2017年6月27日 (火)

一体何が…。

昨日の晩から今日の午前中にかけて、普段火曜のレッスンの方が振替、普段木曜の方が振替、普段土曜の方が振替と、なぜか立て続けに振替のご希望がありました。
そして、調整した後、今日の晩になって更に水曜のレッスンの方が振替のご希望…。
1週間のうちにこんなにも突発的な振替のご希望が重なったことってあったかしら?というぐらいに振替のご希望が重なり、一体何事??とちょっと不思議な気分です。

もちろん、学校行事などの重なる時期に振替が多くなるようなことはありますが、その場合は事前に予定が分かっておられることが多いので、直前のご連絡でこんなに重なることは過去にあったかしら?というぐらい珍しい気がします。

今日のレッスンでは、ある2年生さんが1000までの数を学校で学習しているようで、教室ではもちろん以前にやったことはあるのですが、宿題でわからないところがあったとのこと。
その子はレッスン中に見ていると、必ず何かをイメージしているのが伝わってくる子で、ただ、反応がゆっくりというか、数の感覚が身につくのに時間がかかるタイプなのか、答えが出るまでの時間は長めのことが多い印象です。
その子が100を超え、何百や1000という数になるとすんなりいかないのは、恐らく100ぐらいまでは実際に頭に玉なりタイルなり、何らかのイメージを思い浮かべているからなのではないかなと感じています。

その子に限らず、100を超えてもっと大きな数になった場合、実際にその数をイメージできるかといえば、それはなかなか難しいという子も少なくないだろうと思います。
そして、イメージできない子、繰り上がりの考え方をしっかり理解できていない子にそういう問題を解かせる場合、しばしばテクニックを教えて練習させ、答えが出せるようにするという方法を取ることがあるように思います。

それで答えが出せるようになれば、見た目はできている、わかっているという状態になるわけですが、本人は理解したわけでも納得したわけでもないので、できても満足感や達成感は乏しいだろうと思います。むしろ、わかっていないのに先に進んでしまうモヤモヤ感を抱く子も少なからずいるのではないかと。

理解のペースがゆっくりの子にはそのペースを尊重し、できる限りその子が納得するまで具体物を使ったり、絵を描かせたりしながら考えてもらうのがよいのではないかと思います。
基礎にはしっかり時間をかけても、基礎がしっかりした後で上に積み上げていくのは、やっつけ仕事で作ったぐらぐらの基礎の上に積み上げていくより、結果的には速く積み上げられるということもある気がします。
また、基礎の理解に時間がかかる子は、もしかすると算数の能力的には恵まれていない場合もあるかもしれません。そうであれば尚更、急いで先に進めても、その子は何もわかっていないままになるかもしれません。

ですので、単にスローペースな子に対しても、算数の力が弱いと思われる子に対しても、低学年のうちから急がせることは何もメリットはないように思います。
じっくりゆっくりその子のペースで、その子が納得して次に進む。ひとりでも多くの子どもにそうしてあげてもらえたらなと思います。

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2017年6月26日 (月)

漢字

もう何年も手書きで文字を書くことが激減していて、恐らくその影響は大きいのだと思いますが、読めても書くのは自信がない漢字がどんどん増えているように感じていました。
数年前に一時漢検の勉強をしたことがあったのですが、ひと月経たないうちにやらなくなってしまい、1年ほど前にはスマホの画面に手書きできる漢検用のアプリを見つけて取り組んでいたものの、やはり2、3ヶ月でやらなくなり…。

しかし、最近小学校高学年や中学生の漢字で、さすがに読むのは問題ないものの、書くとなると不安になることがちょくちょく…。これはちょっとまずいなぁと、また3日坊主や1ヶ月坊主になるかもしれませんが、○歳の手習いということで、誕生日に漢検の書き込み式のテキストを買いました。

かなり弱気で、絶対書けるものは飛ばすということにしようと、まずは5級(小学校卒業程度)のものから手を付けていますが、今のところ読み書きその他大丈夫で、ほっとしています。
数問間違えたのは書き順や画数の問題ですが、それは元々真剣に覚える気がないもので、合格点は十分クリアしているから良しとしています。(苦笑)

