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2007年1月11日 (木)

「赤ちゃんと脳科学」 小西行郎著

約1年前に読んだ「早期教育と脳」がとても素敵だったので、その後すぐこの本を購入したのですが、タイトルからして私にとって急いで読むべきものという意識がなかったため、他の本を先に先に読んでしまい、結局長らく「積ん読」になっていました。

「赤ちゃんと脳科学」 小西行郎著 集英社新書

評価 ★★★☆

以前ご紹介した本はとても興味深く読めたのですが、この本はまあ、確かに非常にタイトルに忠実で、そういう意味では評価は星5つでもいいのか?という話なのですが、「赤ちゃん」を「脳科学」の視点から見て、実際に色々なデータなどを紹介しつつ書き進められているものでした。

何度も白状しています通り、私は難しい本が苦手でして、この本も大半が科学的データや専門用語などで赤ちゃんについての研究結果が紹介されていたりして、読んでいてもどうもすっと頭に入ってこず、おまけに、そもそも現時点で(というかこの先も?)「赤ちゃん」について詳しく知りたいという欲求や必要性をあまり感じていないということもあるのか、尚更うわべだけを読み流しているような状態になってしまいました。

途中で読むのを断念しようかとまで思ったのですが、個人的に、4章以降は興味を惹かれるところも結構あり、どうにか最後まで読み通すことができました。後半部分は星4つか4.5個という感じです。

さて、本書の構成に戻りますが、全部で8章からなっており、それぞれの章のタイトルは以下のようになっています。

序 章 悩める母親の育児事情
第1章 誤解を生んだ「科学的根拠」
第2章 胎児の能力の不思議
第3章 生後二ヶ月革命
第4章 神経ダーウィニズムと子育て
第5章 テレビと育児
第6章 育児の目的と目標
第7章 子どもの発達を幅広く「見る」

私は第4章以降がと書きましたが、赤ちゃんをお持ちのお母さんやこれから出産される予定のお母さんなどは、きっと前半部分も参考になるところが沢山あるかと思います。

昨今の「脳」ブームや幼児教育ブームなどで数え切れないほどの情報が氾濫していますが、情報に振り回されるのではなく、どういう風に判断し、子育てをすればよいかなど、小西先生なりのお考えがデータと共に書かれています。

以前ご紹介した著書でも感じたのですが、小西先生の赤ちゃんや子どもに対する視点には愛情が溢れているように思います。また、絶対これが正しいのだ!というようなご意見ではなく、赤ちゃんや子どもが幸せになるためにはこの方が望ましいのではないかという控え目ながら納得の行くご意見が書かれているように思います。

本の帯にもこう書かれています。

「天才」に育てるより、
「幸せ」な人間に育てたい!


胎教、早期教育は有効?
三歳児神話の呪縛?
赤ちゃん学の第一人者が、
最新の脳科学の知見から、
赤ちゃんとの上手な
つき合い方を説く。

ある意味、この帯の言葉でこの著書の紹介が全てなされている感じですね。

第4章以降で特に心に残った部分を引用でご紹介します。

第4章より
 子どもを叱ることはいくらでもできます。観察などしなくても、自分の基準に合わなければ感情一つで怒ればいいからです。しかし誉めるのは、相手を見て、きちんと「観察」していなければできません。ですから「見守る」ことが重要なのです。
 子どもがその能力を伸ばすのは、脳に情報を詰め込んだときよりも、うまく誉められてやる気がでたときです。

同じく第4章の以下の文章からは、小西先生のお人柄、価値観がよくわかる気がします。

 二〇〇二年、NHKで『奇跡の詩人』という番組が流され、言葉も発せられないほど重度の障害児が素晴らしい詩を書いている、と賛美されました。(中略)
 しかし、私が思うには、重度の障害児が詩を書いたからといって、それを「奇跡」だとするその姿勢のほうが問題なのではないでしょうか。障害をもった子どもが訓練の結果で詩を書けた、だから素晴らしい、というのであれば、努力しても詩も書けず、言葉も発することができない障害児は素晴らしくない、ということにもなりかねないのです。
 どんな障害をもった子どもでも、あるいはのんびりした子どもでも、ありのままに人生を幸せに送ることができれば、それこそが素晴らしいことであると私は思うのです。

