子どもってすごいなと思う。

きっと、似たようなタイトルのブログはこれまで数えられないぐらい書いたんじゃないかと思うけれど、やっぱり、どれだけ子どもたちと過ごしても、何度も何度も感心させられるし、感動させてくれる。

これまで多分特に誰かにそれを話したことはないと思うけれど、私は丸付けをするとき、なるべく「ぐるぐるまる」をつけるようにしている。
ただ、そのまるも、私が勝手にちゃんと使い分けていて、その子にとってちょっと難しいであろう問題を一発で正解したときには気持ちよくぐるぐるぐる~っとまるをするし、引っ掛かりそうな問題にも引っかからずに1枚全部クリアしたときなどにはプリントいっぱいにぐるぐるまるをする。「すごいな~」とか「やるな~」とか言葉にするときもあるし、しないときでも「まる」にそんな気持ちを込めている。

そして、たとえば、その子にとって大して難しくはないような問題だと、一応ぐるぐるのまるにはするけれど、勢いが違ったり、ぐるぐるの数がちょっと少なめだったりするし、間違って直した問題だと敢えて一重まるにしたりもする。

ただ、それは全部私が勝手にしていることで、こんなときはこんなまるにするよという説明を子どもにしたことはない。
子どもにとって「まる」は「まる」なんだろうなとぐらいに思っていた。

もちろん、時々、「花まるにして!」とか「おっきくぐるぐる~ってまるして!」とかリクエストしてくる子がいるので、それに関しては言えばいつでも花まるになるのでは「花まる」の価値も下がってしまいそうだし、その都度何らかの条件をつけて(例えば、そのプリント1回で全部あったら花まるね」とかいうような…)できる範囲でリクエストに応じている。

しかし、何も説明していないのに、子どもたちは気づいているのかもと思うことがある。

ついこの前も、それまで丸つけに関して一度も何も尋ねたことのなかった子が、私がまるをつけた後に「なんで(この問題だけ)一重まるなん?」と尋ねてきた。

「え?だって、一発で合わへんかったやん?だから。」と答えると、あっさりと「ふ~ん、そうなん。」と納得した様子。

納得したことよりも、普段はぐるぐるまるなのに、今は一重まるだったということに一瞬にして気づいて尋ねてきたことに驚いた。
この子はひとつひとつのまるをちゃんと見ていたんだなと。

子どもたちに尋ねたことはないけれど、簡単な問題でさらっとまるをつけられたとしても、それは別にそう気にならないんじゃないかと思ったりもする。
ただ、その子にとって一所懸命がんばって解いた問題は、がんばったね!という気持ちをまる付けにあらわしてもらえたら(ついでに褒めてもらえたりなんかしたら)、すごく嬉しいんじゃないかなと。

そんな思いで日々まる付けをしているのだけれど、案外子どもたちには伝わってるのかもしれないなと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自分に甘い。

今日、そうコメントでご指摘を頂きました。
自分に甘くて人に厳しいのは人としてどうだか…と。

コメントをくださった方がどなたなのか全く見当がつかないもので、どのあたりで「人に厳しい」と判断されたのかはわかりませんが、確かに、自分には甘いなぁと思います…。

教材についてのご指摘は正直なところちょっとわからないところもあるのですが、もし、過去私がブログに書いていたことを、いつかいつかと待ち続けてくださっている方がおられるのだとしたら、申し訳なく思います。

ただ、基本的に、教室の子たちとのレッスンが私のすべき最優先のことで、その子たちにとってよいと思えるものを使いたいという考えに変わりはありません。
今の教材にはほぼ満足しているのですが、私ではうまく使いこなせない部分(内容が薄く感じる部分や飛躍し過ぎているように感じる部分)などは必要に応じて、今も教材を追加したり、教具を使いながら考えてもらったり、ケースバイケースで対応させて頂いています。