そもそも、文科省の指導要領だったか、それでは書き順は目安で絶対のものではないというのを読んだことがあるので、だとすれば書き順を試験すること自体がおかしいやん?と思ってしまうと一層覚える気になれず…。(もちろん、小中学生には学校では書き順のテストとかもあるかもしれないから、覚えられるなら覚えてねというような話はしますが。)
とりあえず小学校卒業レベルは問題なく合格できそうなので、やる気があるうちに4級へと進みたいと思います。

しかし、書き取りをしたり、音読みか訓読みか考えたり、熟語の構成や部首についての問題を解いたりしていると、これ、子どもが解くには結構難しいんだろうな、いっぱい色々覚えなくちゃ解けないんだろうなと感じています。

もう大人なので知っている言葉や同じような意味を表す言葉その他の関連から、ああ、この漢字だったなとか、こっちは音読みだなとか思い出せたり、判断できたりするものがかなりあるんだなと改めて感じるので、語彙が少ない、経験が少ない子どもが試験を受けるとなると、その部分を反復練習などで補わなくてはいけないんだろうなと。

ただ、別の考え方をすると、たとえ漢字検定であっても、普段の生活でどれだけ多くのことを経験しているか、どれだけ多くの言葉に触れているか、知らない言葉に興味を持って調べたりしているかなどによって、漢字学習が大変になるか楽になるかの差がかなりでるのかもしれないなとも感じました。
繰り返し書いて覚える漢字学習より、何かに関連付ける、普段の生活で目に触れるなどの機会を増やすことの方が、辛さも少なく、かつ定着度は高くなるんだろうなと、改めて思いました。

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2017年6月25日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

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2017年6月24日 (土)

〇回目の誕生日

今日は節目ともいえる誕生日でした。
これを書くと、歳をご存知のない方にもおおよそ歳がわかってしまいそうですが、もちろん子ども達には言わず、いつものようにレッスンをして、その後も土曜ながらも20時半頃まで教材作りなどをがんばりました。
そのせいで色々タイミングを逸して晩ご飯が超粗食になってしまいましたが、節目の日に仕事をまずまずがんばれたのでよしとしようと思います。(といっても、この1年ご飯が食べられなかったらどうしようとか思ったりしましたが(汗))

自分としては結構頑張ったせいか、帰宅後はぐったりしてしまい、このブログも完全に日付が変わってから書いています。
内容がなくて恐縮ですが、本日はこれにて。

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2017年6月23日 (金)

不思議

面倒なことを嫌がり、やり方を聞いてくることもしばしばながら、きちんと考えたら結構できる、算数のセンスは絶対あるのになぁというタイプの子がいます。
算数が苦手でどうしていいかわからず聞いてくるというのとはちょっと違い、面倒そうだな、難しそうだなと思った時点で考えるより先に「これ足すの?」とか聞いてみるという感じです。それで答えてもらえたら儲けものという感じで聞いているのかもしれませんが、その子との付き合いもぼちぼち長くなり、そんなことを聞いても私が答えないこともわかっているはずなのに、それでも諦めずチャレンジしてくるのは、ある意味すごいのかもしれません。

今日も、学年を考えると結構面倒なわり算などをしっかり解いて、最近は煮詰まることもほとんどなくなったなと思っていたところ、812人の子どもを6人ずつ長椅子に座らせたら長椅子がいくついるかという問題で、まずはすんなり割り算をし始めました。
筆算もしっかりできるようになっていて、答えも余りもきちんと計算できたようだったのですが、余りが出たことで何かひっかかったらしく、「これわり算?」と聞いてきました。
そこで「さあ、どうやろね。たすか引くか掛けるか割るかのどれかしかないよね。」そういうと、「これ、余りある?あったら変だよね?」と畳みかけてきます。

「さあ、余りがあるかどうかわからんけど、なんで余りがあったら変なの?6人ずつ座っていったら絶対ぴったりになるの?」と、ある意味かなりのヒントになりそうなことを言ったはずなのですが、なぜかかけ算をし始めました。
その時点で全く考えていないのはバレバレです。

「かけ算してみたらいいけど、1人ずつ座らせても812しかいらないよ?」
これまたほとんど答えているようなものだなと思いつつも、そう声をかけたのですが、まだ迷走が続きました。

その子のクラスは33人だというので、「じゃあ、○○ちゃんのクラスの33人を6人ずつ座らせたら椅子はいくついるの?」と少ない数、それも自分のクラスの子達というイメージしやすい状況に置き換えて尋ねてみました。