第5章は「テレビと育児」と題されており、小さなお子さんがおられる方は是非一度読んでみられてはと思うことが書かれています。
現代社会において、さまざまなメディアとのつき合いが必要なのは間違いないだろうとした上で、現在はまだ科学的なデータが限られており、テレビやビデオ、ゲームについて更に科学的研究をしなければならないとしておられます。

その上で、先生なりにこのように締めくくっておられます。

人間は、外部から与えられる情報による受動的な教育と自ら求めて新たな情報を得る能動的な教育のバランスを保ちながら、成長、発達を遂げていく生き物です。
 極端に生活の中からテレビを排除したり、逆に生後間もなくからテレビを長時間見せ続けるようなことは避けるべきです。

第6章より

ヨーヨー・マの姉の早期教育の例や、海外で暮らす親子の事例などを紹介しつつ、こうまとめておられます。

どのような教育方法であれ、将来に対する目的や目標を設定せずに、良いといわれることを人にいわれるまま、過剰に行うことに問題があるのではないでしょうか。

こちらもちょっと印象に残りました。

 よく小児科の外来で、子どもをスポーツや習いごとの教室とか学習塾などに通わせることについての相談を受けます。
「この子がサッカーをしたいと言うのですが、サッカースクールに入れたほうが良いでしょうか?」
 とか、
「この子がサッカーをしたいと言ったものですから」
 という母親は少なくありません。
 でも待ってほしいのです。子どもが「サッカーをしたい」と言っても、それは親や友人たちと「遊びたい」という意味で言っていることが多いのだと思います。たとえば父親と一緒にサッカーをすることで、ときには父親の偉大さがわかったり、案外へたくそでいっそう父親に親しみをもったりするかもしれません。

第7章では、小西先生の言葉ではないのですが、感動した言葉を引用させて頂きます。

福井大学で障害児教育に携わる松木健一郎助教授から聞いたお話ということで紹介されている文です。
障害によって生まれたときから寝たきりでチューブで栄養を取っていた翼(仮名)くんがあるときから医師に口まで流動食を運んでもらって摂取できるようになり、発達を上へ伸びることと捉えた場合、一般には、次は自分で・・・とか、固形物を・・・とかいう発想になるのかもという話の続きに書かれています。

しかし、松木氏の考えは違っていました。
「医師に口まで流動食を運んでもらい、飲み込めた翼くんは、次に母親に手伝ってもらって食べられるようになると思う。母親はそれを心待ちにしていたからね。で、次はひょっとしたら父親だろう。そうすると、相手によって会話の内容も変わるでしょう?
 中には食べさせるのが下手な人や、気の合わない人もいて、翼くんはいやがるかもしれないな。翼くんの感情はどうなるだろう?一人で食べられないとはいっても、他人との関わりの中で食事ができるようになれたんだ。大きな進歩じゃないか。私は、そうやって着実に翼くんの世界を広げてやりたい」

この後は小西先生の言葉です。

 誰が口まで食事を運ぼうと、翼くんが「他人に食べさせてもらう」ことに変わりはなく、発達の段階としては同じレベルにあります。
 しかし、木が上に伸びながら、同時に横にも葉を茂らせたり、花を咲かせたりするように、このときの翼くんも自分以外の誰かと関わる機会が増えることで、縦へ横へと広がったのだと思います。これが、本来の子どもの発達のあるべき姿だと私は思うのです。その意味で、子どもはやはり大きな可能性を秘めているのです。

きっと、小西先生はとてもとても愛情に溢れる素敵な先生なのだろうなと、この本を読んでも改めて感じました。

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