男性。
ナレーションでは実家も生活苦で頼れなかったと言ったが、その後、顔は映らなかったものの、男性の母親が出てきた。「(行政担当者が)自分の子がそんな風に死んだらどういう気持ちになるのか」「保護さえ受けられていればあんな死に方はしなかったのに」そんなことを言っていた。
あなたの息子だ。まだ未来があったはずのあなたの息子。それがあなたたちに助けを求めることもせず、2ヶ月も発見されず命を終えたのだ。おかしくないか?
もちろん詳しい事情はわからない。けれど私はその母親にとても腹が立った。
子どもの性格はある程度わかっているはずだ。自分の子が都会に出て、困っていないか、元気にしているか、それを確かめていさえすれば、彼はそんな死に方はしなかったのではないのだろうか。。。お金があるとかないとか、そんなレベルの話ではないのだ。もう死ぬかもしれないときにさえ、親に連絡をせず死んでいった彼を母親はどう思っているのだろう。
色々なものへの違和感、やりきれない思いを抱きながら、悲しい気持ちで番組を見ていた。
都会での孤独死、餓死は珍しいことではなくなっているらしい。
実際、私が住んでいるところでも、お隣の人がどんな人なのかさえよく知らないし、普段の生活で顔を合わせることすら殆どないような状態だ。都会ではそんなことは当たり前のことになっている。
もちろん、それ自体淋しいことだと思う。向こう三軒両隣ではないが、近隣の方と仲良くできるにこしたことはない。
けれど、お隣の方は知らなくても、肉親や友人に助けてもらうことはできるのではないか。
ご老人などで特別な事情がある場合もあるだろう。けれど、孤独死、餓死した人たちは命に関わるほど困ったときにさえ、誰かに助けてといえないということなのか。それとも、誰とも接することなく常に孤独で生きていた人たちなんだろうか。本当に誰も助けてくれなかったんだろうか。。。
震災のとき、どんな人もみんな根っこは優しいんだ、そう感じた。
本当に困っていれば、助けの手を差し伸べてくれる人は必ずいるはず。
私はそう思っている。そう信じている。
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