出会いと転機(6)
そんなことがあって少しずつ私の中で先生への気持ちが変化していきました。
失礼なことを口にするのは相変わらずでしたし、「可愛くない女」という言葉を一番最初に私にぶつけた人である先生を私は一生忘れないでしょう。
それでも私は先生のことが大好きになっていきました。
その年の年賀状にも、いつもの台詞が書かれていました。
「今年も俺のクラスやからな。」
3年でも先生のクラスになれるんだ。それは既に嬉しいことに変わっていました。
けれど、蓋を開けると私は先生のクラスにはいませんでした。
直接の担任だったのは中2の、その1年間だけ。授業を持って頂いたのも中3までの2年間に過ぎませんでした。
ですが、中3になる頃には私の中で将来の夢が固まり始めていました。
「中学校の先生になって子供たちと感動を分かち合いたい。」
それが私の抱いた夢でした。
私自身が先生からもらった数々の思い出を、いつの日か私も子供たちと分かち合いたい。そう思うようになりました。
高校に進学し、教育学部を目指すことを伝えたとき、先生はとても喜んでくれました。それ以来、「お前と一緒に仕事できるのを楽しみにしてる」といつも励まして下さいました。
その後、一番相談に乗っていただきたかった時期に先生はコロンビアの日本人学校にご家族と共に行ってしまわれました。そして私は教育学部で学び始めました。
4回生になった夏の頃。友人から先生が戻ってこられたらしいと聞いていました。ご連絡をしようと思っていたある日、就職活動でスーツを着て電車に乗っていると、その車両にはどうやら野球部らしい中学生達が乗っていました。すると、聞き覚えのある声が。
振り向くとそこに先生が以前と全く変わらないお姿で子どもたちと話しておられました。
「先生!」
周りの子達のことも忘れ、思わず声をかけた私をほんの一瞬誰だ?という風に戸惑った後「おぉ、〇〇か~~!久しぶりやなぁ。」
と言ってくださいました。だけど、なぜだか先生は少し照れておられるようで、なんでかな?変なの。。。と思いながらも、最寄り駅に着き、またご連絡させて頂きますと言ってお別れしました。
私の中では永遠に先生はあのときのままの先生で、私は先生の生徒なのですが、数年ぶりに会い、スーツ姿で多少のお化粧もした私は、きっと先生の目にこれまでと違った印象を与えたのでしょう。
それから少し経った頃、進路についてのお話もしたかったので、ご連絡をして会って頂けることになりました。先生と2人でビールを飲みながら、先生のコロンビアでのお話を伺ったり、私のこれまでの学校生活の話をしたりしました。
そのとき先生がおっしゃいました。
「お前は先生にはならん方がええかもしれん。学校も段々住みにくくなってるからなぁ。」
(つづきます。)
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