2007年9月24日 (月)

「算数ができる頭になるトレーニング・プリント」 栗田哲也著

恐らく1年以上前に購入したのではと思いますが、ひと通り解いてみてからご紹介しようかなと思ってそのままになり、今もまだ半分ちょっとしか目を通せていないのですが、読み終えた本は教室に置いて帰ってきてしまい、手持ちの本は全て読みかけ。今日は教室に出ませんので、こちらをご紹介させて頂きます。

「算数ができる頭になるトレーニング・プリント 工夫と感動のプログラム42

栗田哲也著 PHP研究所

評価 ★★★☆

栗田先生の本は以前にご紹介したことがありますが、こちらは小学校高学年の子ども向けに書かれた本のようです。

「トレーニング・プリント」と書かれていますがB5版のサイズの本で、プリントのように切り取ったりして1枚ずつ使えるようなものにはなっていません。

表紙にはこう書かれています。

「あ、こうすれば解ける!」と気づく、
算数・数学のセンスそのものを育てます。

国際数学オリンピックのメダリストを何人も育てたプロ講師による画期的問題集。

構成はというと、見開き2ページで1つのテーマが全部で42あり、導入部分と問題部分があります。それぞれの問題の解答・解説は後ろに全てまとめてあり、詳しく丁寧な解答・解説になっています。

また、それぞれの問題がいわゆる中学入試問題などで見かけそうな、結構骨のある問題ばかりで、問題によっては公立中学の子どもたちでも解けないかもというようなものもかなりあります。

私は悪い本ではないとは思うのですが、実際に小学生が使うということを考えた場合、左ページは問題を考えるための前ふりのようなことが書かれており、右にそれに関する問題が。しかし、書き込みできるようにはなっていないため、別にノートなどを用意して、問題集のように使うという感じになるのだろうと思います。

また、自分で考えてみようという割には、問題によっては前ふりの部分でやり方を書いてしまっているものもあり、その場合はその通りにやってみると答えが出てしまうというもの足りなさのようなものも少し感じます。
ただ、大半がかなり難易度の高い問題ですので、受験を考えていないような小学生だと、これを読んで自分で解くことができるのか、ちょっと判断がつきません。

もともと、これを買ってみた理由のひとつは、うちの高学年スーパー君・スーパーちゃんたちに使えるかな?と思ってだったのですが、彼らに使うとすれば、問題部分だけでいいようにも思いますし、一般のご家庭で自学教材として使うとすれば、もともと算数に興味のある子、算数がかなり得意な子でないとキビシイのではないかとも感じます。

問題自体はパズル的なものや地道に作業を繰り返せば解けなくはないものなどもありますので、既存の問題集などでは物足りないというようなお子さんなら取り組んでみられてもいいのかしら?というような印象です。

どういう方にお勧めなのか、今回もちょっと判断が微妙なところです。

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2007年7月26日 (木)

「伸びる子の法則」 森山真有著

これもネット書店の紹介で目に留まり、こういう類の本もかなり読んだよなぁ・・・と思いつつも、レビューで褒めている人もいたので、やっぱり読んでみることにしました。

「伸びる子の法則 自ら学ぶ習慣が身につく学習法 

森山真有著 PHP研究所

評価 ★★★★

著者である森山氏は株式会社トライグループの副社長だそうです。トライグループといえば皆さんご存知の「家庭教師のトライ」。その副社長が書かれた本。
帯には「73万人の子どもの夢をかなえてきた『家庭教師のトライ』が初めてノウハウを語る。才能を伸ばし、可能性をひらく秘訣とは?」と書かれています。

73万人の子どもの「夢をかなえてきた」という表現には若干抵抗がありますが、書かれている内容自体は概ね共感できることが多かったように思います。

これまでに色々な学習法などの本を読んでこられた方には目新しさはないようにも思いますが、そういうものをまだあまり読まれていない方であれば、十分参考になることも多いのではと思います。

9章からなっており、それぞれが以下のようなタイトルになっています。

トライ1 勉強は最良の投資
トライ2 伸びる子の育て方
トライ3 子どもの「やる気」を引き出す方法
トライ4 伸びる子の親になる!
トライ5 伸びる子になる頭の鍛え方
トライ6 伸びる子はここが違う
トライ7 伸びる子はちょっとした工夫を大切にする
トライ8 使える!実践的学習法
トライ9 実例・あなたの子どもは必ず伸びる!

内容はとても読みやすく、早い方なら1時間ほどで読んでしまわれるのではと思うほどです。(速読できる方は別として・・・)
また、ところどころにコラムがあるのですが、著者の少年時代のご経験が書かれているところが印象に残りました。

著者は中国に関することがお好きだそうですが、そのきっかけは小学1年生の頃に読んだ故事成語の本だったそうです。
もともとかなり難しい本だったそうですが、表紙の絵がかっこいいと気に入って、お母さまの反対を押し切って買ってもらったそうです。
それを見たおじいさまが「面白そうだからちょっと貸してくれよ」と、森山氏より先に読み始められたのを見て、「やっぱり面白いのか」と思われたそうです。
そうして、難しいなりに辞書を調べたり、おじいさまに教えてもらったりしながら読み終え、また関連した別の本を・・・と読み進めていかれたとか。

また、野球にも興味があった著者は、図書館で野球に関する本を借りた際、シリーズ全部を買ってというのを躊躇われ、返す前に本の内容を丁寧にノートにまとめることにされたそうです。
後で見てよくわかるように工夫してまとめるということを意識して進められたそうですが、それが後の「学力の源になっていったのだと思います」と書いておられます。

子どもの頃に興味を持ったことをとことんやらせるのが後の学習に役立つということは他の先生方も言っておられますが、ご自身の経験を元に書かれているので、より説得力を感じました。(因みに著者は京大経済学部ご出身)

また、仮に子どもに役に立つと思うものでも、何でもすぐに買い与えることがいい訳ではないのかもしれないなと、そんなことも改めて感じました。
もし、著者のおうちの方が興味を持っているんだったらと、シリーズ全部をあっさり買い与えていたら、工夫してノートにまとめることもなかったかもしれませんから。

