昔の遊び
このところ、以前にも増して色々なことを考えています。
その中でふと気になったのが「昔の遊び」。
昔といっても、自分が子どもだった頃にやっていたことですから、本当の意味で「昔」なのかどうかはわかりません。
私が子どもの頃には当然、テレビゲームなどというものはなく、遊びといえば外遊びか家の中で家族と一緒に遊ぶ。そんなものが主流だったように思います。
まだ幼い頃には外では、3歳年上の兄や近所の友達に混じって、ビー玉やメンコをしたり、空き地で虫を探したり、泥遊びをしたり、そんなことをしていました。
家の中では、ブロックや積み木で遊んだり、母に教わっておはじきやお手玉をしたり、けん玉をしたり、塗り絵をしたり、カルタ取りをしたり。。。そんなことが遊びの全てでした。
少し大きくなってからは表の道にチョークやローセキ(と呼んでいた気がする)で、「かかし」や「けんけんぱー」、陣取りなどを描いて遊んだり、家では少し難しいプラモデルや、オセロやダイヤモンドゲームのようなボードゲームなどをしていました。もちろんトランプもやりました。
周りの子達も恐らく似たような遊びをしていたと思います。
今思えば、それらは全て「頭」にも「心」にもよい遊びだったのです。
小さいうちからしっかり指先を使えるようになることは、賢くなるためには不可欠です。
昔の遊びの全てには自分自身で工夫したり、練習したりしなくては楽しくないものが沢山ありました。
ほとんど全て安価なものです。今なら、おはじきもけん玉も、それこそ100均に行けば手に入るほどです。
道にチョークで描いて遊ぶというのは難しい時代かもしれません。裏の空き地もなかなかない時代だと思います。
それでも、家の中での遊びなら、いくらでも昔に帰れるのではないでしょうか?
最初に何があるか。家に当たり前のようにお手玉やおはじきがある。けん玉がある。親がやってみせる。そうすれば、子どもにはそれが当たり前になる。
もちろん、いずれは他のお友達のおうちなんかでゲームの存在を知るかもしれません。けれど、自分で工夫する遊びを知っている子は、ゲームにのめり込むことはあまり心配しなくていいのではないかと思います。少なくとも、工夫する遊びを知っている子がゲームだけをやり続けるようにはなりにくいと思うのです。
それに、仮にお友達のところでやったって、お子さんが小さいうちは確固たる信念を持って家にはゲーム機は置かないと決められるのもいいと思います。
私が小学生の頃、同級生の中に、家にテレビがないという子がいました。情報はラジオで得るのだと。
子供心に、その子のことを可哀想だなと思っていましたし、テレビも買えないおうちなのかなと思ったりもしていました。けれど、そうではなかったのだと思います。私が知る限り、その子のおうちがテレビも買えないような切り詰めた生活をしているとは思えませんでしたし、彼の話ではお父さんがそう決めていると言っていたように思います。
今になって、そのお父さんの信念は素晴らしいなと思います。幼い頃にはテレビは見せない方がいいと、最近でこそ結構知られるようになってきましたが、そのお父さんは時代を遥かに先取りして、子ども達にテレビを見せない生活を選んでおられたのでしょう。
幼い頃から家にテレビがなければ、子どもにとってはそれが基準になるはずです。
であれば、子どもにとっての「遊び」は自ら工夫してするものだという価値観を最初に育めば、後はそれがその子の基準になるはずです。
幼いお子さんをお持ちのおうちの方、一度遊びを見直してみられませんか?
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