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2007年5月14日 (月)

「モンテッソーリの教育 〇歳~六歳まで」 M・モンテッソーリ著

モンテッソーリについてもっと知りたくて、相良先生の本はとても素敵で読みやすいのですが、それだけ読んでいては偏ってしまうのかな?と、ちょっと古そうな本を1冊とりあえず注文してみました。しかし・・・。

「モンテッソーリの教育 〇歳~六歳まで」 

M・モンテッソーリ著 吉本二郎・林信二郎訳 あすなろ書房

評価 ★★★☆ (私にはかなり読みづらかった・・・)

1982年に出版されたこの本は、1946年にマリア・モンテッソーリが書いた“Education for a New World”の全訳とのことで、書かれたのが60年以上前、訳されたのも25年も前であり、文字が小さく、また表現も難しく、私には読みきるのっが非常に困難でした。
(年代だけでなく、ただ単にもともと私が難しい本が苦手ということも大きな原因だと思いますが・・・。(苦笑))

また、訳者のお一人の林氏がおわりに解説で述べておられるのですが、これも読みづらかった理由のひとつなのかもしれません。(以下引用)

 本書を一読してもわかることであるが、その随所に示唆に富むものを多く含みながら、それを全体のまとまりとしてとらえようとするとき、少なからず困難をおぼえるものがある。これは、本書もそうであるが、その著作の大部分が講演の書きおろしであること、また、著者が女性であることもあって(←ここは私としてはわかるようなわからないような・・・。今の時代にこれを書いたら問題になりそうですよね・・・。)、反復が多かったり飛躍があったりして、そのつながりが判然ととらえにくいところもある。

また、別のところにはこうも書かれています。

 いま一つ、本書を理解しにくくさせているものに、彼女の教育思想の背景にあるキリスト教精神、正確にいえばカトリックの精神があることである。随所に神がでてき、宗教になじみのうすいわが国の読者にとっては、やや唐突に感じられたり、納得しがたかったり食いたりなく感じられるところがある。これは欧米の文献についてほとんど共通にいえることで、そのようなキリスト教的素養のない国民にとっては、まぬがれがたい障害であり、限界であるといわなければならないであろう。

とりあえず、どうにかこうにかひと通り読みましたが、ためになったとか、モンテッソーリ教育についてより理解が深まったとかいう感じは残念ながらありませんでした。
こちらを読まれるのであれば、相良先生の本などを読まれる方がよりよく理解できるのではと思います。(日本人で同性ということもあるのでしょうか・・・。)

この本ではモンテッソーリが実際に経験したこと、発見したことなどが色々書かれているものの、対象が他の国の子ども達ということもあり、今後は日本でモンテッソーリ教育を実践されている方の著書を中心に読むほうがいいのかなと感じました。

ただ、印象に残るところももちろんあり、読んだけどムダだったというわけではありません。単に、モンテッソーリ教育について知りたいという方であれば、これを最初に読まれるよりは他のものを読まれる方がいいのかなという印象を受けたということです。

因みに、印象に残ったところのひとつを引用します。何か考えさせられませんか?

 教師は、子どもたちが自分自身で活動できるように準備するだけで、背景にひきさがるべきであるということが、ますます経験から明らかになっています。わたしたちの仕事は、干渉は不必要なものであり、有害でさえあることを教師に納得させることです。わたしたちはこれを『無干渉の方法』と呼んでいます。教師は、苦心して主人の飲み物を用意しておいてから、かれが随意飲めるようにそれを残して去る召使のように、何が必要とされているかを判断しなければなりません。教師は、ひかえ目になることを学ばなければなりません。(中略)
 わたしたちの教育方法に一番熱心に協力してくれるのは、下層階級の親たちです。子どもがはじめて字を書くと、父親や母親は書けないわけですが、その書いたものを見て拝まんばかりに驚嘆し、興奮を子どもに伝えます。
 ところが、金持ちの親たちは、ほとんど興味を示さず、おそらくは、学校でかれに技術を教えなかったかどうかを聞いてみて、それならかれがやりあげたことはあまり意味がないとみなします。そうじをしたがる子どもは、それは召使の仕事で、そんないやしい仕事を学ばせるために学校にやっているのではないと、しばしば語って聞かされます。さらに、自分の子どもが、その年齢にはむずかしすぎると思われるような数学を学習しているのを見ると、ある母親は、かれが脳せき髄膜炎になるのではないかと心配して、その勉強をやめさせたがります。そのようにして、子どもは優越感か劣等感のとりこになり、ついには、精神的にそこなわれてしまうのです。
 したがって、教育上の実験にとって不利と思われる状況そのものが、実際には適切なものなのです。(中略)自分たちの子どもが知っているために、親たちも読み書きを学びたがりました。このようにして、環境全体が子どもをとおして変わりはじめたのです。わたしたちは、魔法のつえを手中に持っているかのようでした。

もちろん、これは日本では文字を読めない人が殆どいませんし、また時代的にも国柄的にもそぐわないところも多いかと思いますが、それでも何か大事なことが書かれているように感じました。

モンテッソーリ教育については更に学んでいきたいと思っています。

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