印象としては主に小学校高学年以上のお子さんに参考になりそうな印象です。
すぐに読めますので、ご興味のある方はどうぞ。

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2007年6月25日 (月)

「奇跡と呼ばれた学校」 荒瀬克己著

先日、都麦さんのメルマガで日経ビジネスの話題が出ていて、ちょっと気になったので、普段は読むことのない日経ビジネスを購入。
その中の特集記事に、京都堀川高校のことが紹介されていて、興味を引かれたため、読んでみることにしました。

「奇跡と呼ばれた学校 国公立大合格者30倍のひみつ

荒瀬克己著 朝日新聞社出版社

評価 ★★★★

日経ビジネスを読んだところ、京都の公立高校である堀川高校が2001年には国公立大合格者が6人だったのが、2005年には180人と30倍になったということ、その授業内容などがかいつまんで紹介されていました。
一体どんな改革をしたのかが気になって、早速こちらを購入。期待しつつ読んでみました。

生まれてから神戸を出たことのない私は他府県のことはほぼ全く知りません。
京都にもどれだけの学校があって、どんな選抜方法で・・・ということも全く知りませんでした。

著者である荒瀬克己先生が校長を務める京都の堀川高校は、95年に立ち上がった「京都市立高等学校21世紀構想委員会」の答申で、京都市立高校改革のパイロット校になったそうです。

その後、99年にいよいよ新しい堀川高校がスタートし、このときの1年生が卒業する年、前年には6人だった国公立合格者がいきなり106人になったそうです。(既に20倍近いですね。)

それまでの京都の公立入試は戦後、総合選抜で行われてきたものが85年に改革があり、その頃から人気校、不人気校の格差が生まれ始め、更に、「公立はあかん」と、大学受験するなら私立だという風潮もできあがっていっていたようです。

そこで立ち上がったのが上述の委員会。荒瀬校長ご自身、この会の委員として尽力されたようです。

その後、様々な議論が重ねられ、堀川高校はそれまでの普通科のほかに「人間探求科」と「自然探求科」を新設、新たなスタートを切ったようですが、どんな取り組みをしたか、どんな変化があったかなどが綴られています。

私は単純なので、もし私が中学生のときに京都に住んでいて、この学校の存在を知ったら、多分ここを受けたいと言っていただろうなと思いながら読みました。
荒瀬校長のことは、今回まで全く存じ上げませんでしたが、書かれている教育論、価値観など、とても多くの部分で共感でき、この方が校長を務めておられるのであれば、その元に集う子どもたちは幸せだなと思いました。(もちろん、校長のお考えが全教職員に伝わっていればということになるかもしれませんが。)

高校に関することが書かれているのですが、最後の第5章は「若者たちの巣箱-校長アラセはこう考える」と題されて、荒瀬校長の思いが綴られています。
この章は特に、小さいお子さんをお持ちの方でも大いに参考になるのではと感じることが多かったです。
一部引用しますと・・・

 言葉は、人が成長していく上で何よりも大切なものです。しかも、いい言葉、正しい言葉を浴びて育っているかどうかは、大きな問題です。
 しかし、その大事な言葉が本当に大切にされているだろうか。残念ながら、そうとは言えない状態があります。いい言葉を浴びていない子どもの中に、いい言葉が育つはずはありません。
 高校生たちを見ていると、右手の親指一本で、見事なスピードでメールを打っています。携帯メールは、語尾を言わなくても通じたり、単語だけで会話をしたり、さらに言えば絵文字だけでも通じてしまう便利な道具です。時代によって言葉のあり方は変わるので、それもひとつの表現手段と思えば、何も心配することはないのかもしれません。しかしながら、丹念に言葉をつむぐことが必要な時期に、そのことから若者を遠ざけてしまってはいないでしょうか。(後略)

 知識や経験を得られる場所は、学校や教室の中だけではありません。さまざまな体験、特に自然の中での遊びの体験は、子どもたちにとって大きな学びのチャンスです。身体を使って失敗や成功を繰り返しながら、知識を活用する経験を重ねるという、大切な時間と場所を得ていきます。
 しかし最近は、「遊ぶ」ことを本当に体験している子どもたちが、減っているのではないかということをつくづく思います。(中略)
しかし、野外で遊んだり、友達とちょっと遠くまで冒険してみたり、そういったことを通しての学びは、教室で学ぶこととはまた違った重みがあります。(中略)
 そんなふうに、自然の中でさまざまな体験をすることによって、子どもたちは脳に刺激を受け、忘れることのない言葉を覚えます。(中略)
夕日を見る、自然体験をする、そこから滋養のある言葉が生まれます。

そのほか、「おばあちゃん子が成功する!?」や「意識した理不尽も必要」「手を使う、手で考える」など、興味深いこと、大いに共感することが書かれています。

新書でお手頃ですし、ご興味のある方は是非どうぞ。

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2007年6月21日 (木)

「ひとりで、できた!」 池田政純・池田則子著

またまた「モンテッソーリ」関連書籍を読んでみました。
読めば読むほど、もっと知りたくなってきますね。

「ひとりで、できた! 子どもは手を使いながら一人立ちする

相良敦子監修 池田政純・池田則子著 サンマーク出版

評価 ★★★★☆

相良先生の本は既に何冊か読みましたが、今回は相良先生が監修され、京都で「くすのき保育園」をしておられる、池田政純先生、池田則子先生が書かれた1冊です。

帯に少し小さな字でこう書かれています。

保育園の先生たちが考えた、
「モンテッソーリ流」
教具の作り方と活用のヒント。

ここからもわかるように、本書では実際の教具が写真つきで沢山紹介されています。
6章構成になっており、それぞれの章のタイトルは以下のようになっています。

第1章 子どもは幸せになるよう、創られている
第2章 「敏感期」は、自然がくれた成長のためのチャンス
第3章 子どもたちの、心の声 -「くすのき保育園」の日常から-
第4章 遊具作りのポイントと活動をサポートするコツ
第5章 基本の動きを楽しくマスター 家庭で作れるアイディア遊具
第6章 動きながら自分磨き 感性や知性を高める遊具

