2020年7月10日 (金)

変化の瞬間

子ども達とレッスンをしていて、子どもが問題を解いている姿を見ているとき、時々、ああ、今消化できたんだな、ちゃんとわかったんだなと感じる瞬間を目にすることがあります。

例えば、初めて繰り上がりの足し算を学習して、初めは教具などを使って練習をした後、計算の式だけが書かれたプリントに取り組み始めた子が、初めは上の位を書いた後、繰り上がることに気づき消しゴムで消して書き直したり、繰り上げるのを忘れて答えを書いたりしていたはずなのに、プリントの途中から、さっきまで悩んだり、モヤモヤしていそうだった表情がふっと穏やかに変わり、それと共に消しゴムを使うことなく、安定したペースで次々に正解していくというような状態です。

その姿を見ると私も安心するのですが、気を付けなくてはいけないのは、悪戦苦闘して、辛そうだからと問題数を減らし、なんとかできているからと、まだ消化できていない状態で良しとしてしまうことです。
辛そうだから、2、3問できたらいいことにした場合、その子はその問題に関してモヤモヤした「嫌な感情」を持ったまま終えることになるので、物覚えのいい子などは、次にそんな問題が出てきたときに身構えたり、嫌そうにしたりすることがあるのです。
辛そうであれば、まだその子のレベルに合っていないのかもしれませんし、その日のコンディションによるものかもしれませんので、様子を見て保留にしたとしても、どこかの段階で本人がスッキリするまで取り組む方が、苦手意識を抱かずに済みます。(もちろん、時間の経過と共になんとなく自然にできるようになる場合もあります。)

その子にとって簡単な問題ばかりさせても意味がありませんので、「少し難しい」ぐらいの問題に取り組んでもらうことを目指しているのですが、一人ひとりの子にとってちょうどよい「少し」はなかなか判断が難しいので、未だに私も試行錯誤ですが。

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2020年7月 9日 (木)

どんな気持ちなんだろう

先日テレビのクイズ番組をつけていたら、色々な有名な俳句の上の句を見て、続く句を答えるという問題で、あるお笑い芸人の方が、何一つ答えられず、周囲が「柿食えばだよ、柿食えば!!」などと声をかけても何も出てこず、解答を見た後でさえ「全然わからなかった」と言うのを見ました。
その方に限らず、過去には英単語の「desk」の綴りさえ全く分からないという女性タレント(そのほか、英語で初めに習うような単語全て分からずでしたが)を見て衝撃を受けたこともありました。

個人的には勉強はしたくなければしなくてもいいし、その代わり何か光るものがあればそれを伸ばせばいいと思ってもいますので、お笑い芸人さんやタレントさんは、その道を見つけた素晴らしい方達なわけで、英単語や俳句を知らないことは全く構わないのですが、いい悪いではなく、純粋に、この人たちは小中学校で授業中どうやって過ごしていたんだろうということが気になります。

例えば、授業で先生が言っていることに全く興味がなく、寝ていたり、ほかのことをしていたりで、その状態が全く苦ではなかったのかもしれませんが、私自身は仮に先生が言っていることが全く理解できない状態で毎日学校で授業を聞くのは、すごい苦痛だろうと思うのです。
学校に行くのが嫌になるとか、反抗するとか、もしくは劣等感で凝り固まってしまうとか、とにかく、そこまで全く授業を聞いていない(覚えていない)というのが想像ができません。

教室に来てくれる子の中には算数で苦労している子、元々発達上の困難を持っている子などもいますので、がんばっているけど算数が苦手という子もいます。私の感覚では、全くわからない授業に耐え続けるのはさぞ辛いだろうと思うので、苦手な子であっても学校のことはなんとか困らないぐらいになってもらえたらと思ってレッスンをするのですが、もしかすると、それは私の価値観で、本人はなんとも思っていない場合もあるのかもしれないと、ちょっと気になりました。
やるのが嫌で、わからなくても本人が平気な場合、その子に算数をがんばろうと思ってもらうのはかなり至難の業なのかもしれません。

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2020年7月 8日 (水)

