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2007年5月17日 (木)

「塾は学校を超えられるか」 八杉晴実著

3月だったでしょうか。突然、ある大御所先生経由でとある塾長さんからご連絡を頂き、遥々こちらまでお尋ね頂きました。
その後、色々教えて頂いているのですが、この本もその先生が「是非読んでみてほしい」と紹介してくださったものです。

「塾は学校を超えられるか」 八杉晴実著 三一書房

評価 ★★★★★ (役に立つということはないかもしれませんが、大好き。)

実は、紹介して頂くまで八杉先生という方のことは全く存じ上げませんでした。
おまけに、本を書かれた年代が主に1980~90年代で、古い本は書店にもあまり並んでいませんし、ネット書店でもなかなか購入するきっかけもなく、ご紹介頂かなければ絶対読むことはなかっただろうと思います。

更に、古い本なので、既に絶版になっていたり、売り切れになってしまっていたりというものが多く、こちらもアマゾンで注文して2ヶ月近く待たされた末、ようやく手元に届いたのでした。

しかし・・・新品を注文したはずなのに、既に薄汚れているような表紙。おまけに、表紙を開くといきなり数ページ折れている・・・。更に、かなり小さい文字でびっしりと書かれたその本は、開いた途端一瞬読む気が失せました。(苦笑)

待ちに待った末ようやく届いたけど、字が小さすぎて私には・・・ということをご紹介くださった先生にお知らせすると、できれば最初のところだけでもいいからまず読んでみてください、私の大好きなところなのですとのお返事が。

というわけで、(くぅ~っ、辛い・・・)と思って読み始めたはずだったのですが、不思議なものです、全然辛くないのです。
もちろん、文字数が多いのでページはなかなか進まず、読むのに時間はかかりましたが、先日ご紹介したモンテッソーリの本などとは全く違い(文字の大きさ的にはそれより小さいかもというぐらいでしたが)、す~っと心に入ってくる感じがするのです。

大変残念なことに、八杉先生は既にお亡くなりになられたそうですが、もしもご健在なら是非お目にかかりたい!とこの本を読んで、強く感じました。

初めに書かれたのが1983年、その後、増補新版として1989年に再出版されたようですが、増補版も初めの4章は1983年のまま変えなかったと書かれていますので、今からかれこれ25年近く前のお話です。(書かれるのに1年2ヶ月かかったと書いておられるので、執筆開始は25年以上前ですね。)

校内暴力などで学校が荒れていた時代でもあり、書かれている内容自体を今すぐ参考にして何か役立つということはあまりないかもしれません。
ただ、私としては大いに感動し、大いに共感もし、また、自分の中でこれまで当たり前のこととして疑問にすら感じていなかった部分に気づかせてもらったりもし、とにかくこの本に出会ってよかったなと思っています。

とは言っても、一度ざっと読み通しただけですので、いずれまた読み返したいとも思っています。

本の紹介がかなり遅れましたが、八杉先生は東京の練馬区で長年、地域密着の私塾をしてこられた方だそうです。
本の初め、ご紹介くださった先生が、是非読んでほしいとおっしゃった「チヨさん」というおとしよりとのやりとりが書かれているのですが、14ページに渡って書かれているこの内容は、すごくすごく大事なことを教えてくれているように思います。

簡単に手に入る本ではなくなっているようですので、ちょっとご紹介しますと・・・。

 六月の中頃でした。見知らぬ方から一通の手紙を戴きました。
 入塾を希望されているようですが、だれの入塾希望なのかはっきりわかりませんでした。幸い、電話番号が記されてありましたから、電話をしてみました。おとしよりらしい女性が出て、とにかく会って話したい、というので、道順をお教えしました。その方は三十分ほどでおいでになりました。
「どうしても先生に教わりたいんです」
そう言って、じーっとぼくの顔をうかがうのです。
 この女性、名前は金井チヨさん。大正六年三月一日生まれ。六十四歳でした。(中略)

全部紹介したいのですが、長くなりすぎますので、ちょっと端折って説明を。
このチヨさんは小さい頃、家庭の事情で小学校も満足に終了しておられず、今になって中学ぐらいの学力は身につけたいと、中学の通信教育に挑戦されます。
しかし、通信ではやはり難しく、理解できないのに学年だけ上がっていくことに悩み、近くの学習塾に通ってみたそうですが、そこで「おいてけぼり」になってしまったと。
その後、知人の紹介で八杉先生の塾を知り、尋ねてこられたそうです。
事情を伺い、「どうぞ、ぼくでよかったら」と。そして・・・。

 そうしたら、チヨさん、涙を流さんばかりに、いや、ほんとに涙を浮かべていらっしゃいましたが、
「ありがとうございます。ありがとうございます」
と何度も念仏を唱えるように言われました。

そして、チヨさんとの授業が始まるのですが・・・。

「オバアちゃん、なんで勉強するの」
と言う子もいましたし、
「あの年で英語を勉強してどうしようっていうんだろう」
という中学生もいました。ところが、ご当人は至って淡々としたもので、
「知りたいからですよ」
「だって、わかって、できると楽しいでしょう」
などといってニコニコしています。子どもたちはフーンという顔をしていました。
 六十四歳になって、卒業証書が欲しいわけでもないし、就職するために学力をつけるという目的があるわけでもない。そういう"何の為に"という何かの手段としての勉強ではないとわかった時、子どもたちはそれぞれに考えたと思います。"勉強って何だろう"って――。(後略)

なんだか考えさせられませんか?
そして、この他にも、学校って何だろう・・・。塾は何をすべきなんだろう・・・。そういうことをイヤでも考えさせられる内容がぎっしりと詰まっています。

子どもに関わる大人には是非読んでみて頂きたい。
そう思う1冊です。

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