出会いと転機(15)
先生の葬儀のあとも、しばらくは油断すると涙がこぼれてくるような日々でした。
絶対にまた教壇に立つのだと闘病し続けられたという話を聞き、先生の無念を思いました。あまりにも早過ぎるご逝去でした。
私にできることはなんだろう。。。しばらくはそのことばかり考えていました。ちょうどその頃、勤めていた塾では様々な問題が起き、ストレスは限界に近づいていました。本当なら、今こそ先生に私はどうすべきなのかお尋ねしたい。。。心からそう思いました。
だけど、自分で考えるしかない。自分にとって、そして、先生のために、一体何が最良なんだろう。。。
先生の遺志を継いで、非常勤でもいいから中学校に入ることも考えました。
ですが、それはやはり何か違うように思えました。
考え抜いた末、私は私らしく、自分にできることを精一杯、今いる子ども達と一緒にやっていくと決めました。きっと見守ってくださっているであろう先生に恥ずかしくないように頑張っていこう。そう決心し、今ある場所で頑張ることを選びました。
しかし、その決心は揺らぎ始めました。どうしても、どう頑張っても、もう踏ん張り切れない限界が来ていました。
この仕事を始めたときからずっと考えていましたが、もし仕事を辞めることになったとしても、絶対年度途中で辞めるのだけは避けようと。年度が替われば学校でも担任が変わるのだから、子ども達と別れるのはそのタイミング以外は許されない。そう自分で決めていました。
その決意さえ揺らぐほど色々なことが重なり、そんなときには勝手なもので、ふと、
(意見を聞かせてほしいのに、なんで先生いてくれないの?)
と恨みがましく思ったりもしました。
これまでの人生であそこまで悩み抜いた決断はなかったと思います。悩んで悩み抜いた末、いつか天上で恩師に会えたら、そのとき恩師の顔を真っ直ぐ見られるかどうかという基準で決断をしました。
それから本当に色々なことがありました。人生最大の壁にもぶつかったかもしれません。本当に苦しかったし、何もかも投げ出して逃げ出そうと思ったこともありました。けれど、ふと恩師のことが頭を過ぎるのです。
心から子ども達を愛していた先生。道半ばにして去らねばならなかった無念。
先生がお元気であれば、もっともっと多くの子ども達が素晴らしい出会いをもらえたはずなのに、その機会はもうなくなってしまった。
私に進むべき道を見つけさせてくれた人。かけがえのない人。なのに何ひとつ恩返しもできないまま会えなくなってしまった。
だから私は逃げちゃいけない。まだまだ先生の足元にも及ばないけど、そして、いくら頑張ったって先生に追いつくことはできないと思うけど、ほんの一歩でも先生に近づきたい。
いつか会えたとき、いつもの笑顔で
「おぅ、お前、よう頑張ったな。」
そう言ってもらえるよう頑張るんだ。
この思いはあの日以来ずっと、私の中で大きな基準になっています。
多分先生は何にも怒ってなんていない。私の不義理さえも全部許してくださっている。そう思っています。だからこそ一層切なくもなるのですが、「先生」とはきっとそういうものなのだとも思うのです。
教え子に何か見返りを求めるなんてことはない。ただ教え子の成長を見守り、幸せを祈る。そんなのが「本物の教師」なんだと思うのです。そして、恩師はそういう方だったと思っています。
大切な子ども達といつも真正面から向き合う。
その気持ちが揺らいだら、多分そのときはこの仕事を辞めるときなのだと思っています。
今でも多分側にいて、笑顔で私を見守ってくださっている恩師に、いつの日か褒めて頂けるよう、これからも努力していこうと思っています。
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