教材を作って売りますと宣言した覚えはありませんし、どのようなものをいつまでの期限を目標に…というようなこともブログ上に書いた記憶がありません。(もし忘れているのでしたら申し訳ありません。どうぞご指摘ください。)

ですので、どうももやもやするのですが、それでも、実際、自分で決めたノルマは全くクリアできていないのは事実ですし、途中まで進んでいたところで新たな気づきがあって、本を読んだり考え直したりして、それまで手をつけていたところも手直ししたりして、更に作業がずれているのも事実です。

貴重なご指摘を頂いたと思っています。

もし、教室に通ってくださっている方や私が直接存じ上げている方で、言ったことを守らずご迷惑をおかけしている方がおられましたら、どうぞご遠慮なくお申し越しください。

何かを写して書くだけであればただ単にサボっているとしか言いようがないのですが、自分なりに十分考えて、今考えられる中でベストと思えるものを書いていきたいと思っているため、気持ちはあっても思うように進んでいないというのも本当です。
でも、言い訳ばかりしていてもはじまりませんので、貴重なご指摘を頂いたことですし、再度気持ちを入れ直して、やっていきたいと思います。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

長さを測る

子どもたちとレッスンをしている中で、長さの単元を学習するとき、単位換算が苦手な子の中に、長さの感覚が身についていない子が少なからずいる。

教室で初めて長さの学習をした子などは比較的スムーズに行くことが多いけれど、学校などで先に長さの学習をしたことのある子や、数量感覚が身につきづらい子などで、単位換算をごちゃごちゃにしてしまうような子に「1センチってどのぐらい?」と尋ねると、いきなり両手を出してその幅で表そうとする子がいたり、どう見てもそりゃ10センチはあるでしょ?とか、近いとはいえ3センチはゆうにあるよね?とか、そんな感じの子がほとんどだ。
1ミリを尋ねてもやはり1センチ近くあるような子もいる。

換算が苦手な子の場合、尋ねる直前に定規などを見て、長さを計った後だったりしても、平気で全然違う長さを示す子も珍しくはない。

結局、興味・関心があるかないかの違いなのかもしれないけれど、実際の感覚がないのであれば、仮に3センチ5ミリと5センチ8ミリを合わせて9センチ3ミリと答えられたとしても、それは「1センチ=10ミリ」ということを覚えて使っているだけということも大いに考えられる。
覚えて使っているだけなので、ここにメートルやキロメートルまで混ざってくると、たちまち大混乱。どれが10倍でどれが100倍でどれが1000倍だったか、あやふやで、巷では珍しくない「単位換算の苦手な子」になっていく可能性は高い。

教室ではわかっていない子には定規や巻き尺を実際に見せて考えてもらったりもするのだけれど、例えば、学校で長さの学習をするのに合わせて、ご家庭で色々なものを計ってみてはいかがだろう。

ということは以前にも書いたことがあるが、より実感するのには、自分の体の色々なところを計ってみるというのもいいのかもしれないなとふと思った。

例えば、自分の体の中でぴったり1ミリ、1センチのところを探すとか、1メートルだと自分の手を広げたどこからどこまでの長さだとか、足のサイズ、てのひらのサイズ、爪のサイズなど、色々な部分を計ってみれば、自分の体なのだから、少しは印象に残りやすくなるのではと思ったりする。

特に、ぴったり1ミリや1センチの場所を探すのは結構大変かもしれないので、その分印象にも残りやすいのではないだろうか。
(1ミリだと、今思いつく、目につきやすく測るりやすい場所で可能性のあるのは、指の間接のしわとしわの幅とかだろうか…。)

長さの換算があやしそうだなとお感じであれば、ためしにやってみられては?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ちなみに。

昨日の件、結果報告。(?)