「賢くなる?」

教室の子達には自分の頭で考えることで賢くなるのだという話は必要に応じてしますが、最近来てくれるようになった小さい子の言葉がちょっと気になっています。
通ってくれるようになってまだ日が浅いことと、小さい子には無理にがんばらせるつもりがないので、恐らく私が何か言ったせいではないはずなのですが、その子にとってあまり楽しそうに思えない、もしくはできればちょっとやりたくないような問題に取り組む際、ちょっと思い詰めたような悲しいまなざしを向けながら「(これをやったら)賢くなる?」と尋ねてくるのです。

もちろん、小さい子の中には、もっと楽しそうにできたから賢くなるというようなことを言う子がいないわけではありませんが、私の経験ではこんな切なそうな表情で尋ねてくる子は記憶になく、どこかで、がんばらせるために、難しいもの、気が進まないものでもがんばって取り組めば賢くなると言い聞かされてきたのだろうかと心配しています。

我慢して嫌々やっても、あまり「賢く」ならない可能性が高いので、我慢してでも課題に取り組むのは、もっと学年が上がって、必要に迫られるまでは無理にしなくてもいいのではと思うのです。
特にまだ小さいうちは学ぶことは楽しいことだと感じてもらえることの方が遥かに大事だと思いますので、今後少しずつでも、その子のその悲し気なまなざしを見ることがなくなるよう、私も一層気を付けていこうと思います。

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2020年7月 7日 (火)

「ぼーっとする時間」

以前読んだ本に小さい子にとってぼーっとする時間はとても大切だということが書かれていました。
言いたいことは何となくわかるなと思っていましたが、小さい子とレッスンをしていると、心行くまで考えたり試行錯誤したりできる時間は本当に大切だけれど、子どもが少なくなったことで、その時間をなかなか与えられない子も増えているのかもしれないと感じることがあります。

小さい頃からおうちの方や習い事の先生などがその子のすることを見守り、よかれと思って手を貸したり、声をかけたりするというのは、一見よいことのようにも思えますが、子ども達が試行錯誤をするために必要な時間は思いのほか長かったりもして、私でさえも、内心(なんで何度も同じところに置いてるんだろう?さっきもやって無理だったのに…)と思ったり、余りに全く違うことをするので、お手本を何も見ていないのでは?と思って声をかけてしまったりすることがあります。
また、表情があまりにも嫌々な感じに見えて、助けなければダメかしら…と思ってしまうようなこともあります。

それでも、本人がはっきり嫌だと言ったわけでもないし、まだ何か考えていそうだし…とじっとこらえて待っていると、ある瞬間「あっ!」と気づいたような表情になったり、試行錯誤しているうちに偶然ながらも答えを見つけてすっきりした表情になったりすることがあるのです。
子どもがたくさんいてひとりひとりを手厚く見ることができなかった時代や、おうちの方達が忙しく、つきっきりで勉強を見ることができないような環境であれば、自分であれこれ試行錯誤をし、失敗しながらも何かを発見したり、横道に逸れていって何か別のことを学んだり、そうでないにしても、自分であれこれ心行くまで空想したり、考えたりと、自然と頭を広くたっぷり使えたのかもしれません。

子どもの数が減り、我が子が大切だからこそ、しっかり見守って、手厚くフォローしてしまうことで、もしかすると子どもの思考・試行の妨げになっていることがあるかもしれません。
焦らされると考えることが嫌になるということもあります。

小さい子にとっては、大人から見るとただぼーっとしているように見える時間も、とてもとても大切な時間なのかもしれないと意識しておいて頂けたら嬉しいです。

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2020年7月 6日 (月)

心配ですね…。

休校解除になって以降も、全国的に見ても子ども達の間で感染が広がっているようなニュースは見聞きしておらず、やはり子どもはかかりにくく、かかっても無症状や軽症で済むというのは確かなのかもしれないなと思っていました。

しかし、緊急事態宣言解除後、大都市を中心に感染報告が増えてきてもいて、心配だなと思っていた矢先、まさか市立中学の男性教諭の感染報告があるとは…。
同僚や担当の生徒70名の検査をすると発表されていましたが、全校生ではないのだなと思ってニュース記事を読みました。
その先生もですが、東京や大阪などでも感染経路不明の感染者が増えてきているようで、それも心配です。

