2020年9月23日 (水)

間違えさせる

子ども達とレッスンをするとき、意識していることのひとつに、意識的に「間違えさせる」というものがあります。
もちろん、間違うことを狙っているわけではなく、子どもによっては間違えずにクリアしてくれることもあるのですが、どういうことかというと、多くの子が間違えやすいところを、前もって説明するのではなく、その子が引っかかるかどうか、まずは見守るということです。

今日のレッスンでも、一次方程式の問題で、係数が小数のものを解いてもらうことになったのですが、多くの場合は、小数は10倍や100倍などして、係数が全て整数になるように直してから解くよう先に指導するのではないかと思います。

ですが、そのように指導すると、例えば、「0.2x+0.7=1.6x-2.1」のような式であれば、ほとんどの子が間違えずに「2x+7=16x-21」と直すのですが、これが「0.2(3x+8)=2.2x」のような式になると、「2(30x+80)=22x」というように、左辺は100倍、右辺は10倍というようなことをしてしまう子が少なからず出てきます。(かつて個別指導塾や一斉指導の塾で見ていた子達の中にたくさんいました。)

もちろん、この間違いは意味を考えていれば絶対しないはずですが、習ったことをなんとなくの理解でやろうとすると、そういうことをしてしまう子が珍しくないのです。
だた、ここは間違いやすいからねと先に説明を加えても、その子自身が自分の頭を使って納得しなければ、ミスする可能性はそのまま残るのではないかという気がするのです。

ですから、そういう問題をまずは小数を整数に直しなさいということも言わずに1、2問解いてもらいます。すると、大抵は小数のまま解いて正解するので、そのまま解いてもいいけれど、項が多くなるとミスしやすくなるので、普通は係数が整数になるように直してから解くのだと伝え、更にそのまま上述の( )があるような式も解いてもらうようにします。
そこで気づく子は何も言う必要はありませんし、言うのであれば、「そこでミスする子多いのにさすがやね」というような声掛けをするぐらいで済ませますが、そこでしっかり引っかかる子には、まずはそのまま解いてもらい、その後、小数のままで解き直してもらうなどして、何かが違うことに気づいてもらうよう促します。

そして、( )があるような場合にはどういうところに気を付けなくてはいけないかや、そもそも与えられた式はどういうことを表しているのかなどに意識を向けてもらうようにするのです。
もちろん、人間ですから、それをしても忘れることはあると思いますが、それすらしなければ、頭に残るものは更に少なくなるだろうと思うのです。

問題や子どものタイプなどによっては、間違うのではないかというところに先回りせず見守ることも、印象に残すために有効なのではないかと考えています。

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2020年9月22日 (火)

見えている世界

連休中にふと感じたことがあります。
高校の同級生の男子で、こういう人を本当に賢い人というのだろうなと感じる人がいるのですが、どうしてそう感じるかというと、進学、卒業した大学はもちろんなのですが、そういうことではなく、例えば、何かわからなくて質問すると、その子は私が理解できるレベルに合わせて、しかし必要なことだけをコンパクトに答えてくれるのです。
学歴その他ではその子よりも賢いと判断されるかもしれない子は、一所懸命説明してくれるものの、私には難しすぎて、どれだけ説明を重ねてくれても理解できないこともあるので、勉強ができるとか、成績がいいとかいうことだけでなく、それ以上の「賢さ」を普段から感じているのですが、その人はパズル問題なども好きらしく、SNSで時々シェアしてくれて、この連休中にもとある新発売の飲料のキャンペーンの謎解き問題を100%正解したということでシェアしてくれていました。

出題者は最近テレビなどでも人気のクイズ王などで、問題の難易度もかなりのもの。ヒントも見られるのですが、普通に出題される問題を全て解いても99%。残り1%はどこに問題が潜んでいるかを見つけ出し、更にその問題に正解せねばなりません。

私はあれこれずっと考えたもののいつまで経っても辿り着けず、その謎解きが公開されて数日が経った頃、本当はルール違反なのだと思いますが、ネット上に残り1%の問題について解法などを公開した匿名の方がいて、その手順に沿って100%に到達できたものの、自力では絶対に思いつかないなと感じるものでした。