丸1日以上経過しましたが、今までのところ・・・。

まず、横になるとキーンとするような痛みがあった腰はほとんど痛みを感じず。

朝、シャワーの後体重計に乗ると、まっすぐ立っているつもりなのに、自分の骨盤が右が前に左が後ろにずれて見えていたのですが、それがほぼ左右が揃っているように見えました。

鼻は完全に治ったとまではいかないようですが、昨日からほとんど気にならない状態が続いています。

脚の組みやすさも左右変わっていません。

「病は気から」という言葉や「プラシーボ効果」というものがあったりするので、気の持ちようで変わるものももちろんあるとは思うのですが、骨盤の位置やら脚の組みやすさやら、鼻の通り具合まで、単純な私の気の持ちようで変わるんだったら、胡散臭かろうが、アヤシかろうが、なんだってアリな気がします。(笑)

ダイエットとかストレス解消とかにも効果があるそうですよ。
気になる方はお気軽にお尋ねください。(笑)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

びっくり!

すみません。今日は全く仕事に関係ない話です。(って、しょっちゅうそうですけど…(汗))

実は、ここ1、2ヶ月ほど、横になると腰の右のあたりに痛みを感じ、朝起き上がるときには一旦寝返りを打ってうつぶせになってからじゃないと痛くて・・・という日すら出てきてしまいました。

歳なのは仕方ないとして、筋力の衰えかなぁ?と腹筋、背筋を鍛えるか?と思ったりもしたのですが、いかんせん、無精者・・・。
それに、以前から体の歪みも気になっていたので、まずは一度整体に行ってみようと思いながらも、なかなか重い腰が上がらずに過ごしていました。

そもそも、遡ること十数年。その頃の同僚の子に右と左の膝の位置のずれを指摘され、言われてみれば確かにそうだなぁ、一度整体に行ってみようかなぁと思ったまま、どこがいいのかもわからず、初めてのところに行くには勇気も必要で、結局ずるずる今日まで・・・。
教室の割と近くの整体院のことが気になってからも5年余り・・・。
我ながらどれだけ腰が重いねん・・・と思いますが、今日はレッスンが2つだけだったので、終わった後、意を決して(大袈裟・・・)電話してみました。

すると、今日の19時に見てもらえることになったので、早速行ってきました。

フリーペーパーやホームページなどで普通の整体ではなく、氣功を使ったりもされるようだということはわかっていたのですが、なんと!実際は全く「整体」ではありませんでした!
基本、体にはほとんど全く触れず。

Oリングテストというのをしながら、体の悪いところを治していくと・・・。
正直、かなりアヤシゲで、半信半疑。まあ、面白いなとも思いましたし、「氣」の存在は信じてはいますから、全面否定するつもりもありませんでしたが、そんな、言葉だけで簡単に治ったらさすがに変だよね・・・という気持ちは否定できません。

あれこれ悪いところを尋ねられ、大半のところに氣を送ってくださったようで、先生曰く、もう腰痛も治っているらしいのですが、正直それは半信半疑のまま。

ただ・・・鼻も治せるよといわれ、Oリングテストで花粉症ではなく、ちくのうのようだとのことで、ちくのうを治す言葉をかけてもらったところ・・・もう何ヶ月もすっきりしなかった左の鼻の症状が明らかにかなり改善されているんですよね・・・。

おまけに、更にびっくりしたのが、これまで脚を組むときは右足を上にして組まないと組みづらかったのですが、教室に戻ってきて仕事しながら、何気なく組んだ脚を見て、自分でびっくり!
普段なら組まない方の脚を組んでいて、反対に組みなおしてみたのですが、組みやすさがほとんど変わらない、むしろ、これまで組みにくかった左を組む方が若干組みやすいかなってぐらい・・・。

不思議な力のことは私にはよくわかりませんが、先生は骨(体)を直接触ったりされませんでしたし、そこに行くまでは確実に左を上にして脚を組むと違和感があったのも事実なのです。
けど・・・変わってるんですよね、今・・・。