第1章から第4章までは主に読み物、第5、6章は主に教具(遊具)の作り方とその遊具の効果などが書かれています。

とても大切なこと、素敵なことがたくさん書かれていますが、一部引用してご紹介します。

第1章より

 幼児期は、人間のハードウエアにも相当する感覚器官や運動器官、そして脳を完成しなければならない時期です。だから、この時期の子どもの周囲には、「感覚器官を洗練することのできるもの」「運動器官を洗練したり鍛えたりすることのできるもの」を豊かに準備してやることや、脳をよく使うことのできる経験をたくさんさせてあげることが大切です。
 感覚器官や運動器官がすでにできあがってしまったおとなが、おとなの価値観で「良い」と思ったものは、必ずしも子どもにとって価値があるとは限りません。
 たとえば、この時期の子どもは一生のうちでこの時期一回きりというほどに全力投球で体を動かしたいのです。
 ところが、都市化された現代社会には、子どもが思う存分に体を動かせるスペースがありません。外から家の中に追いこまれた子どもたちを待っているものは、テレビやビデオ、そしてゲームやパソコンです。
 視覚だけしか使わない、しかも平面の電子画面しか見ないという悪条件に加えて、早期教育のビデオの前に座らせれば意義があると思いこんでいるおとなのせいで、子どもたちのメディア漬けは恒常化してきました。
 その結果は、「新しい荒れ」といわれる、子どものさまざまな問題を生み出しています。(後略)

第2章より(「敏感期」に関する内容から一部引用)

 30年近くもの間、現場で0歳児の赤ちゃんから6歳ごろまでの子どもをたくさん見てきていますと、子どもの動きがどう変化し、体や心はどんなふうに発達するのか、知性がどのように芽生えだすのか、そのときどきで子どもは何に興味をもつのか、という一連の流れがくっきり浮かびあがるように見えてきます。

第3章より

 子どもはおとなが考える以上に、本質を見抜いたり、美しいものに対して敏感な感性をもっています。ごてごて飾りつけたものより、シンプルだけど機能美にあふれるものを好むのです。
 教具も、要素が一つだけのわかりやすいものが好きなのはそのせいです。また、清潔ですっきり整理整とんされた室内にいると、気持ちが落ちつくようです。子どもを取り巻く環境が、おとなの勝手な思いこみで"子どもだまし"にならないよう、注意してください。

第4章では、遊具作りのポイントと子どもの活動をサポートするコツがわかりやすくまとめられています。

第5章では、押す・引く・開ける・閉める・貼る・はがす・・・などの基本の動きをマスターするために有効な遊具とその作り方の紹介がされており、見ていても楽しくなります。
ただ、これらを一般のご家庭で全て作るのは、手間的にもスペース的にもちょっとキビシイのでは?と思うところもあります。ご近所のお友だちなどと手分けして、あの子のおうちではこれとこれ、この子のおうちではこれとこれ・・・という風にできるなら、より有効に色々なものを使えるのかもなぁと思ったり。

第6章では、「折る・切る・貼る・縫う」という指先運動に関する教材などが色々紹介されており、こちらは第5章ほど大掛かりではないものも多いです。(第5章より高度な能力になるのかと思います。)

見れば見るほど、いいなぁ、幼児期にこれがやれたらなぁ・・・と思ってしまうのですが、現状、私の教室でこれだけのものを準備するには、まだまだ勉強しなくてはいけないことも、準備しなくてはいけないものも、クリアしなくてはならない問題もあまりにも多すぎて、部分的に参考にしたり、指導の際に心がけたりという風にしかやれそうにありませんが、こういうことをしっかり堪能して育った子どもは、恐らく心の安定した賢い子になるに違いないと感じています。

幼児のおうちの方は一度読んでみられてはと思う1冊です。

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2007年6月 4日 (月)

「公立炎上」 上田小次郎著

先月か先々月かに書店に寄ったとき、なんともショッキングなタイトルが目に飛び込んできました。
間違いなく「楽しい本」ではないだろうと思いながらも読んでみることにしたのですが・・・。

「公立炎上」 上田小次郎著 光文社

評価 ★★★

もともと、楽しい本ではないとは思っていたものの、読みながらどんどんげんなりしてしまい、途中で読むのをやめようかと思ったほどだった。

著者の上田氏は「明治大学文学部卒、現役の高校教師。公立高校3校で実質7年間教壇に立つ。」との紹介がされている。
この本が出版された時点では休職中とのことで、自らを「私は学校の『寄生虫』だ!」と表現しておられる。

この本は、先日ご紹介した「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」 と同じ出版社のペーパーバックスなのですが、あちらを読んだときには気にならなかったものの(現在貸し出し中で表記がどうなっていたか確認できないが)、このペーパーバックスの特徴のひとつとして、
「4、英語(あるいは他の外国語)混じりの「4重表記」」
と書かれており、その説明として
「これまでの日本語は世界でも類を見ない「3重表記」(ひらがな、カタカナ、漢字)の言葉でした。この特性を生かして、本書は、英語(あるいは他の外国語)をそのまま取り入れた「4重表記」で書かれています。」
となっているのだが、今回の著書に関しては、その英語がやたらと目障りに感じた。

というのも、よくわからない使われ方で、例えばごく一部を引用すると・・・

 私は7年間、首都圏の公立高校で教壇platformに立っていた。
 言うまでもないが、教師に・・・(中略)燃えていた。
 だが、(中略)打ち砕かれた。
 はじめに赴任した公立高校public schoolは、典型的な・・・(後略)。

こんな調子で1文の途中に唐突に英単語が登場し、かと思えば1文にひとつも登場しないこともあり、名詞のみを英語表記にしているわけでもなければ、カタカナ言葉を英語表記にしているのでもなく・・・。
一体どういう基準で英語表記を取り入れているのか、これにどういう意味や効果があるのかが私にはよくわからない。(英語が苦手な私は、途中途中で文を遮られるような気分になり、ちょっとイライラ・・・。)

そんな、内容とは無関係のところでイライラを感じつつ読むには、あまりにもストレスの多い内容で、読み終わった後にも重苦しい空気に包まれているような気分になる。

5章からなっているのだが、章のタイトルを紹介するだけでも憂鬱に。。。

第1章 学校も家庭も炎上中
第2章 腐臭職員室
第3章 学校は格差社会
第4章 ゆとり教育の誤解
第5章 エリートだけは救え!