でも、検索しているときに、匿名の方が公開するまでに100%に辿り着いたという方達が複数見つかり、そもそも、同級生の男子もどうやらノーヒントで最後まで辿り着いたようです。

そのときに、IQが高いとか、頭がいいとか言われる人たちは、「使える頭の範囲」が広く、私には持てない視点や発想力を持っているのだなと感じると同時に、見えている世界自体が違うのかもしれないなとも感じました。

最近、テレビでしゃべっている政治家などを見ていると、こんなことを本気で信じてもらえると思って言ってるんだろうか?と感じることも少なくないのですが、もしかすると、その人たちに見えている世界と私に見えている世界が違うということなのかもしれないなと。そして、教室に来てくれている子達も、それぞれの得意不得意や興味の差などで、同じものを見ているつもりでも、見えているものが違うのかもしれないなと、改めてそんなことを意識させられました。

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2020年9月21日 (月)

心配ですね…。

続報が出て、西区の小学校だとわかったものの、まだ40人ほどは検査結果が出ていない段階で30人近い陽性者が出ていて、更には感染対策もしていたとのこと。
何がどうなって、そこまで広がってしまったのか、わからないと余計に不安が増します…。

感染された方達の早い快復を祈りますが、急に涼しくなり、修学旅行などにも行く学校もある中で、学校関係者の皆さんの負担が一層大きくなるのではと…。
心配は尽きませんが、できることを粛々と続けていくしかないですね…。

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2020年9月20日 (日)

3連休初日

昨日は通常レッスンでしたので、私にとっては3連休ですが、おとなしく引きこもって過ごすことになる予定です。
神戸市の小学校で教員の方2人と児童が2人感染したとの発表がありましたね。学校名は非公開だそうですが、クラスの児童や他の教職員はこれから検査だそうですから、気になります…。

この時期、学校によって判断が分かれているようですが、自然学校や修学旅行に行ったり、体育大会などがあったりと、移動や接触が増える子ども達もいるようですから、まだまだ心配は続きますね。
手洗い、マスクでどの程度まで予防できるのかわかりませんが、気を緩めないようにしなくてはと思っています。

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2020年9月19日 (土)

笑っちゃいけないけど

今日のあるレッスンでのこと。
眠いのかなんなのか、どうも今ひとつ調子が出ていない様子の低学年さんが、鉛筆を落としました。
私の近ければ拾うのですが、その子の足元だったので、その子に拾ってもらうことにして待っていると、鉛筆を拾った後、なぜかおもむろにタイルカーペットの毛並みに沿って5センチばかり、がりっと鉛筆で線を書きました。

毛並みの谷の部分だったので、鉛筆の跡が目立つということはなかったのですが、普段そんなことは絶対しそうにない子のあまりに想定外の行動に私もびっくりしてしまい、咄嗟に「何してるの!?」とちょっと大きな声を出してしまいました。

すると、それまでなんだかのらりくらりと調子が出なかったその子がびくっとしたかと思うと、突然目に力が宿り、集中して問題に取り組み始めました。
まだ小さい子でもあり、普段は叱らなくてはいけないようなことをする子ではないこともあり、私に初めて怒られたと感じたであろうその子は、もしかすると自分でもなんでそんなことをしてしまったのかわからないのではないかと思いましたので、そんなことをしたらダメでしょと言った後はもう何も言わなかったのですが、まるでショック療法のようにスイッチが入った姿がおかしくて、思わず笑ってしまいました。

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2020年9月18日 (金)

段階を経ることの重要性

このところ何度か書いていますが、発達のペースがゆっくりなお子さんとレッスンをさせてもらうようになってから、目を見張るようなスピードで次々と理解できる数の範囲が広がっていっているのですが、学校でそろそろかけ算の学習をすることになるはずなので、今の様子なら、100までの数が何とか理解できれば、九九の範囲のかけ算も先にできるかもと思い、本来ならまだ20までの数のひき算などを一緒にする段階でしたが、前回の終わりにためしに100までの数の学習をしてみたところ、結構すんなりいけたので、今回は様子を見ながらかけ算をしてみることにしました。