う~ん、不思議・・・。

腰のことと、骨盤の位置が左右でずれていたのとは、家に帰って寝て起きて、朝体重計に乗って・・・で確認できると思いますが、それが一度で治らなかったとしても、鼻の症状が改善されたのは事実ですし、それだけでもすごいなぁと。

なかなかびっくりな体験でした。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

どうも違和感が…。(最近タイトルに「違和感」がつくことが多いような…(汗))

先日来感じていて、今日、普段お世話になっている先生にもついぼやいて(?)しまったのですが、ここ1年ぐらいでしょうか、子どもたちとレッスンをしていて、へ?と思ったことがあります。

幼稚園や1年生の時から一緒にレッスンをしている子たちは、ほとんどの場合学校の進度より教室の進度の方が先になるので、1年前ぐらいまではたまたま出くわさなかっただけなのか、ここ1年ぐらいの間に何か指導方法に変更があったのか、その辺はわからないのですが、へ?と思ったのは子どもたちに「直線を引く」ということをしてもらっていたときです。

中学以降は直線といえば両端がなくどこまでもまっすぐに延びる線を指す言葉になるので、そういう意味では「直線」を描くことはできないわけですが、小学校の場合は「まっすぐな線」のことを「直線」ということになっているので、「5センチの直線」などという表現も使われます。

その点は小学校ではそうなっていることなので、まあいいとして、最初に違和感を感じたのは多分1年前だったかと思います。
直線を描く問題が並んだプリントを渡したとき、既に学校で長さの勉強が済んでいたひとりの子が、指定された長さの両端をぐいぐい縦に5ミリはありそうな印をつけ、その後でその印と印の間に直線を引いたのです。

?と思いながらちょっと見ていると、次の問題も、その次の問題も、やはりそうやって描いています。
言ってみれば、線分図を描きなさいと言われた時に最初に描くようなものをプリントに描いているわけです。( |―――――|  ←やや極端ですが、こんな感じ。)

不思議に思って、その子に「先生がそうやって描きなさいって言ったの?」と尋ねると、「うん」との答え。
へんなの~と思っていたのですが、まあ、変わった先生もいるんだろうぐらいに思っていました。

しかし、異変が起こりました…。
今年、2年生の子たちの中に新たに3人、学校も全然バラバラの子たちなのに、やはりそうやって描く子たちが登場しました。
そして、全ての子がそうやって描くように言われたというのです…。

詳しいことはわからないのですが、仮に子どもたちが小さいからわかりやすいようにということだとしても、せいぜい両端に点を打って、その点と点をつなぐぐらいでいいのではないのでしょうか?
少なくとも「直線を描きなさい」という指示なのに、両端にしっかりくっきりと縦棒がくっついているのはさすがにおかしくないでしょうか?そんなことないのですかね??

直線をそうやって描くんだとしっかりインプットされた子たちは、中学校に行って、線分を描きなさいと言われた時、何も言わなければ、同じように両端にぐいぐい印をつけちゃったりはしないんでしょうか?

もちろん、その時点で中学校の先生が線分はそんな風に描いたらダメという指導をされたら、もしかしたら子どもたちは、小学校での直線と中学校での線分は違うものなんだなという認識でインプットし直すのかもしれませんが…。

どうやら何人もの先生がそうやって指導しておられるようだということに、妙な違和感を感じるのですが、私が時代に遅れてるんでしょうか?(汗)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

また悲しい事件が…。

気持ちが暗くなる話題は本当はあまり書きたくないのですが、今日また、悲しい事件が起きてしまったようですね。
高校生が同級生を包丁で…。

先日も書いたばかりですが、もちろん、ニュースになるということはこれが特異なことだということには違いないのでしょうけれど、それでも、どうして短絡的に命を奪うというところまで考えが及んでしまうのか、それがどうしてもわかりません。

