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2005年12月31日 (土)

出会いと転機(15)

先生の葬儀のあとも、しばらくは油断すると涙がこぼれてくるような日々でした。
絶対にまた教壇に立つのだと闘病し続けられたという話を聞き、先生の無念を思いました。あまりにも早過ぎるご逝去でした。

私にできることはなんだろう。。。しばらくはそのことばかり考えていました。ちょうどその頃、勤めていた塾では様々な問題が起き、ストレスは限界に近づいていました。本当なら、今こそ先生に私はどうすべきなのかお尋ねしたい。。。心からそう思いました。

だけど、自分で考えるしかない。自分にとって、そして、先生のために、一体何が最良なんだろう。。。

先生の遺志を継いで、非常勤でもいいから中学校に入ることも考えました。
ですが、それはやはり何か違うように思えました。
考え抜いた末、私は私らしく、自分にできることを精一杯、今いる子ども達と一緒にやっていくと決めました。きっと見守ってくださっているであろう先生に恥ずかしくないように頑張っていこう。そう決心し、今ある場所で頑張ることを選びました。

しかし、その決心は揺らぎ始めました。どうしても、どう頑張っても、もう踏ん張り切れない限界が来ていました。
この仕事を始めたときからずっと考えていましたが、もし仕事を辞めることになったとしても、絶対年度途中で辞めるのだけは避けようと。年度が替われば学校でも担任が変わるのだから、子ども達と別れるのはそのタイミング以外は許されない。そう自分で決めていました。

その決意さえ揺らぐほど色々なことが重なり、そんなときには勝手なもので、ふと、
(意見を聞かせてほしいのに、なんで先生いてくれないの?)
と恨みがましく思ったりもしました。

これまでの人生であそこまで悩み抜いた決断はなかったと思います。悩んで悩み抜いた末、いつか天上で恩師に会えたら、そのとき恩師の顔を真っ直ぐ見られるかどうかという基準で決断をしました。

それから本当に色々なことがありました。人生最大の壁にもぶつかったかもしれません。本当に苦しかったし、何もかも投げ出して逃げ出そうと思ったこともありました。けれど、ふと恩師のことが頭を過ぎるのです。

心から子ども達を愛していた先生。道半ばにして去らねばならなかった無念。
先生がお元気であれば、もっともっと多くの子ども達が素晴らしい出会いをもらえたはずなのに、その機会はもうなくなってしまった。

私に進むべき道を見つけさせてくれた人。かけがえのない人。なのに何ひとつ恩返しもできないまま会えなくなってしまった。
だから私は逃げちゃいけない。まだまだ先生の足元にも及ばないけど、そして、いくら頑張ったって先生に追いつくことはできないと思うけど、ほんの一歩でも先生に近づきたい。

いつか会えたとき、いつもの笑顔で

「おぅ、お前、よう頑張ったな。」

そう言ってもらえるよう頑張るんだ。
この思いはあの日以来ずっと、私の中で大きな基準になっています。

多分先生は何にも怒ってなんていない。私の不義理さえも全部許してくださっている。そう思っています。だからこそ一層切なくもなるのですが、「先生」とはきっとそういうものなのだとも思うのです。

教え子に何か見返りを求めるなんてことはない。ただ教え子の成長を見守り、幸せを祈る。そんなのが「本物の教師」なんだと思うのです。そして、恩師はそういう方だったと思っています。

大切な子ども達といつも真正面から向き合う。

その気持ちが揺らいだら、多分そのときはこの仕事を辞めるときなのだと思っています。
今でも多分側にいて、笑顔で私を見守ってくださっている恩師に、いつの日か褒めて頂けるよう、これからも努力していこうと思っています。

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コメント

やっぱり泣いちゃった。
だって先生あんまり早く逝きすぎたよね。
いつも思ってしまう、生きている先生に会いたい。話を聞きたい。笑ってほしいって。

何度かお見舞いに行ったとき、私は先生との話の中であなたの名前を言いました。何年も前の生徒なのに、先生はすぐにあなたの顔が思い浮かんでいました。
正直うらやましかった。ホントに印象に残った生徒だったんだよね。そして言いました。「結婚せんでもいいけど、彼氏はおって話を聞いてやるやつはいたほうがええなぁ」って。いつもの笑い顔で。

先生はいつもいるような気がするって・・・って思うんだけど・・・気持ちの弱い私はやっぱり、先生に会いたい。二度と会えないのに、どうしても会いたい。

「出会いと転機」改めて読ませてもらって、ありがとう。先生はあなたを応援していますよ。きっと。

投稿: ぞう | 2005年12月31日 (土) 19時11分

コメントありがとう。
本当に偉大な先生だったね。
私が先生を思い出すとき、先生は必ずいつも笑顔です。
きっとホントに、いつも側にいて笑ってくれてると思ってます。

投稿: willseeds | 2006年1月 1日 (日) 02時16分

はじめまして。44歳の男性です。3月から4月にかけて教職員の移動が新聞紙面に載り、恩師の名前を探す自分が居ました。約30年前に大変お世話になった先生の所在を知りたくて、先生の名前で検索したところ、このブログに出会いました。「出会いと転機」を全て読ませていただき、この『坂本英世先生』が私が探している先生なのか?他人であってほしい!!と思いながら、何か決定付ける事が分かればと思います。
約30年ほど前に神戸市西区の外れの中学校に勤務され、当時25~30歳だったかな?担当は数学で、野球部の監督をされていました。(先生は大学までずっと野球をされていました) 私も野球部で先生から殴られた事、蹴られた事が度々あります。男前で当時は清水健太郎似と評判でした。もし何か情報をお持ちで教えていただけるようでしたら幸いです。

投稿: sky_n1202 | 2006年4月28日 (金) 14時20分

sky_n1202さん初めまして。
詳しいことはメールさせて頂きますね。
それでは。

投稿: TOH | 2006年4月28日 (金) 14時47分

こんばんは。今頃…と思われると思いますが、突然メールしてスミマセン。坂本英世先生…昔、魚崎中学校に居た先生の事でしょうか?もしそうなら、中学3年の時の担任で大好きな先生でした。たまたま昨日、魚崎中学校の恩師と会ってて坂本先生の事を思い出し、坂本先生とは「もう会う事が出来ない」と亡くなった後で聞いたのを思い出して…検索してしまいました。いつ頃だったのでしょうか?卒業アルバムに書いて頂いた言葉が宝物になっています。

投稿: みう | 2009年1月28日 (水) 21時05分

みうさん、はじめまして。
また恩師がこうしてご縁をくださいました。
ありがたいことです。
最近、自分の記憶がかなり不確かなのですが、私が独立する前の年の夏
でした。
私が独立して6年目。今年の7月で丸6年になりますので、もう7年前に
なるんですね、多分。
早いものです、本当に…。

投稿: TOH | 2009年1月28日 (水) 21時58分

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