すると、100までの数は私とは前回僅かな時間一緒にしただけにもかかわらず、10×〇のかけ算はすんなりクリアしてくれて、1×〇も問題なし。しかし、2×〇に進んだところ、その子は「2、4、6、8…」の数え方を知らないとのことで、ちょっと手間取り、5×〇に行こうとしたところ、前回までに5と5と5と3で18のように、20までの数は5がいくつ分と残りいくつという考え方で、きちんと答えられるようになっていたというのに、教具の5が4段を見て40と混同してしまうような状態になりました。

かけ算を先にしたのは、かけ算というのもがどういうものなのか、先に知っておいてもらえたらという思いがあったからなので、10や1のかけ算がすんなりできたことで、ひとまず目的は達成できました。

ただ、ほんの2か月ほど前には4や5も一目では把握できなかった子に、いきなり100までの数のたし算は、さすがに飛ばし過ぎなのだと思います。
もし年長さんであれば、個人差はありますが、5までの数の把握やそのたす、ひくをするだけで1~2ヶ月、10までの数になるとそれよりもう少し時間をかけて取り組んでもらった後に20までの数に進みますので、やはりそれぞれの段階がしっかり身についてから次に進むというのが、算数を楽しく感じられるためにもとても大事なのだと思います。

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2020年9月17日 (木)

「当たり前」の基準

大人にとっての常識は子どもには当てはまらないことはわかっているつもりですが、自分の子どもの頃を思い返して、このぐらいは当たり前では?と思うことも、子どもによってはやはり当たり前ではないのだなと思わされることがあります。

私は怒られるのが嫌で、こう見えて小心者、やや神経質な子どもだったので(気づいている子は少なかったと思いますが…)失敗しないように、できるだけの注意を払っていたように思います。
ですので、例えば表とグラフの学習などで、調べた資料の表が1番から30番までであれば、それを表に移した合計が30人にならなければおかしいと、それは私にとっては「当たり前」だった気がするのですが、そういう、ほんの少し気を付けるだけでできるところを間違っている子を見ると、面倒でいい加減にやっただけなのか、そういう視点を持っていないのか(合計の数が合わなければどこか間違っているはずだという)、どっちなのだろうと思います。

やり直せばきちんとできるのであれば、いい加減にやったということなのだとは思いますが、表を作るのが面倒でも間違えたらまたやり直さなくてはいけない方がもっと面倒なはずで、だったら、面倒でも1回目にちょっとがんばろうとはならないものなのかなと、それも不思議に思ってしまいます。
ですが、私は中学生の頃に「可愛げがない」と言われていた子どもなので、世の多くの子どもは小学生、中学生の頃からどちらが合理的かとかいうことまで考えたりしない子が多いのかなぁという気もします。

もちろん、普段から一人ひとりの子を見て、その子の状態から、このぐらいはできるはずと判断していますが、一人ひとりの子の「当たり前」はきっと子どもの頃の私とは違うこともあるのだろうことをよりしっかり意識して、子どもが気づいていないのかもしれないことは、言葉にして働きかけていく必要もあるのかなと思いました。

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2020年9月16日 (水)

丸暗記の弊害

教室の子たちの多くとは、学校やよそで習ってしまうより先にレッスンをさせてもらえるのですが、時々、よそから移ってこられたとか、ほかに塾などに通っておられるとか、そうでなくてもよかれと思って先に覚えさせたとかいうようなことで、子ども達が自ら考えるより先に解き方などを覚えてしまっていることがあります。

今日のレッスンで、学校より先にかけ算の学習をすることになった子は、おうちの方のお話では既に九九を覚えてしまったとのことでした。
その子がここに来てくれるようになる前に覚えてしまったものはどうすることもできませんので、ひとまずそれは気にせず、積み木の教具などを使いながら一緒にレッスンを始めました。
しかし、どうも教具を見ている気配がなく、更には、目の前で見せているにも関わらず、5×6(5の積み木が6本)の答えをどうやら九九でぶつぶつ唱えて30と書いた後、そこにもう1本5を置いて、5×7の答えを書いてもらう問題を、再び5の段を最初から唱え直しているのがわかりました。