確かに、現場の先生でなければわからないのだろうなということも書かれているし、実際にここに書かれているような問題教師や問題のある保護者、生徒というのは存在するだろうとは思う。(色々な問題の例が細かく紹介されている。)

ただ、裏表紙にこんなことが書かれているのでまずお読み頂きたい。

 今の公立校には、真剣に教育を考えている教師などいない。彼らはただ、給料と将来の安定にしがみついている学校の寄生虫parasiteである。そして、私もまた、そんな1人になってしまった。かつては教育に対する熱意enthusiasmを持っていた教師たちでも、教育現場で過ごすうちに、教育どころの話ではなくなってしまうのだ。
 7年間の教員生活の中で私が出会ったのは、生活費をもらえずにキャバクラで働く生徒、理解不能のクレームをつけてくる親、生徒を殺したいという教師たちだった。こんな悲惨な日常の中で、教師たちは壊れていく。
 学校・教師がなぜ、こんなことになってしまったのか?なぜ私は寄生虫にまで成り下がってしまったのか?それを知りたくて、私は100人を超える教育関係者に取材した。
 私は本書で、教育論my own views on educationを語るつもりは全くない。私の経験や取材で感じた今の教育現場の実状realityを知ってもらえばそれで十分だ。そうすれば、あなたの子供を公立校に行かせようなどとは到底思えないはずだからである。

先程も書いたが、この本に書かれているような事例は実際に存在するだろう。著者がでっち上げたとは思わない。
ただ、「100人」を超える「教育関係者」というのは、公立校が機能不全に陥っており、現場には真剣に子供と向き合っている教師などいないと述べるに十分な人数とは到底思えない。

もちろん、最近何かと話題に上る「給食費未納」の問題や、どう考えても我が子の方が悪いのに学校や教師に怒りをぶつける保護者が存在するのは事実だろう。昔に比べて、理不尽なことを言う親が増えたということも否定はしない。

ただ、それでもやはり常識的な保護者、素晴らしい保護者はたくさん存在するに違いないし、非常識な方が多数派になれば、もうそれが問題視されることすらなくなるような気がする。(非常識が「常識」になるのだから。)

そして、何より絶対に、子ども達に真剣に向き合っている先生方は数え切れないほどおられるはずである。
もちろん、向き合いたいのに時間が足りないとか、ほかの雑事が多すぎるとかいうことはあるだろう。しかし、だからといって子どものことをどうでもいいと思っている先生はまだ絶対に少数派だと信じたい。(こればっかりは現場に入らなければわからないことも多いと思うので。)

個人的には4章や5章で書かれていることの中には、興味を引かれるものもあったし、私は知らなかったことや誤解していたことなども書かれていて参考にもなった。

ただ、全般にあまりに極端な意見に偏りすぎていて、これを読んでも拒否反応を示す方の方が圧倒的に多いのではないかと感じる。
もしこの本で問題提起をしたいであるとか、何かを変えたいであるとかお考えだったのであれば、もう少し別な切り口、提示の仕方もあったのではないだろうかと思えてならない。

私自身は学校というところに縁がなくなって久しいし、子どももいないため直接学校に訪れる機会もなく、判断する材料は報道と、あとは教室に来てくれている子ども達や親御さんからのお話しかないわけだが、実際にお話を聞く限りではこの本のようなすごい状態になっているところは身近にはまだない。
それだけに共感もできなかったし、著者は誰をターゲットに何を訴えたかったのか(どうやら、子を持つ親御さんに、お子さんを公立校には入れるなということが言いたかったようだが)今ひとつつかめないままだった。

個人的には、現場の先生方や、実際に公立の小中高に通うお子さんをお持ちの親御さんがこれを読んでどう感じられるのか、聞かせて頂きたい気がする。

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2007年5月24日 (木)

「そのオモチャ、本当に買ってあげていいの?」 ガリー・バフォン著 

書店に行くとついつい買い込んでしまうため、最近は極力ネット書店利用なのですが(届けてくれるから重くもないし)、子ども達の本は中を見ずに買うのは難しく、取り扱いもまだ限られているので、そういうときについつい他の棚も覗いてしまいます。

そのとき目に留まった1冊がこちら。
なんとも心にひっかかるタイトルだと思いませんか?

「そのオモチャ、本当に買ってあげていいの?」 

ガリー・バフォン著  遠藤 公美恵 訳  

ディスカヴァー・トゥエンティワン

評価 ★★★★★ (私にとってはかなり興味深かった。)

著者であるガリー・バフォン氏は著者紹介によると、臨床心理学者であり、裕福な家庭特有の「心の問題」を扱う第一人者となっています。
実際、この本自体もアメリカの上流階級に属している親向けに書かれているそうで、内容としては日々の生活には全く困らないだけの資産がある、経済的に成功した親が子どもにどう接するべきかという形で書かれています。

更に、アメリカを基準に書かれた本ですので、普段の私であれば、国も違う上、私自身を取り巻く環境とも無縁の層に対するものであり、読もうとさえ思わないはずなのですが、これは違いました。

アメリカではこういうことが上流階級のみで問題になっているのかもしれませんが、本書で扱われている「シルバースプーン症候群」と呼ばれる症状は日本の多くの子ども達にも共通する症状が出ているのでは?と、読めば読むほど感じました。

そもそも「シルバースプーン症候群」というものがなんなのか。
私自身、この本を手に取るまで聞いたことのなかった言葉ですが、本書によると「豊かさが子どもにもたらす弊害と、それによって引き起こされるさまざまな症状」のことをそう呼んでいるようです。

ちなみに、本の表紙を開くと、こんなことが書かれています。

あなたは、こんなふうに思っていませんか?
!「子どもには、自分たちがもてなかったものを与えてやりたい」
!「子どもに好かれたい」
!「すばらしい子ども時代を与えてやりたい」
!「お金の苦労をさせるのはしのびない」
!「ちゃんとお金がすべてではないと教えているから大丈夫」
その思い込みが、子どもをダメにする!