それでもぱっとは答えが出ず、しばらくしてはっと気づいたように、長四角の中にマルを6個ずつ描いて、そのマルが33個になったところで椅子の数を数えて答えを出しました。
その絵を前にして、「じゃあ、33と6はどんな計算したらいいの?」と言うと、なぜかまだすんなりとはいかず、割り算を仕掛けたのに余りがあるからとかけ算をしようとします。
答えが出ているのにかけ算するのはおかしいと止めた後、更に何度かやり取りをしてやっと式と答えが出ました。

時間も終わり近く、それまでにたっぷり頭を使った後だったので、何かおかしくなっていたのかもしれませんが、算数のセンスがある子が812人を座らせるのに椅子がいくついるかという問題で、割り切れなかったからかけ算をしてみるというのが何とも不思議でなりません。
算数のセンスがあるということと、算数に興味がある、算数が好きであるというのは、全く別物なのかもしれないなと、その子を見ていると時々感じます。

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2017年6月22日 (木)

子ども自身がわかるまで

元々は算数で大苦戦をして教室に来てくれるようになった子ですが、1年近くの間にかなりできることが増え、自分の頭でしっかりイメージして考えていることも伝わってくるようにもなって、随分成長したなと感じることも多くなりました。
その一方で、恐らくもともと持っている能力という意味では、ほかの得意なこと、好きなことに比べると、算数に関してはスローペースで数量感覚も身につくのに時間がかかるような印象はあるので、100を超えるような数になってくると、イメージするのが大変になり、計算で混乱するようなことが出てきました。

学校ではまだそこまでの計算はしていないので、焦って先に進む必要もありませんし、せっかくこれまでその子がコツコツ自分で理解して積み上げてきたことで、随分算数が好きになってくれた、そのことも大事にしたいので、前回全くイメージできず困っていた何千からの引き算を、今回はじっくりしてみることにしました。

まずは前回たまたまおかしかった可能性もあるので、紙に1000-1と式を書いて、答えがわかるか尋ねました。
しかしすんなりとはいかず、どうにか999と答えられたものの、2000-1になるとまたできなくなる状態でした。
ということは、たまたまおかしかったわけではなく、イメージできていない、理解できていないということだなと、教具を使って、それを触ったり、目で確かめたりしながら、答えを考えてもらうようにしました。

輪ゴムを外して枚数を数えてもらったり、なくなるところを隠してもらったりして、ひとつひとつ確かめて答えを書き、また確かめて答えを書きと、「何千-1桁」の問題を繰り返していたところ、途中から教具を見ずに式だけ見て答えが書けるようになりました。
途中でおかしくなっても、教具を見てもいいよと言うと何か思い出せるようになったようで、触ったり隠したりしなくても答えが出るようになりました。
その後、何千から2桁の数や3桁、4桁の数を引く筆算をしてもらったところ、随分考えられるようになりました。

筆算だと、一番上の位を1減らして、ほかの位は0が9になる、最後は10から引いた数が答えだというように、書き方を教えることはもちろん可能です。そして、それを何度も練習させることで、0が並んだ筆算のときにはこうするんだなと覚えて再現できるようにはなるかもしれません。
でも、それは本人が何をしているのか、どうしてそうすれば答えが出るのかを理解しているかどうかとはまた別の話です。

何をしているのか、どう考えるのかをひとつひとつ理解して進むことは、算数を嫌いにならないためにも本当に大事なことだと思いますし、また、それを積み重ねていくことで、算数が苦手な子であっても「本物の力」をつけていくこともできるように思います。
たとえスラスラ速く解けるようにならなくても、自分で考えてわかるものは大嫌いにはなりにくいようにも思いますし、これからの時代、単純計算のスピードより自分で考えられるかどうかの方がきっと大事になっていくと思いますので、ひとりひとりを大事に、その子のペースに合わせて進めていけたらなと思っています。

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2017年6月21日 (水)

考えない子に

教室に来てくれている子達の中に、これまで速く解くことに意識が向いて、じっくり考えることが苦手になっている子が、過去にもいましたし、最近も何人かいます。
そういう子達は、ぱっと読んだだけではわからないような問題に出合うと、しばしば「これ足すの?」などと、何の計算をすればいいのかを尋ねてきたりします。

そういうとき、私は大抵「さあ、どうやろね」などのようにはぐらかし、「たすと思うんならたしてみたら?でも、答えが合ってても違ってても、なんでなのか説明してもらうよ?」とか、「自分でこうやと思うことをしてみたらいいんじゃない?」とか言ってみます。

