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2007年12月 3日 (月)

「プリンシプルのない日本」 白洲次郎著

先日、友人と話をしていたとき、友人が尊敬する人物のひとりに「白洲次郎」という名前があがり、それって誰?と尋ねると、「神戸人なのに知らないの?!」とさも常識なし扱いをされてしまったのでありました・・・。

Wikiでちょっと調べたところ、なかなか興味深い素敵な方のようだったので、何か読んでみようと、まずはこちらを読んでみました。

「プリンシプルのない日本」 白洲次郎著 新潮文庫

評価 う~ん、評価するのはちょっと難しい・・・。

こちらは白洲氏の唯一の直言集と紹介されていますが、氏が文藝春秋などに書いておられた記事をまとめたもののようです。

白洲氏は芦屋生まれで神戸一中(遠い先輩ですね・・・)ご卒業後、イギリス・ケンブリッジ大学留学。帰国後は英字新聞記者を経て商社勤務、その後百姓となられ、1945年には吉田茂氏に請われ、日本国憲法成立などに関与されたなどと紹介されています。

日本人でその時代の方としてはかなりの長身でかっこいい方だったようですが、こちらを読むと、外見だけでなく、内面もとても頭がよくかっこいい方だったようです。

まあ、内容の多くが政治に関することで、おまけに表現が昔の言葉や漢字も多く、おバカな私にはすとんと入ってくるということはありませんでしたが、何より驚いたのは、冒頭でご友人の今日出海氏が紹介文を書いておられる中に書かれていたことです。

 僕は度々書いたが、彼は戦前日米戦争が不可避だと予言していた。その時は蒋介石を相手にせずと日本が言っていた頃である。そして日本人の大部分が米国と戦うなどとは思ってもみぬ頃である。そして必ず日本が敗北し敗北の経験のない日本人は飽くまで抗戦して、東京は焼野原になるだろうともいった。
 そこで彼は地の理を研究して現在の鶴川村に戦前の疎開を敢行したのである。敗け込むと食糧難に陥ることも彼の予見で、百姓になって人知れず食糧増産に心がけていた。
 かかる彼を僕は非難し、攻撃したものだ。ところが僕は徴用されて戦線に追いやられている間に東京の我が家は全焼し、帰って来た時には、妻子は逗子の仮寓で、食うものもなく、B29におびえて暮らしていた。
 次郎は逗子の家も焼かれるだろうからと、僕の一家を引きとるべく、納屋を改造して、戦争が済むまで、明けて待っていてくれた。
 この無愛想な友人は不思議に人情に厚いのだ。

戦争を予言し、その後の悲惨な状況も開戦前に予言して、それを見越して商社を辞めて百姓に…。普通ならあり得ないことではないでしょうか。

どうやら、いつも歯に衣着せぬ物言いで(思ったことを正直に言っておられるだけで、本を読む限り気持ちの良いものだったが)、お偉いさん方にはかなり煙たがられたり、攻撃を受けたりされたようですが、この方にますます興味がわきました。

機会があれば、今度は「風の男 白洲次郎」を読んでみようかと思っています。

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