腹の立つことがあれば、短絡的に殴る蹴るなどの暴力に訴えてしまうということは、まだなんとか想像がつかなくもありません。
一般に「血の気の多い人」と形容されてしまうような人は、カッとなってつい手が…みたいなことになってしまっても、理解できなくはないのですが、先日の事件の高校生も今日の事件の高校生も、カッとなって短絡的に手を出したということではないようですよね…。

何か腹の立つことがあって、そのことを解決するには相手の命を奪うしかないという考えに行きついてしまう。
そして、事前に準備をして犯行に及んでしまう…。

なんなんだろうと思います。
その子たちは殴られた痛みや刃物で手などを切った痛みを知らないのでしょうか?
相手の命を奪ったら、そのあとどんなことになるか少しでも考えたりするのでしょうか?
命を奪っても、しばらくしたらまた生き返るとか思ったりしているんでしょうか??

こんなことを書いても何の解決にもならないことはわかっているのですが、何ともやりきれない気持ちになってしまいます…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「25×25」

ちょうど昨日、2桁×2桁のことについてブログに書いたのですが、偶然、懇意にしてくださっている先生のブログにも、授業で「25×25」をやったと書かれていました。

それを見た瞬間、ふと、100×100の4分の1…の4分の1か…(つまり、16分の1ですが…)と頭に浮かびました。

インド式だったら2桁×2桁も暗記しているのかもしれませんし、計算が得意な子だったら、パッと見て暗算してしまうのかもしれません。
それに、数が「25」なので、4倍で100になるということもあって、計算自体もそんなに難しいものではないとは思うのですが、何か工夫しようと思ったわけではなく、ただ単にその式を見た瞬間にふと思いついたのです。

ここ最近ずっと、頭の中でぼんやり、掛け算って面積とリンクさせて指導すれば、もっともっとわかりやすくなるし、工夫もしやすくなるんじゃないのかな?と考えていて、きっとそのせいなんだろうと思うのですが。

もちろん、10000÷16をするより、25×25を素直に考える方が簡単という話もあるかもしれませんが、そして、私は子どもの頃にはあまり「やわらか頭」ではなかったので、この歳になって、頭の中で面積図をイメージして操作すること自体、そう容易くはないわけですが、小さい頃から面積図をイメージしながら考えていれば、もっとパッと、理屈じゃなくって、答えが頭の中に見えたりするんじゃないかなと思ったりもします。

例えば、25×25を考えるために、まず100×100をイメージしたとして、片方を25に変えたら、その時点で100が25列分の面積に狭まるわけで、その面積の4分の1が答えになるわけです。
とすれば、2500÷4ですから、面積図をイメージできる子にとっては簡単な計算になるのではないかと思うのです。

よくある例で、99×99だと、分配法則で式を変形して(100-1)×(100-1)で、10000-200+1とか考えるのだと思いますが、これも、やはり面積図が頭に浮かんでいれば、まず100を1列取り除けば、99×100で9900。
次に、もう一方の列を1列取り除けば、面積図としては99×99になるわけですが、そのとき取り除く数は99。つまり、9900-99=9801。

この考え方でいけば、98×98だったら9800から98を2回引けばいいわけですし、101×101なら10100に101を足せばいいわけで、分配法則だのなんだのを覚えなくても、実際の面積としてそれが当たり前のものとして考えられるだろうと思うのです。

掛け算に面積図。
絶対いいと思うんだけどなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

先回りしない。

育児書や教育書などを読んでいると、ときどき、最近は子どもが失敗する前に失敗の可能性を先回りして回避させてしまう親が少なからずいるというようなことを目にすることがある。

恐らく、昔の親が放任だったとか、過保護な親が増えたとか、そういうことではなくて、昔は大人が見ていなくても子どもたちだけで自由に遊びまわれる場所があったし、子どもの数も今より多かったということもあるだろう。それに比べて最近は、子どもたちだけで自由に遊べる場所も限られてきているし、子どもの数も減って、ひとりひとりの子を見ていられる時間も増えたというようなことも関係しているんだろうと思う。