考えられない程度がひどい子の場合はそれだけでは本当にどうにもならないこともあるので、それはその子の様子を見ながら助けるところは助けますが、とにかく、自分で考えさせる。わからなければ式は書かなくてもいいから絵を描いたり何をしてでも答えを考えるよう促すなどしてみます。

ただ、これまでゆっくり時間をかけて考えるということをあまりしてこなかった子は、どうやって考えたらいいのか本当にわかっていないこともあるので、そういうときには問題を読みながら、時には身振り手振りも交えて、問題に書かれていることをイメージさせるようにします。(小さい子の場合は問題の登場人物をその子やその子の家族など身近なものに置き換えて問題を読んであげるのも効果があります。)

今週のあるレッスンで、3年生さんがちょっと面倒な文章題を読み終えたかどうかの段階で「これ足すの?」と聞いてきました。実はその問題は、一度の計算では終わらない上に、学年を考えると決して簡単ではない問題でした。
出てきた数を全て合わせてから割り算をするのですが、割り算も余りがあり、最終的な答えは余りの分を1切り上げるというものでした。

はなから考えていない様子だったので、「ちょっと想像してみてよ。読まなくなった本を集めて寄付するとかって、そういうことすることあるでしょ?まだしたことないかもしれないけど、小さい頃に読んでた絵本とか、もういらないけど捨てるのもったいないから寄付しようってことになって、班ごとに集めたのよ。で、集めた本を10冊ずつ箱に入れていくって、想像してみてよ。」そんな言い方をしてみました。

すると先ほどまでとは表情が変わり、班ごとの本の数を全部たした後、本の合計を10で割る式も書くことができました。そして、割り切れなかったあまりも書いて、最後はどうするかなと見ていたら、きちんと割り切れなかったあまりの本を入れる分、1箱増やして答えを書くこともできました。

じっくり考えたことがない子にただ「考えて」とか「よく考えて」とか言ったところで、どうすればいいかわからない場合があります。絵を描いてと言っても何を描けばいいかわからないこともあります。
だからといって、こう考えなさいとか、こういう風に描きなさいとか教えてしまうのは、結局子どもが考えたことにはなりません。やり方を真似た、覚えたということです。

絵を描いてと言っても手が全く動かない、考えてと言っても何をしていいかわからない、そういう子には、問題を読んであげながら、想像してねとか思い浮かべてねと言ってみるのもひとつの方法だと思います。

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2017年6月20日 (火)

「簡単なやり方」

子ども達とレッスンをしていると、時々子どもの口から「簡単なやりかた教えてもらった」とか「簡単にできる仕方知ってる」とかいうような言葉が出ることがあります。

教室では一人ひとりのペースを見ながら、無理がなければ学校の授業の進度などに合わせることはせず、どんどん先に進んでいくので、時には子どもにとってとても面倒なこと、時間がかかることをしてもらうときがあります。

例えば、まだ学校で九九を習っていない上に、教室では九九の暗唱はさせない。でもかけ算は考えたらできるという段階の子が2桁×1桁や3桁×1桁のかけ算を経て、2桁×2桁のかけ算を、まずは筆算のテクニックとしてではなく、足したり倍にしたり、のけたり、色々な方法を考えて解いてみてもらうことがあります。

九九を覚えていない状態でそれをするのは確かにとても面倒ですし、それをした後でいずれ筆算で解いてもらうのですが、2桁×2桁は大人でも何問もするのは面倒で、あまりやりたくないと思う方も少なくないでしょうし(私はできればあまりしたくないですし…。)お子さんが嫌がっていたら、筆算を教えて、こうやって計算したら答えが出るよと助け船を出してくださるというようなことがあるようです。

その際、どうしてそれで答えが出せるのかをお子さんが理解していればもちろんそれでも構わないのですが、上述のように「こうやったらできるらしい」というような感じで計算する子の多くは、位をずらして書くことを忘れていたり、どうしてその計算で答えが出るのかは説明できなかったりというようなことがあります。
やり方は習ったけど、意味は理解していないという状態です。

そして、その状態で答えが出せても、子どもは達成感や満足感を得ることは恐らくありませんし、多くの場合頭にも残りづらいものです。

たとえ面倒でも自分であれこれ考えて答えを出す。面倒だと何か工夫できないかなと感じる子もいるでしょうし、そう感じているときに「こんな方法もあるよ」などと工夫の仕方や考え方を言えば、興味を持って聞くかもしれません。
また、苦労して考えているうちに10回(10倍)だと一の位は必ず0になることに気づくかもしれませんし、だから筆算をしたときの下の段は一の位の0を書かない分ずれるんだなと理解できるかもしれません。

