2020年1月22日 (水)

意識したことなかったけど

私は多分生まれつきかなり強い乱視だったのですが、生まれたときからその目で何でもしてきたからか(途中で急に悪くなったとかではないので)針に糸を通すなどの細かい作業もさほど不自由を感じませんでした。

ですが、最近は歳を重ね、また、パソコンやスマホを見る時間が延び、明らかに視力が低下しているのを感じるようになり、初めて細かいものが見づらい感覚を意識するようになりました。

すると、定規のミリメートルの目盛りもかなり細かいことに改めて気づき、これは目の悪い子どもには結構辛いのかもしれないなと思うようになりました。

ただ、算数では目盛りを読む機会は他にも時計や秤、嵩など色々ありますので、テストなどでは使わせてもらえないのだろうと思いますが、教室に虫眼鏡を用意しておこうかなと思いました。

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2020年1月21日 (火)

ほっとしました。

少し事情がある子なので普段あまり強く言わないようにしている子と、中学生になって、通学に時間がかかる上、運動部にも入って、常に眠さと戦っている子に、たまたま先週、恐らくその子たちにとっては初めて、私にかなりきついことを言われたと感じたであろう状況になりました。

もちろん、そもそも怒って勉強をさせようという気はないので、今回もそういう意図できつく言ったわけではありませんでしたが、それぞれの子が帰るとき、普段と違って、怒っているのか、不機嫌なのか、落ち込んでいるのか、判断がつかない様子で帰っていったので、気になっていました。

私としてはお月謝を頂くからには、来てもらっても時間の無駄になるようなことはできません。ですから、やる気がない子にはやりたくなければやらなくていいと話しますし、子どもにとって言うべきことだと思えば、仮にそれで子どもが辞めると言い出そうとも言います。(もちろん、辞められるのは物心両面で辛いですが、それでも一番大事なのは子ども達ですので…。)

2人のうち、特に1人はやめると言い出すかもしれないなと思っていましたので、今週のレッスンに来てくれるかどうかも心配ではありました。
まずはいつも眠さと戦っているほうの子のレッスンがあり、その子はこのところほとんど見られなかったぐらい集中し、話も聞き、更には前回私がきつく言った後、習ったことを復習したとか、スマホ使ってると勉強できませんねとか、自分から「可愛らしく」話してくれて、ホッとしました。

その後辞めるというかもと思っていた子は、不機嫌でもなく、ご機嫌でもない感じで登場し、さて、どうなるかなと思いましたが、この子も普段より明らかに真剣に取り組み、どうやらおうちでもそれなりに勉強したようでした。

少しは何か感じてくれたのかな、そうであれば嬉しいなと思いつつ、何はともあれ、ほっとしました。

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2020年1月20日 (月)

嬉しいお知らせ

今から3年半ほど前、ある発達障害の診断がついている子が通ってくれることになり、色々なことを経て、お困りごとがあまり気にならないぐらいになって、その子とのレッスンはとても楽しいものになっていきました。
お困りごとが軽減されたことで、突然降ってわいた中学受験のお話。
難関校を目指すとかではなく、軽減されたとはいえお困りごとがあるので、手厚く見てもらえそうなところに行かせたいというお話で、それは納得がいったものの、そのお話を伺ったのが5年生の冬頃で、さすがにびっくり!!
当初はうちに通い続けて受験をしたいとのご希望だったものの、西宮から通ってくれていたことや、理科も必要ということなどから、6年の夏にお別れすることになりました。

とても印象深い子だった上、算数の能力は結構高いながらも、言語に弱さがあるため、問題文の意味が理解できなければ解くことができないというところもあって、それに加えて受験のために準備を始めたのが入試の1年ほど前でしたので、かなり心配していました。

ですが、土曜に試験を受け、その日のうちに合格発表があったとのことで、その日のうちにわざわざご挨拶に来てくれました。
お礼を言ってもらった上に、6年生の男の子に「またお会いできたら嬉しいです」と言ってもらって、感激しました。
春からの中学校生活がその子にとって充実したものになることを祈っています。

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2020年1月19日 (日)

オフ

き今日は更新お休みします。

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2020年1月18日 (土)

読んでみて頂きたいブログ

友人がシェアしてくれていた植松努さんのブログ記事。

教育の「評価」は、ナチスがやったことに近いと思う。 

植松さんのことを知ったのは、何年か前にたまたまtedでされた講演の動画を見たのがきっかけでした。

もしかすると時代が時代であれば、この方も小学生の頃に何らかの発達障害の診断がついていたのかもしれないなと思いながら講演の動画を見たり、神戸に来られた際には講演を聞きに行ったりもしました。

