ちょっと奇抜なタイトルが気になり、どんな内容なのか読んでみました。
「お母さんはしつけをしないで」 長谷川博一著 草思社
評価 ★★★★☆
著者である長谷川氏は大学の心理学の教授をされていて、ご専門が心理療法、犯罪心理、パーソナリティ障害などと書かれています。
また、親の立場から虐待問題にアプローチする「親子連鎖を断つ会」という会の主宰でもあられるようです。
本の帯にはまたなかなか衝撃的なことが書かれています。
いじめ、不登校、ひきこもり、非行、少年犯罪・・・・・・
いま、「しつけの後遺症」が子どもたちを苦しめている!
少子時代のしつけは「支配」。
「しつけようとしないしつけ」が親子を
もっと楽にします。
昨今、社会問題となっている様々な問題が「しつけ」の「後遺症」だという著者。
それは一体どういうことなのかを読み進めてみました。
もちろん、子どもは一人ひとり全て違った個性を持っているので、この本に書かれていることが全て正しく、全ての子どもに当てはまると考えることは危険だと思います。
ですが、こういう意見があるということを知ることは、子育ての上で何か役に立つのではないかと感じました。
著書の初めにこんなことが書かれています。
次にあげる「読んではいけない人」に当てはまっていれば、私の本はここで閉じたほうがいいでしょう。これは、修羅場を踏んだ一カウンセラーからの助言です。
読んではいけない人、それは「子どもという存在」について、次のページに掲げる五項目を強く信じこんでいて、これらの考えを手放すことを、ぜったいに認めたくない人です。(中略)
●次の五つの考えを、あなたは手放すことができますか?
1 子どもの将来のために、小さいうちから勉強させるべきだ。
2 子どもは努力と忍耐を学び、人に迷惑をかけないようにしないといけない。
3 子どもはつねに親や先生など目上の人を敬い、言われたことには従うべきだ。
4 人間は泣いたり怒ったりと、むやみに感情を出すべきではない。
5 親が子どもの言い分に耳を貸すのは、たんなる甘やかしにすぎない。
反対に、これらの五つの事項をしつけるのがうまくいかず、以下のようなつらい日々を過ごしている人には、ぜひとも読んでいただきたいと思います。効果てきめんかもしれません。
6 子どもを思い通りにしつけられなくて、困っている。
7 子どもが何らかの「問題」や「症状」を呈して、悩んでいる。
8 子育て下手な自分のことが嫌いで、落ちこむことがある。
9 家族関係がぎくしゃくしていることに気づいている。
さて、これを読んでくださっているお母さん方はいかがでしょうか?
この本を読みながら、気になったところ、心にひっかかったところを、以下順に引用してご紹介します。
近年、世間を驚かせたいくつかの凶悪な少年事件を起こした子ども達の中で、事件を起こすまでは「彼らは親の言うことをよくきく、自己主張をしない大人しいタイプの子どもたちだった」という共通点をもつ子ども達がいるようです。それについて・・・
優秀な学業成績をあげていたという共通項から、私は、勉強を「やらされてきた」子ども時代を過ごす(太字部分は著書では傍点がつけられています。以下同様。)という経験の問題性を指摘したいのです。幼少期から勉強に向かわせようとする強い介入は、非力な子どもでははね返すことができません。やがて子どもの心にゆがみがつくられていく・・・・・・。私はそう考えているのです。
誤解のないようにつけ加えますが、子どもの頃に勉強ができるから事件を起こすという論理を主張しているわけではありません。しかし、そう考えておいたほうが無難ではないかとさえ思うのです。
また、しつけの面において非難されがちなお母さん方に、こんなことも書かれています。
私が胸を痛めるのは、このように子どもを追いつめてしまうようなしつけは、母親なりに「いい子に育ってほしい」という強い思いがその背景にあることを、よく知っているからです。言いかえれば、それも愛情の一表現だということ。
たしかに親の育て方に問題があったとしても、責任を親だけになすりつけようとする冷たいまなざしが社会にあることには、いたたまれない思いを禁じえません。