もちろん、苦労したことが後にうまくつながらない場合もあるかもしれませんが、自分で考えるより先にテクニックを教えるというのは、子どもの力にならないことが多いということを知っておいて頂けたらなと思います。

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2017年6月19日 (月)

この頃思うこと

恥ずかしながら、携帯電話をスマートホンに変えて以来、電車などの移動中も家にいても、すぐ手に取っては大して内容のない記事を次々と読んだり、ゲームをしたりするようになってしまい、読書量もやらなくてはいけないことをやる量もすっかり減ってしまいました。

パソコンやスマホ、ゲーム機などには中毒性があるというのは広く知られているところで、似たような悩みを持っている方や子ども達は少なくないのではと思いますが、自分自身、どうにかしなくてはという危機感を感じつつ、同時に気になり始めたことがあります。

ネット上に公開される様々な記事を見ていると、文法がおかしな文章なども少なくありませんが、例えば、タイトルや見出しなど、最も目にされる重要な部分に明らかな誤植、誤字があるようなものが結構あるのです。
個人のブログなどであればともかく、一応は企業として記事を公開しているようなところであってもです。

書き終わって読み直せば気づきそうなレベルの誤植なども(不要な文字が入りこんでいたり、変換がおかしくなっていたりというようなもの)少なくなく、本人が見落としたとしても、別の人が目を通したらさすがにチェックできるのでは?というようなお粗末な間違いが結構あるのです。

詳しくはわかりませんが、記事を書いた人の名前やプロフィールが公開されているようなものは、その記事を書くことで収入を得ているのではないかと思いますし、仮にそうなのだとしたら、あまりにお粗末だよなぁと、そういう間違いやミスを見るたび思います。

しかし、思って見れば、私自身も以前はこんな拙いブログでも、書いたら必ず全部を読み直して、誤字や文法的におかしなところはないかなど確認してから公開していたのが、いつの間にかとりあえず打ち終えたら、かなりアバウトに目を通し、まあ大丈夫だろうと公開してしまうことが多くなっていることに気づきました。

なんというか、インターネットでの情報伝達スピードがあまりに早く、例えば本を書くとなれば下書きをし、推敲をし、清書をし、編集者や校正者が再度確認をし、多くの手間と時間、人の目と手を使って、ようやく1冊の本が出来上がるというのが一般的なのではないかと思いますが、それに比べると、たった今何か事件が起こったら、その数分後にはニュースとして全世界に発信できる。ニュース記事、ブログ記事その他が、いつの間にか消耗品というか、使い捨てというか、「鮮度」の落ちるスピードが異常なまでに速くなっているように感じました。

どんどん消費されていくものに対して丁寧に時間をかけて書き上げるのは理屈に合わないとか、どんどん出さないと情報として古くなってしまうから、内容を吟味するよりスピードが命とか、なんだかそういう方向へ世の中が移っていっているような気がします。

気づけば私自身も相当その状態に毒されているような気がして、あまりインターネットなどを見ない、本や新聞をよく読まれる、そんな方のゆったりとした時間の流れというか、時間を大切に使っているというか、日々を丁寧に暮らしているというか…そんな方達の暮らしは素敵だなと感じています。

かなりいい歳をした大人の私でさえスマホによってここまで影響を受けているのですから、子ども達にスマホやゲーム機を与えるときは本当に覚悟のようなものが必要なのではないかと思います。
今日も電車に乗っていたところ、小学生と思われる子がスマホらしきものでレーシングゲームをしながら、両手でスマホを握り、目は画面にくぎ付け状態で全く前や足元を見るでもなく、電車に乗り込んできました。親や大人が一緒にいるのであれば注意を促すこともできるかもしれませんが、その子はひとりでしたので、例えば電車の乗るとき足元を見ておらずに電車とホームの間に落ちるなんてこともあり得るなと、ちょっとぞっとしました。

まずは少しずつでもスマホを触る時間をへらし、もっと日々を大切に暮らしていきたいなと、そんなことを思っています。(教育にあまり関係のないお話で申し訳ありません。)

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2017年6月18日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

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«きっとほんとは難しくないのに。