親は我が子が可愛いものだと思うので、目の前で転びそうだったら、転ばないよう手を貸すなり声をかけるなりしてしまうだろう。
何もせず黙って転ぶのを見ていられる親はまずいないと思うし、仮に我が子じゃなくても、子どもが怪我をしそうだったら、やはり怪我をする前に声をかけてしまう大人は多いだろう。

もちろん、命のかかわるような危険なことを黙って見ている必要はないわけだけれど、小さな怪我、小さな失敗は、可能な範囲で経験させるのがいいのではないかと思う。

で、前置きが長くなったが、同じようなことが勉強でも言えるのではないかなと思うことがある。
例えば、今日のレッスンでひとりの子が、2桁同士の掛け算に取り組んでいた。2桁同士の掛け算の筆算はまだやっていない段階で、その子が今知っていることは2桁×1桁、3桁×1桁の筆算まで。
その状態でいきなり2桁同士の掛け算をやらせるのはもちろん少しハードルが高い。

というわけで、まずは2桁×1桁(これはおさらいの内容)と2桁×何十の掛け算を考えてもらった。

2桁×1桁は割とすらすら解いていく。でも、89×8の計算のとき、ふと見ると、89を縦に8つ並べて足し算の筆算をしている。
その子の力からすると、80が8個と9が8個に分けて考えれば、筆算を書かなくても答えは出せるのだけれど、自分で考えてそうしているので、そのまま様子を見ていた。

次に2桁×何十の計算になったとき、その子ならわかるかな?と思ったのだけれど、どうも全然ぴんと来ていない様子だった。
そこで、まず2桁×10を考えてもらうことにした。×10はぱっとわかりそうな気がしたのだけれど、どうも今日はイマイチ調子が出ていないらしくて、数を10個書いて筆算をしている。
それでも黙って見ていた。
最初は77×10だったので、「770」と答えを出したその子に、「じゃあ×40だったら?」と尋ねると、ほんの少し考えて、770を4回足し算した。

次の問題もまず×10を尋ねたのだけれど、どうもまだピンと来ていないようで、また10個書き並べている。
それでも黙って見ていた。
当然のことながら、それも2桁の数に0が1つついた答えになった。それをもとに今度はその×20の答えを出した。

そのあたりで、「77×10=770」「86×10=860」と2つ式を書き並べて見せた。
すると、「あ!」と言って、そのあとは数を10個書き並べなくても答えが出せるようになった。

そしてまた次の段階。

今やった2桁×1桁のプリントと2桁×何十のプリントを2枚並べて、次のプリントを出した。

それぞれのプリントの1問目は「77×2=154」「77×20=1540」「77×22=  」となるようにしてある。
それを並べて見せて、「これ、77が20個やんね?で、ここに77が2個。じゃあ、77×22は?」と尋ねてみた。

少し考えていたけれど、初めは全くわけのわからない答えが出された。あまりに違い過ぎて、どう考えたのかも思いつかないような数字だったのだけれど、こりゃわかってないなと思い、プリントの裏に「ここに77、22個書いて。」と言った。

書き終わったところで、まずそのうち20個を○で囲み、「これでいくつ?」と尋ねた。
すると、きちんと「1540」と答えたので、○の横にその数を書いてもらった。

で、そのあとに22が2個残っていることに気づいたその子は「あ!」と言って、「1540+22+22」として答えを出した。
この時点ではまださっき計算した77×2=154の式には思いが及んでいないようだった。

次の問題もまだピンと来ていないようだったので、もう1問同じように考えてもらうと、そのあとは数何十個を書き並べなくても答えを出せるようになった。
それでも、3問目ぐらいまでは×1桁の方は相変わらず、数を3個だの5個だの書いて足し算をしている。