こう述べ、悩んでいるお母さん達に社会があたたかいまなざしを向けることを望んでおられます。
また、愛するあまり、体罰も含めた厳しいしつけをしていたお母さんと子ども(事件を起こし、少年鑑別所に入った少年)の例を挙げ、こう書いておられます。
母親はいまでも、自分のした子育てを「しつけ(愛情)」だと信じて疑っていません。しかし、拓也くんが母親から学んだのは、暴力を用いて、相手を思い通りに従わせるという人間関係だったのです。母親の強い愛情はゆがんだかたちで伝わってしまったのです。
また、この記述も、これまで私は考えたことがなかったので、驚きました。(が、言われてみれば納得する部分も多いですね。)
一昨年、非行で少年鑑別所に送られた少年について、しつけの実態調査をしてみました。同世代の一般高校生と比較してみたのですが、ここにも「甘やかし論」を打ち消す結果が読み取れます。たとえば、「長時間、正座させられて叱られましたか」の質問項目では、鑑別所少年(男子)の二五.五パーセントが「あった」と答えたのにたいし、同年齢の一般高校生(男子)は九.八パーセントにすぎませんでした。そのほか、暴言を吐くなどの心理的虐待に該当する多くの項目で、二つのグループの差が顕著だったのです。つまり非行少年たちは、一方的に叱られていて、甘やかされているのではけっしてないということです。
その前年、日本弁護士連合会が、弁護士が扱った少年事件数千例の聞き取り調査をしていました。ここで浮き彫りにされたのは、犯罪に走った少年の親ほど「うちは子どもをきびしく育てた」と答える傾向にあったというものです。反対に少年のほうは、親のしつけを「虐待だ」と感じており、親子関係の理解の仕方に大きなズレがあったということです。
この部分も印象的でした。
(前略)人は無意識のうちに、自分の信念に合致するように振る舞うものなのです。「自分は悪い子だ」と思っていれば、それに合うような行ないを選択してしまう。「叱られるのがいやだから、そんなことはもうやめよう」というわけにはいきません。むしろ反対なのです。
これもイメージしやすい表現でした。お母さんが「父性化」していると述べている項で・・・
前項で、母性的な姿勢として、「わかる」「認める」「受けとめる」「許す」「包みこむ」と書きました。(中略)
しつけに熱心なお母さんたちは、子どもに「大人化」を期待するあまり、母性で接する余裕を失い、ついつい父性的な関係を子どもとのあいだにつくってしまう傾向があるのです。
「強迫」や「キレ」、「いじめ」、「ひきこもり」について書かれているところも、色々引用したいのですが、部分的だときちんと伝わらないでしょうし、かなり長くなってしまうので引用は控えます。
こちらは、数値で表されると改めて、「はぁ~、そうか・・・」と思ったのですが、日本の少子化に触れて・・・。
一九五〇年以前は、子どもの割合は安定的に三六~三七パーセントで推移していました。比率を単純計算して比較すると、子ども一人にたいする大人の人数が一.七〇人だった時代(一九四〇年)から、現在の六.一九人へと、三倍以上になったことがわかります。すると何が起こるか・・・・・・。
子どもたちが大人とかかわり、見られる頻度、はたらきかけられる程度が増していきます。世の大人たちがこぞって子どもを育て、しつけようとすれば、簡単に「適度」の閾値を超えて「過度」に至ってしまう危険にさらされるのです。
これよりあと、11章以降は、悩めるお母さんたちへのアドバイスが優しい言葉で書かれています。
私としては、子育てに悩んでいるお母さん、我が子をいい子にしなくては!と必死で頑張っているお母さん、お子さんが何か問題行動を取り始めたというようなお母さんなどは、是非読んでみられてはと思える内容でした。
もちろん、お子さんがおられるお母さんに限らず、私が読んでも「はぁ~」「ほぉ~」「ふぅ~ん」ということが色々ありましたし、共感する部分も少なからずありましたので、子育てをしておられない大人の方でも、子どもに関わる方は読んでみられてはどうかなと思います。
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