ここだけ読んだら、どういうこと?という感じかもしれませんが、お子さんを持つ親御さんでここに挙げられていることの多くに頷かれる方は、是非一度読んでみられてはと思います。

本書は前書きと後書き他10章から成っており、それぞれの章のタイトルは以下のようになっています。

はじめに お金があれば幸せになれる?
第1章  「シルバースプーン症候群」ってなんだろう?
第2章  忙しい親がおかす五つのあやまり
第3章  処方箋① 必要以上にモノを与えない
第4章  処方箋② モノではなく愛情を与える
第5章  処方箋③ 努力して手に入れさせる
第6章  処方箋④ 金銭管理のスキルを身につけさせる
第7章  処方箋⑤ 親が身をもって示す
第8章  お坊ちゃま、お嬢ちゃま病を予防する(3~12歳)
第9章  反抗期を乗り越える(13~20歳)
第10章 一人前の大人として旅立たせる(20~30代)
おわりに 子どもに本当に遺したいものは?

更に、症候群の診断テストが全部で7つ載っており、現在の我が子の状況を簡易診断できるようにもなっています。

因みに、「シルバースプーン症候群」の診断テストでは以下の5つの質問が挙げられています。

① お子さんは、何事につけやる気がなく、本来の能力を発揮できていないようですか?
② お子さんは、自分の思いどおりにならないとかんしゃくを起こしますか?
③ お子さんは、欲しいものは何でも努力せずに手に入れられると思っていますか?
④ お子さんは、お金をきちんと管理するのに必要な知識やスキルが欠けていると思われますか?
⑤ お子さんは、流行最先端のおもちゃやブランド物の服、ステータスシンボルになるような車をもっていないと、自信がもてませんか?

この本自体、幼い子だけでなく、親にとっての子ども、それこそ、成人して社会に出て独り立ちするまでのことについて書かれているため、小さいお子さんをお持ちの方だと上の5つのうち殆ど当てはまらないと思われる方も多いかもしれません。

ただ、内容的には読めば絶対共感したり、子どもへの接し方を振り返ったりするきっかけを得たりされる方が多いのではないかと思いました。

「努力せずに手に入る」「与えられることが当たり前である」
これらは、少子化が進み、「6ポケッツ」という言葉まで使われるようになった現代の多くの子ども達には決して珍しいことではないように思います。(もちろん、私自身、「裕福な家庭」とは言えませんでしたが、実家を離れるまでは生活の全てを親が面倒を見てくれて、大学の学費を出してもらうのも当たり前のことのように思っていましたので、自分は違うというつもりはありません。)

しかし、それに慣れ切って育つことで、目標が見つからないであるとか、何事に対しても真剣になれないであるとか、人をお金のあるなしで判断するであるとかいった人間に成長していく危険性をこの本では教えてくれているように感じます。

最後に訳者である遠藤氏が書いておられることから一部を引用します。

 もたざることに苦しんだ世代。より多くもつことを目指してきた世代。もっていることを当たり前だと思っている世代――そしてついに、もっていることに毒され、苦しむ世代が登場している。常にアメリカの後追いで社会現象が生じる日本においても、これはけっして対岸の火事ではない。本書が想定する読者は世帯年収が十万ドル以上――日本の共働き夫婦であれば、ごく普通に達成できる金額だ。
 しかも、たとえそれほど収入がなくても、子に不自由な思いをさせまい、引け目を感じさせまいと、親は無理をしてでも子どもの欲求をかなえてやろうとする。「人並み」であることを重視する日本人はその典型で、本書の警告やアドバイスは、だれしも思い当たる節があるのではないだろうか。遊びに連れて行ってあげなければ、自分の部屋を用意してあげなければ、携帯電話をもたせてあげなければ、私立の学校に行かせてあげなければ、「子どもがかわいそう」。しかし、本当にそうなのだろうか?
 あなたも、自分自身に問いかけてみてほしい。
「そのオモチャ、本当に買ってあげていいの?」

長い引用になりましたが、遠藤氏の言葉に何か感じられた方は是非ご一読をお勧めします。

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2007年5月17日 (木)

「塾は学校を超えられるか」 八杉晴実著

3月だったでしょうか。突然、ある大御所先生経由でとある塾長さんからご連絡を頂き、遥々こちらまでお尋ね頂きました。
その後、色々教えて頂いているのですが、この本もその先生が「是非読んでみてほしい」と紹介してくださったものです。

「塾は学校を超えられるか」 八杉晴実著 三一書房

評価 ★★★★★ (役に立つということはないかもしれませんが、大好き。)

実は、紹介して頂くまで八杉先生という方のことは全く存じ上げませんでした。
おまけに、本を書かれた年代が主に1980~90年代で、古い本は書店にもあまり並んでいませんし、ネット書店でもなかなか購入するきっかけもなく、ご紹介頂かなければ絶対読むことはなかっただろうと思います。

更に、古い本なので、既に絶版になっていたり、売り切れになってしまっていたりというものが多く、こちらもアマゾンで注文して2ヶ月近く待たされた末、ようやく手元に届いたのでした。

しかし・・・新品を注文したはずなのに、既に薄汚れているような表紙。おまけに、表紙を開くといきなり数ページ折れている・・・。更に、かなり小さい文字でびっしりと書かれたその本は、開いた途端一瞬読む気が失せました。(苦笑)