しばらく黙って見ていたあとで、×9をする問題になった。黙っていたらその子は恐らく9個書いて足していたかもしれないが、そこで「ねえ、9個ってこれよね?」とさっき解いた「×9」の式を指差した。

するとまた「あ!!」と言って、その後はもうたくさんたくさん数を書いて足すこともなく、答えを出せるようになった。

もちろん、このやりとりも、その子その子の能力やその日のコンディションによっても反応が違ってくるので、みんなに使えるとは考えていないけれど、まずは子ども自らが考えた方法で答えを出してもらうことはとても大切なのではないかと思っている。

それが大人から見たらどれだけまどろっこしい方法でも、まず自分がこうだと思ったやり方でやってみてもらって、それが面倒だと感じているようだったり、なかなか答えが出せずに困っているようだったり、子どもが何か困難や不便を感じているなと思えば、そこで最低限の手助けをする。

苦労した後なら、「ああ、この方が簡単だ」とか「この方がわかりやすい」とか、子ども自身比較することもできるし、便利だなと感じれば、しっかり印象に残るだろう。

最初からやり方を教えられてその通りにやれば、その方法の便利さ、楽さを実感することはないままに過ぎてしまうだろうし、印象に残らなければ忘れるのだって早いだろう。

回り道のように思えても、小さい子には多分結果的に近道になるんじゃないかなと思う。

特に、九九を習った後の子であれば、例えば37×8を計算するのに、37を縦に8個並べて足し算の筆算を書いたとしても、答えを出す時には恐らく、7(一の位)×8と3(十の位)×8を使って計算するだろう。もし、それに気づかず1つ1つ足している子がいれば、タイミングを見て「足していくんじゃないやり方ないかな?」などと声をかけてみれば、きっとほとんどの子が気付くのではないだろうか。

とすれば、見た目は足し算8段重ねの筆算でも、答えの出し方は掛け算の筆算と同じになっている。
それを何問かやった後に掛け算の筆算(2桁×1桁)をやらせれば、子どもたちはより深く意味を理解できるのではないかと思う。

こうしたら楽だよという方法は先に言うのは極力控えて、子どもの先回りをせずに(でも、必要な時には必要なフォローができるように)見守るのが、子どもの学びに大きなプラスになるのではないかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

もう7月!

恐ろしいことにもう7月。
今年も半分が終わってしまいましたね。。。

昨年は年明けから次々に予期せぬトラブルが発生し、次はなんだ?と戦々恐々としながら過ごしていたような気がします。

幸い、今年はそんなこともなく、おまけに小学校の授業時間数が増えたことで、レッスンのコマ数も減り、もっと色々仕事ができると思っていたのに、ろくに何もせぬまま、明日こそは、明日こそは…と思っているうちに半年過ぎてしまいました…。

今日からまた気持ちを新たに!と思っていたのですが、昨日はお布団に入っても全く寝付けず、もともと、寝ようと思わなくても寝てしまうことがあるぐらいで、寝付けなくて困ることは年に何回もないヤツなので、かなり珍しいことでした…。

普段だと、お布団の中で本を読んでいると、そのうちふっと意識が遠のきそうになるので、そのタイミングで枕もとの照明を消し、寝るのですが、昨日はいつまで経っても眠くならず、結局文庫本1冊半ぐらい読んでしまい、外がうっすらと白んでくる始末…。

仕方ないので無理やり目を閉じてみたのですが、それでもなかなか寝付けず…。
7月初日は睡眠不足での出勤と相成りました…。(汗)

メールのお返事を差し上げねば!ということも、ホームページを更新しなきゃということも、教材考えなきゃってことも、夏休みのアンケートもそろそろ作らなきゃってことも…しなきゃなことはいっぱいなのですが、今日は早目に休ませて頂くことにしようと思います。

1年の後半。
ちゃんとがんばらなくちゃですね。(反省)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«前代未聞・・・(汗)