ものの考え方、価値観は人それぞれであることはよくわかっていますが、このブログで書かれている、ナチスドイツのしたことや、漫画のストーリーは、仮にそうやって「優れたもの」を選び、残していったとしても、「選んで」いるうちは、その残った「優れている」とされたものたちの中にまた「劣ったもの」が出てきて、極論すれば、最後のひとりになるまで「優劣」を付け続けることができるのではないかと。
さすがに一人になるまでは極端だとしても、選ぶ側、評価する側の基準で「優れている」と評価したものだけを残した集団、社会は、恐らく決して「優れた」集団、社会にはならないような気がします。

完璧な人間がいないように(そもそも、何をもって「完璧」とするかの基準も普遍的なものなど何もありませんし)、人はみんなそれぞれ違っているからこそ、素晴らしいのではないかと、このブログを読みながら改めて感じました。

 

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2020年1月17日 (金)

1.17 あれから25年

毎年1.17が近づくとテレビなどでも震災を振り返る番組などを目にしますが、今年は震災から25年と聞いて、もうそんなにも経ったのかと改めて驚きます。
私は元々中学校の教員志望でしたが、まず3年社会勉強をしようと一般企業に就職し、その後、学校というところでは自分の能力では納得のいく指導をしきれないのではないかと思うようになり(一度に30人、40人の子をきちんと見るのは不可能だと思い…)、さて、どうしたものかなと思いながら会社員を続けていました。
そんなときにあの震災に遭い、人生一度きりだしな、やりたいと思っていることをやってみてもいいんじゃないかなと思うようになり、子ども達と共に学ぶという道に進路を変えました。

あの震災がなければ、今の自分はいないのかもしれないなと思います。
そういう意味では私にとっては大切な意味を持つ、大きな経験だったと思っています。
だからといって、あんな悲しい出来事はもう起こってほしくないとも思います。

近年、世界のあちこちで異常気象による天災が起きており、日本でも昨年だけでも大きな台風が何度もひどい爪痕を残して行きました。
温暖化が進み、このままでは10年後に地球はもう手の施しようがない状態になるかもしれないという研究結果なども目にします。
一人ひとりにできることは限られているかもしれませんが、他人事だと思わず、今の子ども達のためにも、できることを少しずつでもしていかなくてはと思います。

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2020年1月16日 (木)

子どもって面白い

私は「コワイ先生」であることは否定しませんが、怒ったからではなく、問題が難しかったり、何らかの気持ちの葛藤があったりして、子ども達に泣かれることは少なくありません。
特に小さい男の子たちは、レッスンをしていて泣かれたことがない子の方が数えるぐらいなのではないかというぐらい、思いがけないタイミングで泣きだされることもしばしばです。

未だにその泣き出す理由を正確に説明してくれた子はおらず、おまけに、年齢が上がるといつの間にか泣くことはなくなり、自分が泣いていたことすら忘れてしまう子もいるので、いつまでも本当のところはわからずにいます。
ただ、自分にとって未知の、難しそうな問題を前にすると、不安に襲われるのかなとか、できないということが悲しいのかなと、そんな感じだろうなとは思います。(幼児さんとかであれば、眠くて泣いてしまう場合もありますが。)

泣き出した場合、声をかけると一層激しく泣かれることもありますし、かといって、泣かれるのが嫌でやり方を教えてしまうというようなことはしたくないので、無理そうであればその問題を保留にしたりします。

ただ、それとは別に子どもは面白いなと思うのが、一緒にレッスンをしている子が泣き出した場合、それに気づいても、不思議なぐらい「何で泣いてるん?」とか「泣かなくてもいいやん」とか、何かしら声をかけるような子はあまりおらず(その子がお友達や兄弟だったとしても)、かといって、気にしていないわけではなく、泣いていない子が妙に明るく振舞い出したり、いつも以上にレッスンをがんばったりすることがあるのです。

子どもながらに、泣いているときにはそっとしておく方がいいと気づいているのでしょうか。
そして、直接励ますでも慰めるでもなく、かといって迷惑がったりすることもなく、何らかの気遣いを見せるのが本当に可愛いなと思います。

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2020年1月15日 (水)

それでもいいのだろう。

教室の子達とレッスンをするとき、できる限りまだ習っていないことをここで初めて一緒にできるよう心掛けています。
もちろん、学校の授業の進度や個々の能力差、その他の事情によってはこちらでおさらいをすることもありますが、習ってしまったことをやるのは子どもも私も楽しくありませんし、「あ!」という気付きや発見をしてもらい辛いので、やはり可能な限り学校などより先にさせてもらえたらと思っています。

ですので、まず子どもに考えてみてもらうことで、自分になかった発想を目の当たりにすることもあれば、子どもなりに考えた方法なので、大人が見れば非常にまどろっこしい解法を見ることもあります。