待ちに待った末ようやく届いたけど、字が小さすぎて私には・・・ということをご紹介くださった先生にお知らせすると、できれば最初のところだけでもいいからまず読んでみてください、私の大好きなところなのですとのお返事が。

というわけで、(くぅ~っ、辛い・・・)と思って読み始めたはずだったのですが、不思議なものです、全然辛くないのです。
もちろん、文字数が多いのでページはなかなか進まず、読むのに時間はかかりましたが、先日ご紹介したモンテッソーリの本などとは全く違い(文字の大きさ的にはそれより小さいかもというぐらいでしたが)、す~っと心に入ってくる感じがするのです。

大変残念なことに、八杉先生は既にお亡くなりになられたそうですが、もしもご健在なら是非お目にかかりたい!とこの本を読んで、強く感じました。

初めに書かれたのが1983年、その後、増補新版として1989年に再出版されたようですが、増補版も初めの4章は1983年のまま変えなかったと書かれていますので、今からかれこれ25年近く前のお話です。(書かれるのに1年2ヶ月かかったと書いておられるので、執筆開始は25年以上前ですね。)

校内暴力などで学校が荒れていた時代でもあり、書かれている内容自体を今すぐ参考にして何か役立つということはあまりないかもしれません。
ただ、私としては大いに感動し、大いに共感もし、また、自分の中でこれまで当たり前のこととして疑問にすら感じていなかった部分に気づかせてもらったりもし、とにかくこの本に出会ってよかったなと思っています。

とは言っても、一度ざっと読み通しただけですので、いずれまた読み返したいとも思っています。

本の紹介がかなり遅れましたが、八杉先生は東京の練馬区で長年、地域密着の私塾をしてこられた方だそうです。
本の初め、ご紹介くださった先生が、是非読んでほしいとおっしゃった「チヨさん」というおとしよりとのやりとりが書かれているのですが、14ページに渡って書かれているこの内容は、すごくすごく大事なことを教えてくれているように思います。

簡単に手に入る本ではなくなっているようですので、ちょっとご紹介しますと・・・。

 六月の中頃でした。見知らぬ方から一通の手紙を戴きました。
 入塾を希望されているようですが、だれの入塾希望なのかはっきりわかりませんでした。幸い、電話番号が記されてありましたから、電話をしてみました。おとしよりらしい女性が出て、とにかく会って話したい、というので、道順をお教えしました。その方は三十分ほどでおいでになりました。
「どうしても先生に教わりたいんです」
そう言って、じーっとぼくの顔をうかがうのです。
 この女性、名前は金井チヨさん。大正六年三月一日生まれ。六十四歳でした。(中略)

全部紹介したいのですが、長くなりすぎますので、ちょっと端折って説明を。
このチヨさんは小さい頃、家庭の事情で小学校も満足に終了しておられず、今になって中学ぐらいの学力は身につけたいと、中学の通信教育に挑戦されます。
しかし、通信ではやはり難しく、理解できないのに学年だけ上がっていくことに悩み、近くの学習塾に通ってみたそうですが、そこで「おいてけぼり」になってしまったと。
その後、知人の紹介で八杉先生の塾を知り、尋ねてこられたそうです。
事情を伺い、「どうぞ、ぼくでよかったら」と。そして・・・。

 そうしたら、チヨさん、涙を流さんばかりに、いや、ほんとに涙を浮かべていらっしゃいましたが、
「ありがとうございます。ありがとうございます」
と何度も念仏を唱えるように言われました。

そして、チヨさんとの授業が始まるのですが・・・。

「オバアちゃん、なんで勉強するの」
と言う子もいましたし、
「あの年で英語を勉強してどうしようっていうんだろう」
という中学生もいました。ところが、ご当人は至って淡々としたもので、
「知りたいからですよ」
「だって、わかって、できると楽しいでしょう」
などといってニコニコしています。子どもたちはフーンという顔をしていました。
 六十四歳になって、卒業証書が欲しいわけでもないし、就職するために学力をつけるという目的があるわけでもない。そういう"何の為に"という何かの手段としての勉強ではないとわかった時、子どもたちはそれぞれに考えたと思います。"勉強って何だろう"って――。(後略)

なんだか考えさせられませんか?
そして、この他にも、学校って何だろう・・・。塾は何をすべきなんだろう・・・。そういうことをイヤでも考えさせられる内容がぎっしりと詰まっています。

子どもに関わる大人には是非読んでみて頂きたい。
そう思う1冊です。

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2007年5月14日 (月)

「モンテッソーリの教育 〇歳~六歳まで」 M・モンテッソーリ著

モンテッソーリについてもっと知りたくて、相良先生の本はとても素敵で読みやすいのですが、それだけ読んでいては偏ってしまうのかな?と、ちょっと古そうな本を1冊とりあえず注文してみました。しかし・・・。

「モンテッソーリの教育 〇歳~六歳まで」 

M・モンテッソーリ著 吉本二郎・林信二郎訳 あすなろ書房

評価 ★★★☆ (私にはかなり読みづらかった・・・)

1982年に出版されたこの本は、1946年にマリア・モンテッソーリが書いた“Education for a New World”の全訳とのことで、書かれたのが60年以上前、訳されたのも25年も前であり、文字が小さく、また表現も難しく、私には読みきるのっが非常に困難でした。
(年代だけでなく、ただ単にもともと私が難しい本が苦手ということも大きな原因だと思いますが・・・。(苦笑))

また、訳者のお一人の林氏がおわりに解説で述べておられるのですが、これも読みづらかった理由のひとつなのかもしれません。(以下引用)

 本書を一読してもわかることであるが、その随所に示唆に富むものを多く含みながら、それを全体のまとまりとしてとらえようとするとき、少なからず困難をおぼえるものがある。これは、本書もそうであるが、その著作の大部分が講演の書きおろしであること、また、著者が女性であることもあって(←ここは私としてはわかるようなわからないような・・・。今の時代にこれを書いたら問題になりそうですよね・・・。)、反復が多かったり飛躍があったりして、そのつながりが判然ととらえにくいところもある。