暗記していない子達は、5を6本置いたものを30と答えれば、そこにもう1本5を置いたものは35だとすぐわかります。そこに九九の暗唱は必要ありません。
しかし、その子はその後他の問題でも同様にひたすらに九九を唱え、更には九九に「×10」がないからなのでしょう。×10になった途端、全く訳の分からない答えを書くということを繰り返しました。

何度も声をかけて、教具を見るように促し、意味を考えてくれるようにも言いましたが、覚えたものを唱えればすぐ答えが分かると思ってしまっているその子にはなかなか響きませんでした。

もちろん、先に覚えてしまっても、数に興味がある子などは新たに「ああ、そういうことなのか!」というような反応をしてくれることもありますが、先に覚えたものを使うなというのは、なかなかに難しいことです。

九九の暗記はほんの一例ではありますが、意味もよく分からぬまま、算数の解き方などを丸暗記をさせてしまうことは、時に子どもの考える機会を奪うことになりかねないということは知っておいて頂けたらと思います。

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2020年9月15日 (火)

見えていなかったんだな

今日の年長さんとのレッスンでのこと。
2色の積み木をお手本に合わせて置く課題をしてもらったところ、目がうつろで、簡単なのではと思うのの、なぜか全く違うものを組み合わせ続けていました。
表情を見る限り眠そうだったので、立ち上がってもらってお水も飲んでもらったりしたのですが、なかなか目に力が宿りません。
そういえば、この子は積み木などの課題をするときに、あまり楽しそうではない気がするな、現時点ではちょっと苦手なのかもしれないなと思ったので、あれこれ声かけしたものの気づいてくれず、まだ全く違うことをし続けていました。

そんなにも難しいのか、それとも話を聞いていないのか、判断が付かず、6つのうち、どの3つを使うのかを選んだ上で再度促し、そこまですれば簡単だろうと思って見ていたのですが、それでもまだダメ。
大人である私から見ると、どの3つかまで決めてくれれば、それ以外に起きようがないよね??と思うほど簡単に思える問題だったので、これは嫌々やっているから気づかないのか、眠くて気付かないのか、そのどちらかなのだろうと思ってしまっていました。

結構時間を費やしたのに完成しなかったというのは嫌な記憶を残してしまうといけないと思い、ここまでしたらもうほとんど答えになってしまうんだけど…というところまで助け舟を出したところ、突然ハッとした表情でお手本を見つめ、それまで何度言っても気づいてくれなかったことに気づいたようで、ようやくきちんと置くことができました。

私が何より驚いたのは、そのハッとした表情でした。眠かったわけでも、やりたくなかったわけでもなく、本当に気づいていなかった、見えていなかったのだと、私が気づかされました。
子ども達にとっての簡単かどうかは大人の基準では測れないことはよくよく知っているつもりでしたが、まだまだ力不足だなと思い知らされた瞬間でもありました。

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2020年9月14日 (月)

計算パズル

子ども達にしてもらう算数系のパズルの大半は自作しているのですが、計算パズルは問題を解くより作る方が遥かに大変です。
問題を作る側になって初めて気づくことも多いのですが、ルールは簡単な計算パズルでも(わかりやすい例でいえば数独などでも)答えが必ず一つに決まるかどうか、理詰めで考えていって正解できるかどうかというところを意識するとなかなかに大変です。

答えが何通りもあっていいのであれば、適当に数字を並べればすぐに完成しますが、例えば数独でいえば、ある2列に2と3、3と2が並んでいる場所があり、片方に2、3と入れても、3、2と入れても成り立つというようなもののように、入る数字が1つに決まらないようなところができないようにとなると、問題を作った後実際に解いてみて、理詰めで正解に辿り着けるか、答えがひと通りしかないか確かめなければなりません。

更には、ヒントになるものを増やせば簡単に解けますし、ヒントになるところがなさ過ぎると楽しめませんので、その辺りの加減も問題のレベルが上がるにつれて難しくしていくようにしたいとなると、こんな問題を次々と作れる方は本当にすごいなぁと思います。

今日はレッスンはお休みだったので、問題を数問作りましたが、こんなに時間がかかっているとは子ども達はきっと思わないんだろうなぁ。

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