今日のレッスンでは、平行四辺形や三角形、台形などの面積を学習していた4年生さんが、三角形の面積を出す際、何度も何度も一旦底辺と高さをかけた式を書いてから、その答えを2で割る式を書いていました。
計算も得意な子なので、もちろんそれできちんと答えは出ていましたし、問題ないのですが、ひとつの式(底辺×高さ÷2)で書いてしまうことで、先に2で割って計算が簡単になる場合があるということには気づいてもらいたいと思いました。

ですので、その子が気づいた解き方は正しいし、その解き方で問題ないと前置きをした上で、学校で習うときには一つの式に書くよう言われると思うということを伝え、例えば9×12÷2なら、108÷2をするより、12を先に2で割ってしまえば簡単になるというようなことを、その子が書いている式を指しながら気づいてもらうよう声掛けもしました。

それでも、黙って見ていると式を2つ書いたりもしていましたが、今の段階では無理にそれを直させなくてもいいのだろうと思います。もちろん、「一つの式に書けるんだったら書いてね」などと声掛けはしますが、その子が2つに式を分けているのは、きちんと図が頭に浮かんでいて、長方形や平行四辺形の面積を出してから半分にしているのだと思いますので、そのうち一つの式に移行していくのではないかなとも思います。

公式や解く方法を教えるわけではありませんし、それを覚えさせるわけでもありませんので、いずれ学校で教えられるまでは、子どもが気づいた解き方を支障がない限り尊重したいと思っています。

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2020年1月14日 (火)

覚えることと覚えなくてもいいこと

私自身は子どもの頃、今のように「教えられる前に考える」という学び方をする機会がほとんどなかったので、特に算数や数学などでは、先生の説明を聞き、覚えるように言われた公式は特に何も考えずに覚え、それに当てはめて答えを出すという作業をしていることがほとんどでした。
その頃には「これは覚えなくてもいいよ」というようなことを言ってくれる大人が身近にいませんでしたので、気づくことなく大人になってしまいましたが、問題の意味を考える、公式と言われているものの意味を考えるということをするようになってから、覚えるようにいわれた公式の大半は覚えなくても導き出せる、もしくは、公式と呼ぶほどのものでもない(特に算数では)ものだと気づきました。

覚えなくてもいいものは覚える余裕があるか、覚えるのが好きであれば覚えた方が時短にはなるでしょうから、子ども達にも「覚えなくても解けるけど、覚えられたら覚えてもいいよ」などということもあります。

ただ、用語その他、覚えなければ始まらないものもありますので、それに関しては「私は滅多に覚えてって言わないけど、これは覚えるしかないから」などと言っています。
普段私が「覚えなさい」ということが滅多にないことを実感している子達は素直に聞いてくれますが(覚えられるかどうかは人それぞれですが)、昔の私のように、習ったことを覚えて当てはめて解くことが癖になっている子の場合、何でも覚えようとするため、結局絶対覚えなくてはならないことと忘れても大丈夫なことの判断が付きにくいということがあるのかもしれません。

今日のレッスンで、体調不良で学校を休みがちな子が、先週も一緒に復習をしたはずの「比例・反比例」の問題を「これはわからないから先生と一緒にやった方がいいと思って」といって持ってきました。
先週もやったところですし、それ以前にももちろんやっているのですが、まだあっけらかんとそんなことを言うので、「比例ってどんな式で反比例はどんな式だった?」と尋ねるとどちらも答えられませんでした。(もちろん、これまでに何度も出てきているのですが。)そこで、「小学校でも習ったはずだけど、xと決まった数をどうしたらyになるのか説明して」と言っても答えられません。

それが出てこないのに、問題が解けないのは当たり前です。
本人ができなくていいと思っているのであれば、それもひとつの選択ですから、何が何でも覚えなければならないというつもりはありませんが、英単語を覚えていないのに書けないのは当然、知らない漢字を書けないのも当然で、比例・反比例がどういうものなのかは覚えなければできるはずがない。それは絶対に覚えなくてはどうしようもないことだと話して聞かせました。

仮に、y=axやy=a/xの式が思い出せなかったとしても、比例はxを2倍、3倍…とするとyも2倍、3倍…となる関係だということを知っていれば、x=2のときy=5という値を与えられれば、x=4ならy=10になりますし、x=1ならy=5/2になるということは考えられます。2のとき5で4のとき10、8のときには20になるというように考えられれば、y=5/2xという関係を導き出すことはできなくはないでしょう。
ただ、比例がどういうものなのかを知らなければ解きようがないわけです。

その辺りのことを、ただ覚えるのが当たり前の状態になってから来てくれた子達にしっかり伝えていかねばと、改めて思いました。

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2020年1月13日 (月)

オフ

今日も更新お休みします。

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