また、別のところにはこうも書かれています。

 いま一つ、本書を理解しにくくさせているものに、彼女の教育思想の背景にあるキリスト教精神、正確にいえばカトリックの精神があることである。随所に神がでてき、宗教になじみのうすいわが国の読者にとっては、やや唐突に感じられたり、納得しがたかったり食いたりなく感じられるところがある。これは欧米の文献についてほとんど共通にいえることで、そのようなキリスト教的素養のない国民にとっては、まぬがれがたい障害であり、限界であるといわなければならないであろう。

とりあえず、どうにかこうにかひと通り読みましたが、ためになったとか、モンテッソーリ教育についてより理解が深まったとかいう感じは残念ながらありませんでした。
こちらを読まれるのであれば、相良先生の本などを読まれる方がよりよく理解できるのではと思います。(日本人で同性ということもあるのでしょうか・・・。)

この本ではモンテッソーリが実際に経験したこと、発見したことなどが色々書かれているものの、対象が他の国の子ども達ということもあり、今後は日本でモンテッソーリ教育を実践されている方の著書を中心に読むほうがいいのかなと感じました。

ただ、印象に残るところももちろんあり、読んだけどムダだったというわけではありません。単に、モンテッソーリ教育について知りたいという方であれば、これを最初に読まれるよりは他のものを読まれる方がいいのかなという印象を受けたということです。

因みに、印象に残ったところのひとつを引用します。何か考えさせられませんか?

 教師は、子どもたちが自分自身で活動できるように準備するだけで、背景にひきさがるべきであるということが、ますます経験から明らかになっています。わたしたちの仕事は、干渉は不必要なものであり、有害でさえあることを教師に納得させることです。わたしたちはこれを『無干渉の方法』と呼んでいます。教師は、苦心して主人の飲み物を用意しておいてから、かれが随意飲めるようにそれを残して去る召使のように、何が必要とされているかを判断しなければなりません。教師は、ひかえ目になることを学ばなければなりません。(中略)
 わたしたちの教育方法に一番熱心に協力してくれるのは、下層階級の親たちです。子どもがはじめて字を書くと、父親や母親は書けないわけですが、その書いたものを見て拝まんばかりに驚嘆し、興奮を子どもに伝えます。
 ところが、金持ちの親たちは、ほとんど興味を示さず、おそらくは、学校でかれに技術を教えなかったかどうかを聞いてみて、それならかれがやりあげたことはあまり意味がないとみなします。そうじをしたがる子どもは、それは召使の仕事で、そんないやしい仕事を学ばせるために学校にやっているのではないと、しばしば語って聞かされます。さらに、自分の子どもが、その年齢にはむずかしすぎると思われるような数学を学習しているのを見ると、ある母親は、かれが脳せき髄膜炎になるのではないかと心配して、その勉強をやめさせたがります。そのようにして、子どもは優越感か劣等感のとりこになり、ついには、精神的にそこなわれてしまうのです。
 したがって、教育上の実験にとって不利と思われる状況そのものが、実際には適切なものなのです。(中略)自分たちの子どもが知っているために、親たちも読み書きを学びたがりました。このようにして、環境全体が子どもをとおして変わりはじめたのです。わたしたちは、魔法のつえを手中に持っているかのようでした。

もちろん、これは日本では文字を読めない人が殆どいませんし、また時代的にも国柄的にもそぐわないところも多いかと思いますが、それでも何か大事なことが書かれているように感じました。

モンテッソーリ教育については更に学んでいきたいと思っています。

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2007年4月19日 (木)

「らくだ学習法」 平井雷太著

以前から存じ上げてはいたものの、どこかで結局「機械的プリント反復学習なのでは?」とそれ以上深く知ろうとしていませんでした。
しかし、先日お知り合いになった先生から平井先生のことを教えて頂き、どういう方で、どういう学習法なのか一度きちんと読んでみることにしました。

子どもがみるみる自分から学び出す!らくだ学習法」 

平井雷太著 実業之日本社

評価 ★★★☆

著者の平井先生のことは随分以前に「すくーるらくだ」のホームページを見て多少は知っていましたが、そこに書かれているプロフィールにあまりにもプライベートなことまで詳しく書かれていたことに何か違和感を覚え、結局それ以上興味を持つことはありませんでした。

ただ、今回とても共感を覚える先生が平井先生と面識があり、いくつか本をご紹介くださったので、とりあえず1冊というならどれか伺って、こちらを読んでみることにしました。
しかし、既にネット書店では在庫がなく、また近くのジュンク堂さんに他店舗から取り寄せてもらいました。(ありがとうございます。)

この本は240ページほどのページ数のうち、問題紹介に60ページほど、その解答に60ページほどを割いてあるため、実際に読むところは半分足らずです。

また、読み物の部分である第1、3章は1章が2003年5月から1年にわたり、毎日新聞に掲載されたコラムを抜粋、再構成されたと書いておられ、3章は同じく、2004年10月から12月にかけてのコラムに加筆されたと書かれていますので、毎日新聞を読んでおられる方は過去に読んだことのある記事が殆どなのかもしれません。(因みに私は毎日新聞なのですが読んだ記憶が・・・。ダメですねぇ、取ってるだけじゃ。(苦笑))

そもそも、著者の平井先生は「セルフラーニング研究所」の主宰だそうですが、「セルフラーニング」とは、文字通り、誰かが指導しなくても自ら学習することができるということを目指して、「らくだ教材」を作られたようです。

もともと平井先生は公文式でお仕事をされていたこともあるようで、この本に掲載されている沢山の教材を見ていると、どこがどう公文式とは違うのか(お話はよく伺いますが、公文式のプリントは少ししか見たことがありませんので・・・)、そのあたりは今ひとつよくわかりません。

ただ、平井先生がこの教材を作られたきっかけはご自身の息子さんのためで、自分がずっと子どもの勉強に付き合えるわけでもないし、付き合ったとしても無理強いしてしまって、勉強嫌いになっては困るという思いから、いかに教えずに自分で学習ができるかということを念頭において、改良に改良を重ねて今の形になったというようなことのようです。