神戸はある程度沈静化しているようでしたので、私自身も少し気持ちが緩んできているところもあったように思います。
ずっと張り詰め続けることも難しいですが、できる限り気を付け続けなくてはと、気持ちを引き締めました。

皆さまもどうぞお気をつけて。

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2020年7月 5日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2020年7月 4日 (土)

やっぱり元気をもらってる

土曜はほとんどが1,2年生で、通ってくれるようになって日が浅い子も多く、他の曜日に比べてより多く色々なパワーを使っている状態です。
そのため、不調な子がいたりすると、消耗度が跳ね上がり、子ども達とレッスンをしてるときには滅多に感じることのない「まだこんな時間か」とか「まだレッスンがあるのか」と感じてしまうこともごく稀ではありますがあったりします。

今日は普段のレッスンに加え、振替でラストにもうひとつ中学生のレッスンを入れることになったので、最後まで持つかどうかちょっと不安もあったのですが、今日は1つ目のレッスンからどの子もほぼみんな好調で、楽しい空気のままレッスンが進みました。
その結果、最後のレッスンを終えてもまだまだ元気で、なんならあと1つ2つレッスンできるかもぐらいの余裕を感じました。

これまでも、まだ塾講師だった頃から、ちょっと風邪気味だなとかいうときも子ども達と授業をしたら完全に元気になってしまうというようなことが結構ありましたが、自分で教室を始めてからもう17年、一度だけ体は結構元気だったもののインフルエンザにかかってしまって休んだほかには病欠という形でレッスンをお休みしたことはなく、それもきっと子ども達から元気をもらっているんだろうなと改めて感じました。

本当にありがたいことだなぁと思います。私も子ども達に何かお返しできているといいのですが。

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2020年7月 3日 (金)

印象深いシーン

今週のあるレッスンで、小さい子が机に伏せるような恰好をして問題を考えていました。先日は私もうっかり邪魔をしそうになったのですが、その子が目をつぶったりしてじっとしているときは考えている可能性が高いと気づいたので、しばらく黙って見守っていたのですが、その姿を見たおうちの方がちゃんと考えるよう声をかけてしまいました。

その瞬間、ばっと立ち上がったかと思うと、おうちの方のところに走っていき「もう!考えてたのに!!考えてたのに!!」と泣かんばかりの勢いで抗議したのです。その子にとっては不幸な出来事だったわけですが、その姿を見て、なんだか嬉しくなりました。

私自身、教室を始めるまでは気づいていなかった、小さい子達が考えるのには大人の予想より遥かに時間がかかるということをご存知ない方は大勢いらっしゃるのではないかと思います。そして、わかっていないのではないかと親切心から助け舟を出したり、ぼーっとしているのではないかと思って声掛けをしたりしてしまう大人はきっととてもたくさんいるのではないかと。
それに対して、子どもが抗議すれば、大人も気づくことができるわけですが、抗議せずに大人しくしている子の場合、何度も何度も考えることを遮られるうち、だんだん考えなくなっていくわけです。

ですので、猛抗議をしているその子に「えらかったね。これからももし考えてるのに邪魔されたら怒ってね。」と伝えました。

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2020年7月 2日 (木)

その子のせいじゃないんだけど…。

うちの教室に来てくれている子達の中には、受験を意識して、まだ低学年のうちからほかの塾にも通っているとか、何らかの教材で先取りの家庭学習を進めているとかいう子もいます。
そういう子のひとりとの今日のレッスンでの出来事。

私と一緒にするのは初めての、多角形の内角の和の問題で、課題に取り組むより前になぜか知っているような反応だなとは思ったのですが、実際に角度を測って確めながら、三角形の角の和は180度と答えた後、まだプリントを読んでもいない段階で「四角形は360度。俺知ってるねん。」と言いました。
何かで読んで知っているとか、兄弟がいて知っているというような子もいますので、「何で知ってるの?」と尋ねたところ、塾で習ったと。ああ、そうなのか…と思いつつも、習ったのならまあいいかと「なんで四角形は360度なの?」と尋ねたところ、「え?知らん。」と。

