先月か先々月かに書店に寄ったとき、なんともショッキングなタイトルが目に飛び込んできました。
間違いなく「楽しい本」ではないだろうと思いながらも読んでみることにしたのですが・・・。
「公立炎上」 上田小次郎著 光文社
評価 ★★★
もともと、楽しい本ではないとは思っていたものの、読みながらどんどんげんなりしてしまい、途中で読むのをやめようかと思ったほどだった。
著者の上田氏は「明治大学文学部卒、現役の高校教師。公立高校3校で実質7年間教壇に立つ。」との紹介がされている。
この本が出版された時点では休職中とのことで、自らを「私は学校の『寄生虫』だ!」と表現しておられる。
この本は、先日ご紹介した「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」 と同じ出版社のペーパーバックスなのですが、あちらを読んだときには気にならなかったものの(現在貸し出し中で表記がどうなっていたか確認できないが)、このペーパーバックスの特徴のひとつとして、
「4、英語(あるいは他の外国語)混じりの「4重表記」」
と書かれており、その説明として
「これまでの日本語は世界でも類を見ない「3重表記」(ひらがな、カタカナ、漢字)の言葉でした。この特性を生かして、本書は、英語(あるいは他の外国語)をそのまま取り入れた「4重表記」で書かれています。」
となっているのだが、今回の著書に関しては、その英語がやたらと目障りに感じた。
というのも、よくわからない使われ方で、例えばごく一部を引用すると・・・
私は7年間、首都圏の公立高校で教壇platformに立っていた。
言うまでもないが、教師に・・・(中略)燃えていた。
だが、(中略)打ち砕かれた。
はじめに赴任した公立高校public schoolは、典型的な・・・(後略)。
こんな調子で1文の途中に唐突に英単語が登場し、かと思えば1文にひとつも登場しないこともあり、名詞のみを英語表記にしているわけでもなければ、カタカナ言葉を英語表記にしているのでもなく・・・。
一体どういう基準で英語表記を取り入れているのか、これにどういう意味や効果があるのかが私にはよくわからない。(英語が苦手な私は、途中途中で文を遮られるような気分になり、ちょっとイライラ・・・。)
そんな、内容とは無関係のところでイライラを感じつつ読むには、あまりにもストレスの多い内容で、読み終わった後にも重苦しい空気に包まれているような気分になる。
5章からなっているのだが、章のタイトルを紹介するだけでも憂鬱に。。。
第1章 学校も家庭も炎上中
第2章 腐臭職員室
第3章 学校は格差社会
第4章 ゆとり教育の誤解
第5章 エリートだけは救え!
確かに、現場の先生でなければわからないのだろうなということも書かれているし、実際にここに書かれているような問題教師や問題のある保護者、生徒というのは存在するだろうとは思う。(色々な問題の例が細かく紹介されている。)
ただ、裏表紙にこんなことが書かれているのでまずお読み頂きたい。
今の公立校には、真剣に教育を考えている教師などいない。彼らはただ、給料と将来の安定にしがみついている学校の寄生虫parasiteである。そして、私もまた、そんな1人になってしまった。かつては教育に対する熱意enthusiasmを持っていた教師たちでも、教育現場で過ごすうちに、教育どころの話ではなくなってしまうのだ。
7年間の教員生活の中で私が出会ったのは、生活費をもらえずにキャバクラで働く生徒、理解不能のクレームをつけてくる親、生徒を殺したいという教師たちだった。こんな悲惨な日常の中で、教師たちは壊れていく。
学校・教師がなぜ、こんなことになってしまったのか?なぜ私は寄生虫にまで成り下がってしまったのか?それを知りたくて、私は100人を超える教育関係者に取材した。
私は本書で、教育論my own views on educationを語るつもりは全くない。私の経験や取材で感じた今の教育現場の実状realityを知ってもらえばそれで十分だ。そうすれば、あなたの子供を公立校に行かせようなどとは到底思えないはずだからである。
先程も書いたが、この本に書かれているような事例は実際に存在するだろう。著者がでっち上げたとは思わない。
ただ、「100人」を超える「教育関係者」というのは、公立校が機能不全に陥っており、現場には真剣に子供と向き合っている教師などいないと述べるに十分な人数とは到底思えない。
もちろん、最近何かと話題に上る「給食費未納」の問題や、どう考えても我が子の方が悪いのに学校や教師に怒りをぶつける保護者が存在するのは事実だろう。昔に比べて、理不尽なことを言う親が増えたということも否定はしない。
ただ、それでもやはり常識的な保護者、素晴らしい保護者はたくさん存在するに違いないし、非常識な方が多数派になれば、もうそれが問題視されることすらなくなるような気がする。(非常識が「常識」になるのだから。)
そして、何より絶対に、子ども達に真剣に向き合っている先生方は数え切れないほどおられるはずである。
もちろん、向き合いたいのに時間が足りないとか、ほかの雑事が多すぎるとかいうことはあるだろう。しかし、だからといって子どものことをどうでもいいと思っている先生はまだ絶対に少数派だと信じたい。(こればっかりは現場に入らなければわからないことも多いと思うので。)
個人的には4章や5章で書かれていることの中には、興味を引かれるものもあったし、私は知らなかったことや誤解していたことなども書かれていて参考にもなった。
ただ、全般にあまりに極端な意見に偏りすぎていて、これを読んでも拒否反応を示す方の方が圧倒的に多いのではないかと感じる。
もしこの本で問題提起をしたいであるとか、何かを変えたいであるとかお考えだったのであれば、もう少し別な切り口、提示の仕方もあったのではないだろうかと思えてならない。
私自身は学校というところに縁がなくなって久しいし、子どももいないため直接学校に訪れる機会もなく、判断する材料は報道と、あとは教室に来てくれている子ども達や親御さんからのお話しかないわけだが、実際にお話を聞く限りではこの本のようなすごい状態になっているところは身近にはまだない。
それだけに共感もできなかったし、著者は誰をターゲットに何を訴えたかったのか(どうやら、子を持つ親御さんに、お子さんを公立校には入れるなということが言いたかったようだが)今ひとつつかめないままだった。
個人的には、現場の先生方や、実際に公立の小中高に通うお子さんをお持ちの親御さんがこれを読んでどう感じられるのか、聞かせて頂きたい気がする。
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