実際、かなりのページを割いて問題を載せ、その問題についてそれぞれどういうことに気をつけて作ったか、どうすることで説明せずに子どもが理解して進んでいけるようになるかということを詳しく書いておられます。

読みながら、確かにこの通りに問題を解いていけば(因みに、時間を計るのも丸付けをするのも全て子ども自身だそうです。)、大人がついていなくても「ひとりで」学習ができるのかもしれないとは思いますし、ご家庭で親御さんがお子さんに付きっ切りになると、しばしば感情的になってしまうというのは教室のお母さん達からもよく伺う話ですので、自宅で学習を進めたいんだけど・・・というような方にはいいのかもしれないなと思いながら読みました。

ただ、私には周囲が何も手を出さず、全てひとりでやる必要があるのかどうかというところがわからず、ほんの少し大人が手助けやアドバイスをしてやることで、もっと短期間でよりよく理解し、伸びるような気もするだけに、個人的にこれを導入したいとか、実践したいとかとは思いませんでした。

読んでいて、書いておられること自体は共感できることも多く、反論する気はありませんが、教材としては私としてはあまり興味は持ちませんでした。

まあ、確かに大人からあれこれ説明されて解くよりは自分で法則や規則を見つけて解く方が力にはなる気もしますし、やる気にもなるのかもしれませんので、ただのドリルのようなものをやるのであれば、らくだ教材の方がいいのかな?とそんな風に思いました。

この本を読みながら、ちょっと思ったことがあるのですが、それはまた近いうちにもうひとつのブログで書かせて頂こうかと思っています。(忙しさのあまり忘れなければですが・・・。(苦笑))

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2007年4月16日 (月)

「お母さんの工夫」 相良敦子・田中昌子共著

先日ご紹介したモンテッソーリに関する相良先生の本を読んだ後すぐにこれを読み終えたのですが、いかんせん、紹介文を書く時間が・・・。
実は今日もかなり断念したい気分ではあるのですが、週2回更新って決めた限りはやれるところまでやり続けようと。
手短なご紹介になるかもしれませんが、何卒ご容赦ください。

「お母さんの工夫」 相良敦子・田中昌子共著 文芸春秋 

評価 ★★★★☆

本書は相良先生と、モンテッソーリのIT勉強会「てんしのおうち」を主宰されている田中先生との共著になっており、1・2章を相良先生が、3・4章を田中先生が書いておられます。

本の帯にはこう書かれています。

子育てに悩めるお母さん、
「手に負えない!」と嘆いていませんか?
医学にもとづく確かなメソッド、
モンテッソーリ教育で、ぐんと子育てが
楽しくなります。

それぞれの章のタイトルは以下の通りとなっています。

第1章 豊かに育つモンテッソーリ教育
第2章 モンテッソーリによる子どもの見方・たすけ方
   1 子どもの見方しだいで、子育てが楽しくなる
   2 一人でできるようになる、お母さんのたすけ方
第3章 お母さんが家庭でできる工夫
   1 お母さんが家庭でできる工夫
   2 お受験とモンテッソーリ教育
第4章 算数・言語、そして平和教育
   1 子どもの成長に合わせた独自の算数・言語教育
   2 幅広い視野を養う文化教育

前半ではモンテッソーリ教育の概要や、その教育を受けて育った子ども達のその後の傾向などが紹介され、後半では本のタイトルからもわかるように、お母さんがご家庭でできる工夫などを具体的に色々紹介しておられます。

読みながら、ますます伊藤先生はモンテッソーリをベースに教材や教具を考えられたに違いないと思うに到っていますが、この本を見ながら、この教具を私も作りたいとか、こんな(時間で切らず、やることをこちらから押し付けず・・・などなど)幼児教育だったらやってみたいけれど、週1回のレッスンだけではダメだよなぁとか、ぼんやり色んなことを考えました。

実際、教室のレッスンでも活かせそうな教具などが紹介されており、作ってみたいものもあるのですが、とりあえず今は時間が・・・。
ですが、モンテッソーリについてはまだしばらく色々読んでみたいと思っています。

この本の中で印象に残ったところをいくつかご紹介しますと・・・。

「『お母さんのイライラ』が解消する知識」という項目ではこんなことが書かれています。

・「子どもを見る」大切さに気づくこと、
・「子どもの見方」のための知識をもつこと、
が必要になります。

そして、次の項では「子どもの見方」の知識があれば「カーッと怒るかわりに、ニンマリ笑い、相手に『変わりなさい』と強いるかわりに『自分を変える』努力をするようになります。」とも、「知識をもっているか、いないかでは、忍耐力もやさしさも大きく変わってきます。」と書いておられます。

また、モンテッソーリ教育を受けた子ども達がその後どんな成長をしていくかを2001年度以降情報を集められたと書かれているのですが、そこにはこんな共通の特徴が見られたそうです。

【人格】にかかわる面
  ・自分で判断し、自分の責任で行動する
  ・自分の考えをしっかりもっている
  ・自分なりの表現をする
  ・自分の行動や態度に自信がある
  ・マイペースである
【生活】にかかわる面
  ・生活のリズムを規則正しく実行する
  ・時間を効率よく使う
  ・忘れ物をしない
  ・挨拶がきちんとできる
  ・人前で堂々と振る舞う
  ・食事の仕方がきれい

以下、【人間関係】にかかわる面として15、【仕事】にかかわる面として6、【学習】にかかわる面として4のことが挙げられています。

これらの傾向を持った人間は間違いなく素晴らしく、周囲からも慕われ、頼られるだろうと思うようなことばかりです。

読みやすさで言えば、先日ご紹介した本の半分ほどの時間で読めるような印象です。
ですが、内容はご家庭で実践できるようなことも沢山書かれており、お子さんをお持ちのお母さんには大いに参考になるのではないかと思います。

読んでいて穏やかな素敵な気持ちになる1冊です。

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