塾でどんな風に指導されたのかわかりませんし、もしかしたら塾ではきちんと説明されたのに、それは忘れて四角形は360度というのだけ覚えていたのかもしれません。
ただ、その子の「360度」と言ったときの口ぶりは、ちょっと自慢気で、俺そんなの知ってるもんというように聞こえました。もちろん、小さい子達は本来その年齢では知らないはずのことを知っているだけで、大人から褒めてもらえることが少なくないと思います。褒められるのは嬉しいことでしょうから、自然と友達とかはまだ知らないであろう何かを知っていると自慢気に話す子は珍しくありません。

ですが、これからの時代、ただの知識はほとんど役に立たなくなっていくはずです。もし四角形の内角の和が何度か覚えていなくても、「四角形の内角の和」と検索すればあっという間に答えは分かります。その他にも単なる暗記の知識は、暗記していることですごいと言ってもらえることはあったとしても、それが身を助けるかといえば、そういう場面はどんどん少なくなっていくだろうと思います。(もちろん、何か特殊な分野などで知識として覚えておく必要があることなどはあるでしょうけれど、あくまでも誰でも調べればすぐわかるようなことをどれだけ覚えても…という意味です。)

四角形の内角の和が360度だと言ったその子は五角形の内角の和も360度、六角形も360度と書きました。つまり、彼の記憶は全く生かされていないわけです。三角形の内角の和が180度というのは覚えておく必要がありますが、その他の多角形は全て三角形に分解できますから、180度がいくつ分かというだけの話です。四角形の内角の和が360度になるのは、四角形をできるだけ少ない線で三角形に分けるとすれば2つ分になるから。そのことをきちんと理解していれば、五角形でもそのほかの多角形にでも応用ができるわけですから、それが本来学ぶべきことです。

私も、小さい子などが難しいことを知っていたりするとついつい褒めてしまいますが、何を褒めるか、どういうことに対して褒めるかということはしっかり意識していかなくてはと思いました。

 

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2020年7月 1日 (水)

7月スタート

今日の最初は年長さんのレッスンでした。
よその教室に通っておられた時期があるお子さんで、来てくれるまでにもう100までの数の学習をしたりもしていたようなのですが、恐らく賢くて、指先も器用に使えており、形などの感覚も十分ある一方で、数の問題になるとどうもテンションが下がっているような印象を持っていました。

おうちの方も20までの数のおさらいからで構わないと言ってくださっていたので、そうさせてもらってはいるのですが、他の課題の出来と比べるとどうもアンバランスな印象はぬぐえません。
すると、以前に通っていた教室では、ほとんど教具を使うこともなくどんどん進んでいたとのこと。数に対して少し拒否反応を示しているように感じておられると伺って、びっくりしました。

ああ、またかという気分といいますか、小さいうちは成長段階、理解の段階があるのだから、まずは3まで、次は5まで、その次に10までをしっかり把握できるようになってから20までに進むというような段階をきちんと経ないと、ほとんどの場合、上に積み上げてもボロボロ崩れていくだけです。むしろ、3まで、5までがはっきり把握できない状態で数を増やしていくと、恐らく子どもにとって楽しさは一切感じられないだろうと思うのです。

実感できないよくわからないものをずっとさせられるというのは、大人でも気持ち悪いことのはずです。それを、まだこれから色んなことを吸収して賢くなっていく子達が強いられれば、勉強は楽しくない、やりたくないと思ってしまっても無理はありません。

先取りするのであれば、きちんと子どもが理解しているかどうかを重視すべきで、わかっていないのにカリキュラムだからと進めていくのは意味がありません。それどころか、場合によっては悪影響にすらなります。

今日のレッスンの子は、多くのことがよくできる子なので私も気づかなかったのは申し訳なかったなと思いますが、一度10までのおさらいからさせてもらった方が楽しさを感じられるようになるかもしれないなと思ったりしています。

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