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2005年12月27日 (火)

お手伝いと自己肯定感

以前ご紹介した『旬教育』の鷹姫さんの最近のメルマガにも子どもにお手伝いさせることの重要性が書かれていましたが、子どものお手伝いについてちょっと書いてみたいと思います。

他の幼児教育関係の本にもそのことはしばしば取り上げられていますが、なぜ大切なのかといえば、お手伝いをすることで「人の役に立つ」ことを経験し、人から頼られ、感謝されることによって「自己肯定感」を持てるようになる、自分に自信を持てるようになるということのようです。

小さい子はお母さんが大好きなので、お母さんが「助かったわ」とか「ありがとう」とか「嬉しいわ」とか、そんな風に言ってくれるのは子どもにとってもとてもとても嬉しいことなのだそうです。

私は子育て経験はありませんので、恐らくそうなんだろうなということしかわかりませんが、自分を必要とされること、誰かの役に立つこと、それらは確かに幼児期の成長にとって欠かせないもののように思います。

お手伝いに関して、自分の子どもの頃のことを振り返ると、2つばかり思い出すことがあります。

このこともいくつかの本で既に目にしましたが、親は子どもに何かお手伝いをさせるとき、子どもが「勉強するから」と言えば、だったらいいわとお手伝いをさせるのを辞めさせることがあるが、それは決していいことではないとのこと。

実際、私の記憶にある限り、高学年ぐらいになってくると、お手伝いしてと言われたら、したくないときには「勉強してる」と言えば許されることを知っていて、うまくそれを利用していたことを思い出します。
もちろん、受験前や試験前など、どうしても勉強を優先させるべきときもあるのかもしれませんが、「勉強するならお手伝いしなくていい」ということを親が認めるということは、明らかに「家事労働」などと比べ「勉強」の方が大切だと子どもに伝えているということになるでしょう。

自分がそれを利用しておきながら勝手な話ですが、もしあの時母が「勉強なんていいから、先にこれをしてちょうだい」と言っていたら、自分はどうしていたかなと思ったりします。

今、自分がその頃の母親の年齢に近づいてきて、仕事で子ども達に関わる中で、幼児期などには勉強より家事などのお手伝いがしっかりできることの方がきっとずっと大切なのではないかと思ったりしています。

もちろん、勉強もした方がいいと思いますが、お手伝いといっても、小学生ぐらいまでにさせるお手伝いなんて、せいぜい30分もあれば終わるようなものが殆どではないでしょうか?
だったら、勉強を理由にお手伝いをさせないのではなく、お手伝いをした後で勉強をさせる。仮に、お手伝いをしたことで机に向かっての勉強時間が減ったとしても、それ以上に大事な何かを、学んでいるのではないかと思います。

ただ、何より大切なのは、多くの先生方が言っておられるように、お手伝いをすることも育児の一環として、大切な人の役に立つこと、ひいては人の役に立つことの喜び、必要とされることの幸せをしっかり感じられるようにしてあげるということではないでしょうか。

仮に上手にできなくっても、多少のことには目をつぶって、「ありがとう。助かったわ。」と言ってあげてください。きっとそれだけで、次もまた頑張ろうと思えるはずですから。
(どうしても仕上げに満足できなければ、お子さんが見ていないときにやり直すなどされてもいいと思いますが、とにかく、お子さんの前で「こんなのもちゃんとできないの?」的な態度だけは絶対にしないであげてください。)

もうひとつ思い出すこと。それは、小さい子をお持ちのお母さん達に気をつけて頂きたいと思うことです。

うちの母は洗濯の仕方などにも自分のこだわりがある人で、それは幼い私に対しても目をつぶることができないものだったようです。

ある日、お洗濯のお手伝いをしようと頑張っていた私の側で、母は次々と言いました。

「あぁ、そうじゃないでしょ。」
「あ!そんなことしたらダメ。」
「そこはこうしてちょうだい。」

さすがに言い返しはしませんでしたが、私は心の中で思っていました。

(そんなに言うんだったら、全部自分でしたらいいやん。私、もう絶対しない!)

記憶にある限り、それ以来私は本当に最低限の、どうしても避けられないお手伝い以外しない子どもになりました。頑固な私は、実家を離れるまでその姿勢を貫きました。

もしあの時母が、自分の思いをちょっと堪えて、黙って見守ってくれていたら、そして、終わった後、「ありがとう。助かったわ。」と、嘘でも言ってくれていたら、多分その後の20年ほど全然違った展開になっていたんじゃないかと思うのです。

それほどに、幼い子への言葉がけは重要なのです。
小さいから何言っても大丈夫だろうというのは絶対間違っています。実際、私がここまではっきりとその出来事を覚えているのですから。

あと、これは昔の人には仕方ないことなのかもしれませんが、私には3つ上の兄がいるのですが、お手伝いをしなさいと言われるときにしばしば「あなたは女の子なんだから」と言われることがあり、すごく納得がいかなかったことも覚えています。

なんで兄はお手伝いをせずに許されて、私は「女だから」という理由で手伝わなきゃいけないのか。。。子供心にその理不尽さに納得が行かず、好きで女に生まれたんじゃないと思ったものです。

その後、なぜ私がお手伝いをしなくなったかを知る由もないうちの母は、「うちには男の子しかいないからね。。。」とお手伝いしない私にイヤミを言ったりもしたものでした。
(母の名誉のために。。。他にもなかなか困ったチャンな面を持つ母ではありますが、私にとってはかけがえのない大切な母です。)

世のお母さん方!幼児期に上手に育てれば、子どもも幸せ、少しの間目をつぶって我慢すればいずれはお母さんも幸せ(上手にお手伝いしてくれる子になるはずなので)だとすれば、これを頑張らない手はないと思いませんか?

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